「介護の無知と3つの病院」第1話
介護漫画を描きだしたのは私に仕事
(論文につける医療イラスト)を依頼してくれる
お医者さんのお友達のお医者さんが在宅医で
その方の本を読んで号泣したからですが
こうやってブログを毎日描いてて思い出したのですが
没ネームにその要因を描いてたのです。
それは今からだいぶ前、喧嘩してから音信不通の
母からの電話から始まります
ネームなので雑です。私と母は喧嘩して5年
お互いがお互いを無視してまた
父の肌は南国生活と、この季節は夏で真っ黒に日焼け。
母は検査結果で良性と言われていましたが食事が出来ず
吐き気も治まらないので入院することに。
私は母の入院の前日に島に帰ったのです
母は思ったより顔色もいいし安心しましたが
とぎれとぎれしか話せずにいたので喧嘩をしてた
事には特にふれていません。
その日は私が時々作っていたダイエット用の
野菜スープを作りました。
母も喜んでくれて少しだけ食べてくれました
驚いたのは明日の入院に向け準備を全くしてなかった事です。
父は気が利かないし母は具合が悪すぎて
準備など出来ないでいたのです
本当にこのタイミングで帰れてよかった!そして無事入院。
ここで母は食事を口にしませんでした。私は食事介助の
存在などしるよしもなくそれがどうゆう事かもわかりません。
病院側も食べないからといって介助もなく、食べない食事を
出しては下げ出しては下げ
すると親戚のおばさんが騒ぎ始めました
叔母さんの様子は深刻で主治医に詰め寄ります。
家族に今の状態を説明しろと…結果
何故か特別室の個室に移動
その後何日もたって「紹介状を書いたので市内の病院に
転院してください」とゆう説明。
こんな体たらくな医者を無知な私は責める
頭脳もなかったのです
こうしてトッピーとゆう早めに走る船に乗り移動
するのですが母はこの時、車椅子移動するぐらい
歩行もできなくなっていて長く座っている事も
苦痛の様でした。
私は船乗員に頼みました。病人なので横になれる場所を
貸してくれと…冷たく断られた記憶があります
そして船に乗りしばらくしてトイレに行きたいと
トイレに入る母
そこからなかなか出てきません。私はトイレのドアの
前で声をかけます。母は「大丈夫」とゆうので
ふんばっているのか?と待ちますが2時間ほどしても
出てこず私はやっとトイレの中に入ると、中で母は
立ち尽くしどうしていいのか判らなくなって
いたのです
今ならわかります。トイレ介助が必要な状態だったと
トイレに付き添うなんて思ってもみない行為で私はただ
母の様子に絶望しショックを受け、
なんだか泣きたくなっていました
後半に続く
「介護の無知と3つの病院」第2話↓
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