我が師「小塚光治先生」の生涯(1)
我が師「小塚光治先生」の生涯(1)
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」269/通算700 2024(令和6)年2/8/木】雪や雨の日以外はほぼ毎日チャリ散歩している。外出すると多くの発見、刺激があり、それは嬉しいことから悲しいことまで色々だが、「脳みその劣化を遅らせる」という効き目はあるようだ。1時間ほどの散歩から帰った時は疲れ果ててヒーヒー、フラフラ、ヨロヨロ、ヘロヘロだが、解放感に満たされて気分はすっきりする。脳みそも洗われたとか充電したような感じで、「ああ、面白かった」とすこぶる充実感、満足感がある。
それは仕事を終えて酒の最初の一杯を飲んだ感じに似ているが・・・「一度アル中、一生アル中」、小生は2016年11月に急性期閉鎖病棟に措置入院させられてから7年も断酒中だが、未だに未練たらたら、せめて最後は吟醸酒からバーボンのメーカーズマークまで飲みまくって成仏したいと思っている。が、生き返って顰蹙を買ったりして晩節を汚しそう・・・呑む兵の古人曰く「酒は敵、分かっちゃいるけど敵に会いたい」。飲酒→アル中→体調悪化→入院→断酒→油断→飲酒→アル中・・・それを繰り返す人も結構いるようだ。「人間は成長せずに歴史を繰り返す」というが、ま、悩ましいことではある。
我が家から多摩川の川崎市側土手を東京湾方面へ下ると「二子橋」に至る。そこは「大山街道」で、橋を渡れば東京都世田谷区の「二子玉川」、大都会だ。川崎市側の大山街道は「古道」の風情、風格が残っており、2年ほど前にチャリ散歩していたら「大山街道ふるさと館」という施設を発見し、見学した。改めて調べたら以下のサイトがあった。
<川崎市大山街道ふるさと館について:当館のある地域は、江戸時代に大山街道の宿場(二子宿・溝口宿)として、大いに栄えた歴史を持ちます。当館は、平成4/1992年8月1日、大山街道沿いの高津区溝口に、大山街道にかかわる歴史・民俗等に関する資料や郷土にゆかりのある人の美術、文学等の作品等の展示を行うとともに、市民に学習の場を提供し、市民の文化の発展に寄与するために設置されました。展示室では、大山街道に関する展示など年4回の企画展を開催し、企画展以外の時期には、この地域の民俗・歴史等をご紹介する常設展を行っております>
この「ふるさと館」で、小生が小4の1961年あたりから知っている「小塚光治(みつじ)」先生の編著書「やさしい川崎の歴史」を発見し、「へえーっ、先生は歴史にも詳しいんだ!」と意外な感じを覚えた。
当時、小塚先生は我が町「宿河原」で「ソロバン塾・ピアノ塾」を開校した。小生は父が公務員を辞めて乾物屋を開業したため「ソロバンくらいは覚えておいた方が良いだろう」と早速、小塚先生の“門下生”になった。その後、先生は塾を「多摩英数学院」に変えたが、小生はそこでも数学を学んだものだ。これまた家業に役立つと思ったから。
父は職業柄と、高度成長で人気の株式投資もしていたから日経新聞を購読しており、小生は最終面の「私の履歴書」を愛読し「数字に強ければ出世できる、儲かる」と“洗脳”されていたのかも知れない。長じてから経済記事を書く上では数学を学んだこと、「私の履歴書」を愛読したことはプラスになった。大学は「私の履歴書」で知った森ビル創業者の森泰吉郎氏が学部長を務めていた横浜市立大学商学部を選んだが、皮肉にも商学部で学んで思い知ったことは「俺は金儲けに興味がない!」だった。
ボタンの掛け違い? 衣食住足りて清貧嗜好が芽生えてきた? 想定外だが天命なのか? 天に導かれる・・・良くある話かもしれないが、人生とか天職はそういうものか・・・不思議な気がする。閑話休題。
小塚先生は学習塾の経営者だから時々しか見かけなかったが、その後、多摩英数学院は発展的解消して1965年に「川崎みどり幼稚園」を設立した。ナント、1985年に長女、86年に次女がその幼稚園に通うようになると、入園式、卒園式などで先生を見かける機会は多くなった。次女の入園式で小塚先生は良い話、訓示をするはずだったのだろうが、4歳、5歳のサル以上人間未満の新入生は興奮してキーキーキャーキャー、小塚先生の堪忍袋の緒が切れて「静かに! みんな静かにしなさい、これから先生がお話ししますから・・・静かに!!」。結局、先生がどんな訓示をされたのかは記憶にないが、先生は、戦後生まれ、GHQ育ての親、その幼児のマインドを知らない、分からないのだなあと苦笑したものである。
(今の小生は「このままでは日本沈没だ」と危機感を持っているが、当時はバブル前夜で暮らしはそこそこ安定していたから“苦笑”したわけだ。調べたら1985年あたりは国民の75%が中流意識を持っており、1億国民全体が平和ボケしていたよう。その代償は大きいだろう)
それから幾星霜、小塚先生は「桐光学園中学校・高等学校」も創立した。WIKIによると、
<桐光学園中学校・高等学校は、神奈川県川崎市麻生区の私立中学校・高等学校。桐光学園は、元川崎市立高校教諭の小塚光治により1965年、川崎みどり幼稚園(現・桐光学園みどり幼稚園)が創設されたことに始まる。 1972年に学校法人桐光学園が設立され、寺尾みどり幼稚園開設、1978年に高等学校、1982年に中学校を開校。1991年に中高女子部が開設された。
小塚理事長は、当時「神奈川御三家」の一つであり、多数の東京大学合格者を出し野球部が甲子園にも出場していた「桐蔭学園」高等学校から鵜川昇(桐蔭学園学園長)を「桐光学園」理事として招聘し、桐蔭学園のシステムを導入した。当時は兄弟校を標榜しており、現在も桐蔭学園と同様のシステムが多数残っている>
桐光学園の「光」は小塚光治先生の意だ。桐光学園のサイトには創立者である小塚光治先生の以下の「川崎みどり幼稚園開園建学のこころ」があった。
<心と心がふれ合う、喜び・怒り・感激がわき起こる、教師の心と生徒の心が火花を散らす、生徒と生徒の心が火花を散らす。
この火花によってお互いの心がとけ合い心の扉が開けます。この火花によって心を練り上げる、心をきたえるのが教師であり、その場が教室であり、団体訓練であり、クラブ活動であると信じます。
全職員が一つになって、生徒の心の扉を少しずつ開かせ、すなおな心、やさしい心、すべてに感動する若い魂、すばらしい個性を引きだし、これらを良いものに作りあげたい、伸ばしたい。この場が桐光学園であります>
子曰く「学びて思はざれば則ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば則ち殆(あや)ふし」。次代を担う若者を育てていくという小塚先生の気概がうかがわれる。
小塚先生については以上のようにざっくりとしか知らなかったが、今年になってから大山街道を散歩していると両側の建物などの風情、風格が随分良くなっており、「みんなコロナ禍を乗り切って元気を取り戻している」と嬉しくなったが、「そう言えば小塚先生の『やさしい川崎の歴史』」を読んでいなかったなあ、読むべし」と天啓がひらめいた。
どんな内容なのだろうと調べたら「古書店のKITANO」サイトにはこうあった。
<「やさしい川崎の歴史」小塚光治編(桐光学園初代理事長)・川崎歴史研究会、1970年5月1日(初版第1刷)。解説:たくさんの写真とやさしい文章で川崎の姿をとらえた、ただひとつの歴史書、一家に一冊みんなで知ろう川崎の今昔、小・中学生にもかかせない社会科副読本。
目次:1)人間が済みつく前、2)石器・土器をつかった時代の川崎、3)日本の国ができた時代の川崎、4)奈良・平安時代、5)鎌倉時代の川崎、6)室町・戦国時代の川崎、7)江戸時代の川崎、8)明治時代の川崎、9)大正時代の川崎、10)昭和時代の川崎>
「タウンニュース」2021/8/20では小塚光治先生の養子になった小塚良雄氏(76歳)をインタビューしている「麻生と私 第5回 区制40周年プレ企画 地域に愛され続く学校を」で、こう紹介していた。
<栗木の地に1978年に創立した桐光学園。小学校から高校まで約3000人が通う学校の理事長を務める。日々、学校の在り方を模索し続ける中、常に心にあるのは、創立者の義父、故・小塚光治氏が遺した「地域に根差した学校でなければ存続できない」という言葉だ。
27年前にバトンを受け継ぎ、同校の経営に携わるようになった。病院の建築・設計から違う分野への転身だったが、地域の理解や協力を得ながら学校づくりを進めることを大切にしてきた。
運動部、文化部ともに全国で活躍するクラブも多数。「全国での活躍を地域の誇りとして思ってくれる」と区内からの声援を喜ぶ。「地元が応援団になってくれるのが生徒の大きな力になる」と欠かせない存在だ。
昨年の緊急事態宣言時に休校も余儀なくされたコロナ禍、「みんなが『答えのない世界』を感じた」とし、「これからの教育で必要となるのが「『自分の答えをつくる』こと」だと考える。「勉強でもクラブ活動でも、学生時代にいかに自分たちで考えて経験を積ませるか、注力したい」>
小塚光治先生の遺志はしっかりと後人に受け継がれているようだ。で、早速、図書館で「やさしい川崎の歴史」第5版(1990年)を借りてきた。初版は1970年だから、そこそこ読まれていたようだが、小塚光治先生が亡くなると絶版になってしまった。良書なら読み継がれ重版されているはずなのに・・・と読み始めたら、小生が知らなかった「もう一人の小塚光治先生」が縦横無尽に「志」「主張」「歴史観」を唱えていてびっくりした。以下、次号に続く。
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