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柔道整復師(整骨院の国家資格)の専門学校とカイロプラクティックの専門学校に同時に入学した。

大学を卒業しても親のすねをかじることへの後ろめたさを感じながら、大きな夢を胸に秘めていた。

柔道整復師の専門学校で最初の授業は、まず全員の自己紹介から始まった。
私はそこで自分の胸に秘めた思いを語った。

「誰にも治せないような人たちを治すような治療家になりたい。たとえ私に治すだけの力がなかったとしても、希望を与えられるような、そんな治療家になりたい」

その時の言葉は今でもはっきりと覚えている。
これが私の原点なのだと思う。

今振り返ると、出会った患者さん全員にそれができていたかと言われると、決してそうではない。
しかし、そこそこ頑張った気はする。自分なりに「よくやった!」と自分に言ってあげられる気はしている。

当時両方の学校に行っている学生がもう一人いて、当然行動がいつも一緒だった。
その友達が、「今日、面白い治療をしている先生の所に行くんだけど、一緒に行くか?」と言うので、私もついて行った。
その先生がО-リングテストを教えている先生だった。私の腰を治してくれた先生と同じ方法なので聞いてみたら、同じカイロプラクティックの専門学校の一期生で同級生だったらしい。私はそこの8期生になる。
その場で「給料も交通費もいらないから勉強させてほしい」とお願いして、そのまま弟子入りすることになった。

それからは、朝カイロプラクティックの専門学校。そこから直接弟子入りした先生の治療院。そこでシャワーを借りて、そのまま柔道整復師専門学校。一旦自分の部屋に戻り、すぐに近くの写真現状所でアルバイト。朝5時まで働いて帰ってくるというローテーション。

そのうち黄疸が出るようになってきた。体も異常にだるい。バイト先まで歩くのもふらつくようになってきた。
「このままでは死んでしまうかもしれない」そんな思いが頭によぎってきた。
ちょうど高校時代の友達が、黄疸が出て肝炎で2か月入院したという話を聞いていた。
私も2か月入院するということになると、専門学校を二つとも留年することになる。
さすがにそれはできない。
かといってアルバイトをやめるかというと、それも無理。

思いっきり悩んでいると、ある時突然パッカーンと吹っ切れてしまう。
これがいつもの私のパターン。

この時は
「私が死ぬわけがない!もしも万が一私が死んだとしたら、それは私が世の中に必要とされていないということ。そんな命ならいらない!」
突然そう思った。

なんの根拠もない、訳のわからない論理。
だが、その時はなぜだか突然そう確信した。吹っ切れてしまった。
しばらくして、気づいたら黄疸も治っていた。

そして、めでたく留年することもなく、柔道整復師の資格を取り、その後 鍼・灸・あん摩マッサージ指圧師の免許も取って札幌で開業することになる。



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