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奈良でゆく年くる年 (2)

昨日の奈良旅行記の続きです。同じ旅行記ということで、
タイトルは同じ絵で。

表紙
中身の一部

12月31日(火)
ホテル→🚌阿倍野文殊院→🚌聖林寺→🚌昼食→🚌岡寺→🚌→ホテル→夕食
→ホテル→大和八木駅→列車 長谷寺駅→徒歩→長谷寺→徒歩→長谷寺駅→列車大和八木駅→ホテル

今日は深夜まで予定が詰まっている。足元に気をつけながらしっかりと観光しよう。
阿倍野文殊院
大化の改新が行われ、新しい役職が作られた時に左大臣となった阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が阿部一族の氏寺として建立した寺。
左大臣といえば、今の総理大臣にあたる役職に当たるそうだ。
大化の改新時645年に建てられた日本最古の寺で、
東大寺別格本山として格式が高い。

ご本尊は「3人よれば文殊の知恵」で知られる「騎獅文殊菩薩像」で、お供に連れている4体の像と共に「渡海文殊群像」として
国宝に指定され、維摩居士像を除いて全て快慶作とされる。
雲海を渡り、私達衆生の魔を祓い、知恵を授ける為の説法の旅にお出かけになるお姿だという。

パンフレットより

獅子に乗っている文殊様の高さは7mだという。
ただし現在はこのお姿ではなく、文殊様は獅子から降りて獅子の横に置かれている。 獅子の上に乗った文殊様は獅子に固定されておらず、耐震に不安があることから耐震工事が施されている。

獅子から降りた文殊様・お供のものが固まって寄り添っているのが可愛らしい

普段は7m上にお顔があるが、今に限って文殊様のお顔をよく
拝見できる。ラッキー・・・
2025年5月ごろまでこのお姿だという。

古墳や、展望台も回ってみた。

拝観料はとっていないという事だが、
本堂を拝見する前に別室で、僧侶のお話を伺ったので、こちらは別料金だろう。

平安時代に活躍した阿部晴明もこの一族とのことだ。日本には
三大文殊様があり、その第一霊場とされている。
ちなみに三大文殊とは京都・天野橋立切戸の文殊、山形県奥州亀岡の文殊だそう。

お茶菓子としていただいた落雁が美味しかったので、3箱購入、お土産とした。

家の厄除けという赤いお札を娘たちの分も含めて三枚購入したが、後から考えると、信心は人其々、余計なことをしたかなと
ちょっと反省。・・・帰宅後送ると喜んではもらえたが・・・

聖林寺
聖林寺は藤原鎌足の長男、定慧が712年に談山神社の別院として建立した。
道すがら苔むした石垣の情景が好ましく、長い年月の人々の信仰が偲ばれる気がする。

聖林寺山門

そして奈良に入ってから初めて立派な門松を目にした。
八木町の街巡りでも道中のバスから見ても、お正月飾りを目にすることがなく、不思議な気がしていた。
少なくとも私が住まいする首都圏では、デパートや商店はもちろん各家庭でも、クリスマスの飾りが取れれば、門松を立てたり玄関飾りをするのが一般的なので、この土地柄の何か宗教的な慣習なのだろうか・・・
と気になっていた。ここに来て門松を目にし、単にその土地柄の習慣??・・・と納得している。

聖林寺といえば、なんといっても国宝十一面観音様が有名だ。
元々は三輪山の大御輪寺(だいごりんじ)にご本尊として祀られてあったものが、廃仏毀釈を免れるため、聖林寺に運ばれたものという。
大八車に乗って運ばれたそうだ。

760年ごろに東大寺の造仏所で作られたというのが有力な説だという。

左上がフェノロサが寄付した厨子・中の観音様は写真??

明治30年に旧国宝制度が設けられて、最初に国宝に指定された24体のうちの一つだ。
明治20年に フエノロサがこの観音様を見て
その美しさに驚嘆し、「これは秘仏にはせず公開すべきだ」と進言し
観音様を入れる厨子を寄付した。

それは西陣織に彩られ、火災時などには運び出せるよう滑車をつけて、
可動式になったものだ。

上の観音様の写真はネットから拝借したが、現在では明るい照明の下、免震装置のついたドイツ製ガラスケースに収められ、360度拝観できるように
なっている。
本堂からは階段を使って登る位置にある特別に設られた
観音堂に収められている。

かつては四天王に守られ、前立観音の他、左右に多くの仏像が
並び立ち、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳な雰囲気の中に祀られてきたもので、宝相華唐草の光背(奈良国立博物館に寄託中)は、長い年月により大破しているが、華やかで見事なものであったと言われる。
均整のとれた仏身、豊満な顔立ち、量感のある上半身、優婉な衣の美しさ、微妙な変化をみせる指先等、ミロのヴィーナスとも比較される仏像彫刻の優作だという・・・説明を聞いて、360度観音様の周りを回って拝見する。
これが、蓮台の花びらの一つ一つに至るまで全て木漆で作られ、
しかも奈良時代のものと思うと、良くぞここまで保存されたものだと、思わずもう一度拝みたくなる。

余談だが、テレビでこの観音菩薩が放映された時、その時の解説者が言うには、
「観音様の頭の一番上にいらっしゃる仏様のお顔は、少し機嫌の悪そうなお顔ですよね。そこから仏頂面という言葉ができたのです」と説明していた。・・・本当かしら??

聖林寺のご本尊は「子安延命地蔵尊」だ。

冊子の写真を利用したので写真がボケている💦

江戸時代の中期にこの寺の僧、文春が女人の安産を祈願し、木造の地蔵尊を背に全国を4年7ヶ月に及ぶ行脚をした托鉢による浄財で、但馬の佐助と
いう石工に作らせたという。石造りのお地蔵さんはとても大きく大和一の
大きさ誇り、頼り甲斐がありそうで優しいお顔をしている。
この地蔵様は重いので、土の上に直接据えられており、雨などで土が湿ると石の色が変わり、難産の身代わりになってくれているお姿だと言われているそうだ。

聖林寺本堂から見張るかす三輪山と明日香の村

「ホテルさくらいの里」  で、地産地消のランチ


                                           「さくらいの里」はまだ新しい施設のようだ。高台にあり、明日香の眺望を楽しめる広々とした
様子は、思わず深呼吸をしたくなる明るい風景の施設だった。

岡寺
「甘樫丘」(あまかしのおか)と言われる緩やかな丘から眺められる
飛鳥一帯は大和三山や、蘇我氏旧居跡、藤原宮跡など「飛鳥歴史公園地区」
として整備され、令和8年をめどに世界歴史遺産登録を目指しているそうだ。
駐車場から岡寺まではバス駐車場から階段と坂道を登って10分ほどかかった。岡山という山の中腹に位置するので、足の便はあまり良くないようだ。
元々、岡寺があったと思われる遺跡を見ながら、岡寺の山門をくぐる。

岡寺は天智天皇の御子で早逝なされた草壁皇子が、お住まいになっていた
場所に建てられたものだ。
そして草壁皇子と共に育った義淵僧正に下賜された。

義淵僧正は東大寺の元を開いた良弁僧正や行基など、奈良時代仏教の先駆者の師として仰がれていた。

義淵僧正は優れた法力の持ち主でもあったという。
その頃、飛鳥の里を荒らす悪龍がいたが、その悪龍を法力によって小池に閉じ込め、大石で蓋をしたという。
それに因んで、この寺は「龍蓋寺」という名前も持つ。

下は奥の院、三重塔方面から眺めた岡寺全景

西国三十三箇所の第七番の観音様として熱い信仰を集めていという。

本堂に向かう前に「鐘楼堂」で夫と二人で鐘をつかせてもらった。
以前に石山寺で鐘をついた時はとても重かった記憶があるが、
今回は割合軽く音も軽やかな音が響いた。

本堂に安置されているご本尊「如意輪観音坐像」(重要文化財)は朔造としては日本最大の大きさで如意輪観音としては最古の姿をした厄除け観音で、1300年の間、厚い信仰を集めている。

岡寺に向かう石段の傍に幟があり、そこに
「1300年続く日本の終活の旅」という下りがあり、夫はやけにそこに拘って眺めていた。  私たちもそういう年齢ということだ。

😅😅😅・・

「茶寮 花大和」で薬膳
ホテルに戻って休憩の後、夕食は薬膳コース料理。
とっぷりと暮れてからお店に着いたので、方向が全くわからない。バスの
止まっているところまで、お店の方が迎えに来てくれて、足元を懐中電灯で照らしながら、人一人やっと通れるほどの細い道を辿った。お店に着いて
みると、お店の前は舗装された車一台が通れるほどの道だたが、これで人が集まるのかしらと心配になる程の所だった。

創業が明治37年の老舗料亭ということだから、昼間訪れれば
また景色が全然違うのかもしれない。
店の前は大きな池があるようだったが、夜目の上、ガラスが曇っているので、よく分からない。

すべての材料、棗やクコといったものに至るまで自家栽培(輸入物ではない)にこだわり、全ての料理に漢方薬に使われるようなものが使ってある。
私は薬膳茶というものを取ったが、香ばしくて美味しかったし、お料理そのものも薄味で体に優しそうだと思えた。

6年物という朝鮮人参の天ぷらが出て、びっくり!!
写真を撮り忘れて、半分食べてしまったものを慌てて写したが、それでもたっぷりとあり(根の部分も含めれば30cmはあった)、根の細い部分まで残さずにいただいた。
多少の苦味があるものの、ホクホクとして美味しく、好みで
付けられるように、ハチミツが添えられていた。初体験!!

夫は体調が万全でもないようで、お店に入った時には
「寒い!」と言ってコートを着たまま過ごし、
熱でも出さなければ良いがと心配したが、ホテルに一旦戻って長谷寺に出発する頃には、すっかり元気になり、手足も暖かくなったというので、

「あら〜!薬膳料理のせいかしらね〜」と言い合った。
        
                       つづく

この後、ホテルに戻ってから長谷寺参りがあるのですが、
長くなりますので、今日はここまでにいたします。
また次回よろしくお願いいたします。

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