2024.7.9 イヤイヤ対応考
aくんとお誕生日会。2人ともおもちゃを取り合わないタイプなので、喧嘩もなく遊べていていいね…と思っていたら、aくんが良かれと思って差し出すおもちゃがあーちゃんの顔やら膝やらに食い込み、あーちゃんは今から泣きます!という顔で「おかーさん!」とヘルプ。aくんは穏やかに微笑んでいる…という場面が何度もあった。ウケる。こういう「大したことじゃないやろ」と言いたくなる時の対応、難しいな〜。いつまでも「びっくりしたねえ、大丈夫だよ」とか言っててもナイーブな子に育つだけでは?と思う。「aくんはおもちゃくれようとしたんだよ」と説明しても「イヤ。」と言うし。イヤじゃないし。母がイヤイヤしてやろうか?
はらぺこあおむし→あいこぶし
メルちゃんの衣類を丸いカンカンに入れて「せんたくしばーす!」とやっている。なんて発想が豊かなんだ。
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この日あたりからイヤイヤ期再来。一度は5月ごろにイヤイヤがあったが、それは体調不良が原因だったようで、またデイリーイヤイヤも親が慣れられる範囲だったのもあり気にならなくなった。しかし、これからのイヤイヤは、多分マジモンだろう…という感じがする。戦慄。
娘のイヤイヤの対象にも色々あって、「ご飯にお菓子を食べたい」のように理不尽なものから、「おむつをかえたくない」のように気持ちは分かるけど受諾できないもの、「まだ遊んでいたい」などの子供からすればまっとうなもの(ただしこれも受諾できない)まで様々だ。色んなバージョンを見ていて、全てのイヤイヤにいっしょくたに対応するのはなんか違うのかもと思ってきた。
例えば「まだ遊んでいたい」という気持ちは全然持っててオッケーなはず。それだけその時間が楽しかったということだし。
そういう名残惜しむ気持ちを頭ごなしに否定するのは、その子の持つ没頭力を奪ってしまうんじゃないか。
「この遊びは楽しいけどいつ中断させられるかわからない」と思うと遊びに身が入らないと思う。子供はそのくらいの見通しをもつ頭脳は持っているはず。
もう遊びを切り上げないといけない場面で「まだ遊んでいたい」と子供に言われた時、
親が提示できるものは「否、終了」の一択なんだけど、
この「否」が何にかかっているのか、親が自覚的でないといけない。
「否」の対象は「子供の感じている名残惜しさ」や、「それを伝えてきたこと」、ましてや「子供自身」ではなく、「遊びを継続する未来」一点のみだ。
ここで子に対して「聞き分けのない子」みたいな認識をしてあまつさえ言葉や行動にしてしまうのは、「否」の適用範囲を広く取りすぎていると思う。
でもこれねえ、まじで1日に何回もやっちゃいそうになる。「ほんとこん子はやかましいねぇ…」みたいなの言いそうになる。テンパってるんだよな。でも大人なんだし我が子にくらいテンパらずに対応したいね。
イヤイヤ期って親子がお互いにNOを言い合ってばかりだけど、何を否定して、同時に何を肯定しているのか、親だけでもしっかり認識を握っておいてやらないといけないな〜と思いました。