見出し画像

わたしにはまだ早い

https://x.com/KosukeMae/status/1858877344796336304?t=5xFX0XWsNoLscesWRw19WA&s=19


このポストの文章に惹かれて前康輔さんの写真展『愛って言ってやろうか、そろそろ』に行ってきた。
直前に出版された私が好きな俳優さん、つまりは田中圭さんの写真集の一角を担っていたこともあり、普段の写真を見てみたくなった。だいぶ心に助走が必要だったが、重い腰を上げた。果たして前さんは在廊されていた。しかしチキンであり人見知りを発動しているので話しかけるなんてとんでもないし、そもそも話題もない。こちとら社交性はゼロなのだ。ただ以前、圭さんの舞台を観に行った際に、終了後出口に向かう目の前に、可愛らしいゴスロリのようなカメラを提げてる方がいるなと思って顔を上げたら前さんだった。ということがあったのを思い出した。それだけだ。

ギャラリーは朝日の差し込む時間帯が美しいらしく、それは無理だけど、夕焼けなら!と思って行った。が間に合わないし陽の方向がそもそも違ったかもしれない。すっかり日が暮れてしまい窓際の作品を見る時には、窓に映る残念な自分が邪魔で目のやり場に困ってしまった。やはり陽の高い内に来ればよかった。

滞在時間は驚くほど短かっただろう。体感3分あったかどうか。失礼だったなと思う。切り取られた瞬間の外側にあるものを想像するのは苦手で、いかに自分の中に想起させるかなんだけど、相も変わらずぺらぺらなことを自覚して足早に去るしかできなかった。変な汗はかくし、手指は冷たくなるし。何をどう見ていいかわからなくて。いや、何をどう見てもいいのだけれど、何も見えてこない自分に嫌気がさすと言うか。心苦しいと言うか。
圭さんをとても素敵に撮ってくれる写真家さんで、写真もとても素敵だったのに。写真を素敵と思うのと、そこから何かを想起できるかどうかはまた別の作業らしい。これはまぁこちら側の問題で。
暖かい写真だなぁと思うのだけど、ぼんわりとはせずにはっきりくっきり輪郭が明確なのが好きだなと思う。かと思えば急に、なんぞ?となるような虚な写真もある。こちらの方がより好きだったりする。好きは好きなのだ。そこから前さん曰く宇宙を感じられるかどうか。時間と空間を越えてそこに見えてくるもの。それが苦手なのだと改めて痛感する。苦手と言うかこわいと言うか。困る。自分で自分の内側を見つめると、私には都合が悪いのだ。
写真展に行くのは人生で2度目。以前に行ったのは『まだなまえがないものがすき』これもタイトルに惹かれて行った。
会場は比較的真っ暗で、真っ暗な中にスポットライトが当たったように写真が展示されていた。まるでそこだけ暗闇の中に窓を開いたようだと思った。谷川俊太郎さんの詩があって。暗いのが居心地よかった。自分が隠されるから。やはり写真からは拾えなくて心苦しくて。ただ他人の窓に開かれた心を眺めるだけの時間だった。

谷川俊太郎さんの『これが私の優しさです』が好きというか、衝撃を受けて。以来ずっと好きで身近にある詩になった。しかしやはり解釈は様々あるもので、どこがどう好きであると言語化できない私は、解釈違いをおそれて口に出来ないでいる。記してしまったけども。

冒頭の前さんの文章と写真展のタイトルに、どことなく谷川さんの脈を見た気がして惹かれたのだが。同日のポストで、谷川さんの写真が好きと仰っていた。好きな詩も引いてらっしゃった。ああやはり。

『愛って言ってやろうか、そろそろ』
本当はこのタイトルだけで泣きそうだった。そんな写真展だった。

いいなと思ったら応援しよう!