ロシア人の表と裏(上)
ロシア人の表と裏(上)
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」113/通算545 2022/12/13/火】小生は「心の道標」教団、通称「みちしるべ」の始祖である。教義は「みんな仲良く」、それだけ。信者は・・・55羽ほどの雀で、朝7時、昼12時、夕3時の食事時に嬉しそうに集まるだけだが、まあ小生の無聊を慰めてくれるし、餌やりでも「やることがある」というのは老生の健康にも良いだろう。
20日ほど前からファルコン(はやぶさ)も1週間から10日間に一度ほど餌=雀を求めてやって来るようになった。1秒で襲来、1秒で雀を足にガッチリつかみ、1秒で去っていく。たった3秒の早業、まさに「隼」。実りの秋が終わり、多摩川や多摩丘陵で十分な餌を得られなくなり、我が家の雀を狙うようになったのだ。
小生はファルコンと2年ほどの付き合いで、精悍で元気なところが気に入っているが、ペットの雀を襲われると複雑な思いをする。弱肉強食は世のならい・・・人間は凄まじい雑食で何から何まで食い散らかしているから、絶滅危惧種になりそうなファルコンを責めるわけにはいかない。ボーっとして警戒心のない雀が真っ先に餌食になるが、雀たちも「まあ仕方がない」と、以前のような「2日間は我が家に近寄らない」という大ショックは受けなかったようだ。「慣れ」というのは良いのかどうか・・・喉元過ぎれば熱さを忘れる、そうでもしないと生きていけないのは確かだ。
天国ならぬこの世はリスクだらけである。リスクが許容範囲ならあまり話題にならないが、許容範囲を超えるようだと大騒ぎする。
<警察庁が2022年1月に発表した報告書「令和3年中の交通事故死者数について」によれば、2021年における全国の交通事故死者(事故発生から24時間以内に死亡)の数は2636人となり、2020年の2839人から203人減少(7.2%減少)した>(不破雷蔵のサイト)
死者数は2001年が8757人だから2021年で2636人というのは大きな減少だが、ここで言う死者は「事故から24時間内の死者」である。思うに、救急外来では24時間は延命のために人工呼吸器をつけておけば「死者」にはカウントされない、その裏技を利用拡大すれば死者数は減る。2日目、3日目、1か月後、1年後などに死んだ実際の交通事故死者数は4000人程ではないか。
1日当たり10人前後が事故死。世界中なら1000人ほどが死んでいるだろう。地球温暖化にNO!を叫ぶ人は多いのに、「動く殺人鬼、自動車NO!」なんて誰も言わない。自動車は便利で、自動車がなければ生活できないから「多少の事故死は仕方ないよね、許容範囲」。
「許容範囲」は人、時代、場面によってずいぶん違う。「戦争のない世界」を良しとする人は多いが、例えば今の「平和な日本」は戦争で負けて米国の属国になったことによってもたらされた。1945年の第2次世界大戦終了以降、先進強国間で戦争がないのは「核兵器」という凄まじい破壊力の「最終兵器」が抑止力になったからである。憎み合っているインドとパキスタンが激しい戦争にならなかったのは印パが共に核武装したことが抑止力になったからである。
この強烈な抑止力がなくなる「核なき世界」になったら、第3次世界大戦は明日から始まるだろう。中東のイスラム国は一斉にイスラエルと開戦する、中共はインド太平洋への武力制覇を躊躇なく進める、ロシアは旧ソ連の領土奪還を始める・・・日本は北海道をロシアに奪われ、沖縄などは中共に奪われる。
ちょっと考えれば「核なき世界」の危険性が分かるはずだが、「核なき世界教」信者は知りたくないのか、夢を見ているのか、利権=カネのためか、それとも中露北の共産主義独裁を理想と信じているためか、相変わらず「核兵器、ダメ!絶対!」、暗愚一筋一直線である。
中には「それで日本が消えてしまっても、そういう一途の殊勝な国があったと記憶されるだろう、それでも良いではないか」と言う人もいる。中露北の手先みたいな「容共左派」の人は日本でも世界でもゴロゴロしているが、「共産主義とは何か」をまともに勉強したことがないのではないか。
共産主義とは「共産党員のための、共産党員による、共産党一党独裁統治」であり、圧倒的多数である国民は食糧を得ることさえままならぬ奴隷状態に置かれるという、最悪の独裁統治である。かつては日本でも理想の国のように称賛されたキューバの今は、中露に物乞いするほど悲惨な状況だが、為政者は一党独裁共産主義という利権を手放す気配はない。読売2022/3/1「キューバへの禁輸措置60年、経済の混乱続く…市民『失政の責任をすべて米に転嫁している』」から。
<社会主義国キューバの経済が混乱している。キューバ政府は、実施から60年が経過した米国の禁輸措置などをやり玉に挙げ、市民の不満解消に躍起だ。
キューバは今、「この30年で最悪の経済危機」(ウォールストリートジャーナル)にある。原因の一つは、政府が2021年1月に行った二重通貨制の解消だ。米ドルと等価に固定していた 兌換ペソを廃止し、価値が24分の1の人民ペソに一本化した。
決済を簡素化して投資の促進につなげることなどを狙った経済改革だが、事実上の通貨切り下げは物価の急上昇を招いた。政府は、21年のインフレ率を約70%とするが、複数の専門家が数百%だと分析している。
物不足も深刻だ。政府の外貨不足が原因とされる。市民によると、コメや鶏肉の配給は滞りがちだ。「米国の経済封鎖は、キューバの発展にとって最大の障害だ」。ミゲル・ディアスカネル大統領は2月3日、自身のツイッターにフィデル・カストロ元国家評議会議長(16年に死去)の言葉を投稿した。60年前のこの日、ケネディ米大統領は、対キューバ全面禁輸措置の大統領令に署名した。
米国の経済制裁は、オバマ政権下で緩和の動きもあったが、禁輸措置の解消には至っていない。キューバ政府は、これまでの損害額が約1500億ドル(約17兆3000億円)に上ると訴え、多くの問題の根源が米国にあると主張する。
ハバナの自動車整備士の男性(35)はこう指摘した。「政府は失政の責任をすべて米国に転嫁できる。経済封鎖はもはや逆効果だ」>
要は「米国が経済封鎖を解かないとキューバ国民はさらに反米になる、だから封鎖を解除してくれ」ということだ。もともとキューバは反米なのだから米国は痛くも痒くもない。キューバが共産主義を止めればいいのであるが、美味しい汁、特権利権を共産主義者は絶対手放さない。日本のアカやアカモドキ、宗教や学問を装う人々なども無為徒食の利権を死守するだろう。日本学術会議、ナンミョー“財務”池田教、統一教会・・・利権集団ばっかり。
そう言えば12月12日は石川五右衛門の命日だった。浜の真砂は尽きるとも世に泥棒の種は尽きまじ・・・まったくもってその通り。まあ、利権のチャンスがない人が利権を非難するのは何となくサモシイから蔑視する程度にしておいた方が良さそうだ。それにしても「清く、貧しく、美しく」という清貧に甘んじ、民の苦しみに寄り添い慰めるべき宗教団体自体が銭ゲバというのは実に醜いものだ。
日本は「神道」の国柄である。教義らしい教義はないが、自覚はしていなくても日本、日本人らしさの根底には神道があり、小生が毎朝、お日様に一族の安泰を祈るのも神道なのかもしれない。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も神道に大いに感動している。
<ハーンは、日本人が感じている神道を、より明晰に鮮やかな形にして命を吹き込んだ。古代日本人は万物や自然現象の中に、即ち森羅万象の中に神の働きや魂の宿りを見た。天然、人事、万事に対して神霊や先祖の霊、死者の魂の働きがあると感得してきた。そうした日本人の霊的感覚をハーンは彼自身の霊性的な次元で明確にとらえている>(鎌田東二「神道とは何か」)
ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」を折に触れ何回も読み返しているが、イワンは強制収容所での日々を淡々と送っている。怒りも嘆きもない。イワンはソルジェニーツィンそのもので、「完全な諦観」だ。何故そうなのか、小生は読むたびに首をかしげた。booklogからストーリーを引用する。
<スターリン政権下のソ連。収容所(ラーゲル)での起床から就寝までの1日を淡々とした筆致で描いた作品である。
午前5時に起床し、野菜汁と粥の簡単な朝食を食べ、酷寒(マローズ)の中でブロック積みの作業をし、作業場近くの食堂で燕麦粥の昼食をとり、再び作業に戻り、作業を終えると点呼を受け、ラーゲルに戻り、野菜汁とパンの夕食にありつき、自室に戻っても外に出されて点呼を受け、ようやく眠りに就く。
そんな1日だったが、営倉へ入ることもなく、作業がよい調子で進み、タバコも買えて、病気にもならなかった。「幸せとさえいえる一日」。単調なそうした日々は3653日続く。
パンをいつ食べればよいかを考えて少しでも空腹感を紛らせる工夫をする。ときには粥や野菜汁を係の目をかすめて多く取り、自分が食べ、班のものにも回してやる。ちょっとした工作などの内職をして食べ物やタバコを分けてもらう。手に入れた木ぎれや針金で工夫して道具を作り出す。差し入れの小包をもらったものがいれば、機転を利かせて中身が盗まれないようにし、お裾分けをもらう。
イワン・デニーソヴィチは、目端が利き、器用である。だからといって狡猾すぎることもなく、根は親切で常識的な男である。そうした男が、ときに暗い気持ちになりつつも、目の前にある、不自由で厳しいラーゲルの日常を、淡々と生きている>
ソルジェニーツィンはロシア正教会の信者だった。世界で初めてのマルクス流「共産主義国」ソ連を創ったレーニンは宗教を排斥したが、レーニンなき第2次大戦でスターリンは対独戦で兵士の士気を高めるためにロシア正教会への縛りを緩めたという(松本佐保・日本大学教授)。国民を統治し共産主義独裁を維持する手段としてロシア正教会を利用するようになったのだ。霊験あらたか、小生がアカだと見ているFDRルーズベルト米国大統領の膨大な支援を受けてソ連はナチス・ドイツを撃破した。ドイツと手を組んだ日本も米ソに撃破された。
以来、ロシア正教会はロシア政権の「御用宗教」になったのだろう。権力に逆らわない、逆らってもひどい目に遭うだけという「諦観」の処世術が国民に蔓延し、表の顔と裏の顔、嘘と本音の使い分け、長いものには巻かれた振りをする、上に政策あれば下に対策あり、抗議をしてもひどい目に遭うだけ、耐え難くなったら外国へ逃げる・・・やりきれなくなったらまずはウオッカで憂さを晴らすというのがロシア人の処世術になったようだ。
ロシア人は有史以来、自由民主人権法治を経験したことがないから、圧倒的多数は「運命を従容として受け入れる」イワン・デニーソヴィチなのだろう。ソルジェニーツィンはロシア正教会信者でありロシアを愛しているが、「それでいいのか?」と命懸けで孤高の声をあげたのだ。
ロシアのサイト「Russia Beyond」は「ロシアの今」をテーマにするとプーチンの逆鱗に触れ廃刊されることを恐れているのだろう、もっぱら「ロシアの昔」を紹介しているが、チラチラと政権批判がうかがわれて興味深い。2018/12/17「ソルジェニーツィンが生誕100年:彼の生涯と創作を記憶すべき5つの理由」から引用する。
<ソルジェニーツィンが初めて逮捕されたのは1945年のことだった。当時彼は、召集を受けてソ連軍にいたが、前線から友人に書いた手紙が逮捕の理由だった。この頃のソルジェニーツィンは、レーニンの思想を熱心に支持しており、社会主義イデオロギーを裏切ったとしてスターリンを批判した。
だから、ソルジェニーツィンがソ連政府の政策を批判したときは、彼は、自分が何を語っているのかはっきり意識しており、持論を吐いたのだった。だからこそ、彼は危険だとみなされ、労働収容所での懲役8年の判決を受けた。
彼は、刑期の最初の1年間は、モスクワの建設現場での強制労働に従事する。次いで内務省国家保安局特殊研究所で2年間働いた。ソルジェニーツィンは数学者だったので、他の政治犯とともに科学研究を行った。しかし警備員の言うことを聞かなかったというので、カザフスタン北部の労働収容所(グラーグ)に移され、そこで残酷極まる扱いをいくつか目の当たりにした。
この経験により、ソルジェニーツィンは後にソ連の労働収容所における恐るべき劣悪な状態を描き出すことができ、世界に伝えることになる。スターリンが死んだ1953年、彼は8年の刑期を終えたが、釈放されることはなくカザフスタン流刑となった。
スターリンの個人崇拝が批判された後、ソルジェニーツィンへの告発は撤回され、彼は中央ロシアに戻った。1957年に名誉回復され、教師として勤めるかたわら、密かに文筆活動を続けた。
労働収容所についての彼の作品、とりわけ『イワン・デニーソヴィチの一日』が雑誌に掲載され、ソ連と西側で大反響を巻き起こした。この作品は、国家賞「レーニン賞」の文学部門の候補にもなる。
これに劣らずソ連政権に批判的な他の物語が出版されると、ソ連の秘密警察「KGB」は再び弾圧を始めた。1965年、KGBはソルジェニーツィンの原稿を押収。ブレジネフがソ連共産党書記長になると、ソルジェニーツィンの作品は再度発禁となった。KGBはソルジェニーツィンの監視のために特別部隊を編成しさえした。
ソルジェニーツィンは作家同盟から除名され、彼に対する批判キャンペーンがマスコミで始まった。しかしこの頃になると、彼はすでにノーベル賞にノミネートされており、その作品は地下出版で出回っていた。おまけに彼は何度も公開状を出して大っぴらにソ連政権を批判した。KGBは彼に出国を提案したが、彼は拒否した。
ソルジェニーツィンがノヴォチェルカッスクに旅行したとき、KGBのエージェントが彼の後を追い、気づかれないように毒を注入した。ソルジェニーツィンはこう回想している。
「私は、何か刺されたとか注入されたという感覚はまったくなかったが、その日のうちに、左半身の皮膚が痛み出した。夕方には悪化して、大きな火傷のようになった。朝には巨大になり、左の尻、左半身、そして腹と背中の全体に広がった…」
彼の苦痛は3ヶ月も続いた。後年の研究で致死量のリシンを注射されたことが分かった。だが彼はどうにか回復できた。
1974年、ソ連当局はソルジェニーツィンの強制国外追放を決定。彼は拘束され、ドイツに送られた。彼の家族は一ヶ月後に出国を許された。一家はチューリッヒに居を構え、ソルジェニーツィンは反ソ活動を非常な熱意で再開する。
しかし作家は、西側のリベラルなメディアの傾向に媚びようとか迎合しようとかいうつもりはなかった。彼は、ロシア正教と共産主義のイデー(理念、観念)が混然となった思想の持ち主であり、フランコの独裁政権への支持を表明したこともある。これは、リベラルなマスコミを怒らせた。
彼はまた、仲間の反体制派や反ソ的な作家も批判した。ソルジェニーツィンは誰にも妥協することはなかった。リベラルな西欧のジャーナリストからも軽侮された彼はアメリカに移住し、バーモント州に定住して、孤独な生活を送った。
1990年、ソルジェニーツィンのソ連の市民権が復活。彼の作品の多くが、故国で自由に出版されるようになった。1992年、ロシア連邦のエリツィン初代大統領は、ソルジェニーツィンと長時間電話で話した。ついに1994年、作家はロシアに帰還し、ロシア連邦下院(国家会議)の前で演説した。モスクワで彼は、アパートと別荘を与えられた。
だが、1998年にロシアの最高の褒章、聖アンドレイ勲章を授与されようとしたとき、ソルジェニーツィンは、ロシア当局とその行動を――主に国有財産の民営化と第一次チェチェン戦争を――嫌っていたため、拒絶した。
その後、プーチン大統領の時代には、やはりソルジェニーツィンは、ロシア政府の行動の大半について懐疑的であったが、ロシア文化勲章をはじめ、いくつかの賞を受賞している>(以上)
ソルジェニーツィンは1918/12/11~2008/8/3。侵略熱に侵された今のプーチン(1952/10/7~)を見て彼はどう思うだろう。「プーチンよ、お前もか?!」と勲章を投げ返すに違いない。(次号に続く)
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