ドラマツッコミポルノから始まる朝、なんてことないな
家庭内にて
朝、母からのドラマツッコミポルノを受ける。
その後図書館に行って本を読む。
これから服を見に行く。
ああ、何と自由な時間を生きるんだ。
自由すぎて、目標も何も達成していないにも関わらず、場所を転々とする。
まあいいではないか、
少しだけでも図書館に行ったんだからさ。
そうだよね。
それに、今日も自分の中にあるものを吐き出そうとしているからね。偉いよ。図書館の中で精子を出してて偉いよ。
失敬、失敬。
君たちは何を見た?何も見てないよね?
わかったかい、ではタイトルはあまり目立たないものにしておこう。
こんなものは、何にもならない。
僕は間違っていたな。
表現するにも、僕の土台が必要だな。
それがなければ、人に自らの肺や腎臓を差し出すようなものだ。
僕が何をいうか、それは果たして何か意味があるのか。
溢れ出した本音だとしても、それが意味のあるものならいい。
しかし、何にもならない嘆きを人との会話で出してしまうことはよくない。
初対面の人間。ましてや女性の前では特によくない。
初めて出会った印象がこれからの運命を変えていく。
その人が必要とする価値。それが本当の愛ではないにしても、僕らはその価値に見合うようなものを持っていなければ、大事にはされない。したがって、僕らは初対面の人間には価値を持って接しなければいけないと考える。
価値を見出すものの中に、話し言葉が含まれると考える。
話し言葉は、考えてもないことを言ってしまうと、失敗するものだと思う。
そして失敗する原因は、一日の生活で自分の組み立てができていないこと。つまり、その組み立てとは自分の感性を究極におくこと。そしてそれを極めること。
それがなくては、僕らは他人の話に圧倒されてばかりで何もできない。私という言葉で、私の今日あった出来事をしゃべるのだ。私という、ものがあることによって目的に向かうことができる。
僕は今日、わけのわからないことを、どうしても本のように。古典のように話してみたかった。
聞いてくれた人ありがとね。