家制度≒一子相続の再考を
家制度≒一子相続の再考を
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」159/通算591 2023/4/1/土】このところ腰痛でブルーだが、多動爺のため「俺には来年はない」と焦りまくってもいるから、いささか二律背反で慌ただしい。昨日は屋上庭園の手入れをチョロっとするつもりが大手入れになり、すっかり綺麗になったので気分爽快。その勢いでチャリ散歩に出かけて一句ひねった。
我が街が 観光地と化す 染井吉野(雀庵)。結構な人出。
しかし帰宅して階段を昇り始めると腰が痛い。腰痛ベルトをしていたのだがハシャギ過ぎた。ベッドに倒れ込んで「いい気になって無理するからだ」と反省しきり。「やっぱり俺には来年はないのだ」。こんなことを繰り返して人は晩年を送るのだろう。自宅で家族に看取られて逝きたい・・・
小生の東京側の多摩川土手散歩コースで1月中旬、一人暮らしの90歳の夫人が強殺された(狛江事件)。夫人の自宅は2階建ての大きくて真っ黒な家で、小生はいつも「息子の趣味か、シュールだけれどちょっと悪趣味じゃないか」と思っていたが、3月になって散歩を復活して見ると、家のオーラがすっかり消えていた。「住人がいないと家は死ぬのか・・・」と複雑な気分になった。
子供がいるのに誰も老親の世話をしない・・・日本を二度と戦争のできない国にするという米国GHQは日本の「家制度≒一子相続」を破壊した。その効果が年々昂じているようだ。
<家制度とは、1898/明治31年に制定された明治憲法下の民法において規定された日本の家族制度。親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を「戸主と家族」として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えた。この規定が効力を有していたのは、1898年7月16日から1947年5月2日までの48年9か月半ほどの期間であった>(WIKI)
家制度、戸主制度は、古くは大化の改新に始まるという。「孝徳天皇の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである」(同)
一子相続/単独相続は、被相続人の財産・地位などを単独で相続すること。日本では家督と財産が相続の対象とされ、家督は長子単独相続が一貫して行われた。財産相続は、鎌倉時代まで分割相続が一般的であった。鎌倉末期になると、武家社会では所領の細分化を防ぐため単独相続に移行し、「惣領が庶子を扶持する」習慣は江戸時代まで続いた。そのため家督相続をめぐる争いは深刻さを増した(旺文社日本史事典)。
明治の家制度=相続制度がGHQにより破壊されると、本家、分家、親戚、一族といった相互扶助体制も弱体化した。「死んで恨みを残す遺産かな」と母はよく言っていたが、父方の爺さん(小生の祖父、通称「本家のお爺ちゃん」)が亡くなると父など子供7人ぐらいが本家に乗り込んで、それぞれテニスコートの2倍ほどの土地を分捕っていった。以来、本家との付き合いは薄くなった。
明治維新以降、“遅れてきた青年”の日本は世界の先進国を見習うために「岩倉使節団」を派遣する。明治4/1871年から明治6/1873年まで、岩倉具視を全権とし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名が米欧12ヶ国を訪問した。この際、宰相ビスマルクの奮闘で1871年1月に統一されたばかりのドイツ帝国は、日本と同様の新興勢力だったこともあって大いに影響を受けたという。日本の家制度=相続制度はドイツから学んだのではないか。日本大百科全書によると――
<ドイツでは古くから原則として共同相続が行われていたが、封建時代には貴族の土地について単独相続が行われるようになった。農民の土地については、中世においても原則として共同相続が行われたが、農地の細分化を避けるため一子相続が広く慣行として認められるようになった。
19世紀の後半には農民の一子相続を認める立法がドイツの各地方で行われた。1874年のハノーバー法は、農地の所有者が任意にその土地を農場登記簿に登記すれば、その土地は一子相続あるいは共同相続の対象となるものと規定した。1898年のウェストファーレン法では、農地の所有者がなんらの意思表示をしなくとも、官庁が適当な農地を一子相続の対象として登記すると定めた。一子相続法は強行ではなく、これと異なる遺言がある場合には適用されなかった>
腹が減っては戦はできぬ。農業=食糧は戦略物資であり、広大な農地を擁する米国は1776年の独立の頃は大規模農業がずいぶん発展していたろう。日本が戊辰戦争でバタバタしていた1868年には蒸気機関の「スチームトラクター」の開発が始まったという。ドイツに限らず先進国では農業の大規模化、機械化が大きな課題であったのだ。
しかし日本は農業改革では失敗した。工業化を優先するために農家の次男、三男の労働力を必要としたため、農業改革、農業近代化にまで手が回らず、戦前は70%の農家は大なり小なり土地を借りる小作農民のままだった。敗戦後にGHQが「地主制度の解体による自作農の広範な創出」という農地改革を断行したが、貧農など弱者による共産主義革命を恐れていたという。閑話休題。
戦雲たなびく今、セイフティネットとしての「家制度≒一子相続」を復活する必要はないか。戦前のようにとはいかないだろうが、血族を団結させる、皆で支え合う、という相互扶助体制は、ないよりあった方がいいと思う。孤高を得意がっていたような荷風散人は空襲で家を失った後、人脈を頼って右往左往し、避難先でも空襲に見舞われるなどして寿命を縮めた。
なんぞの時は国が面倒を見てくれる? 寒々とした体育館に避難する? それとも親戚の家で「困った時はお互い様、助け合うから一族じゃないですか」と慰められながら避難生活を送る? ひ弱で腰痛の可哀そうな老人の小生は子供や親戚の世話になりたいけれどなあ・・・古人曰く、備えあれば憂いなし。
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