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花火大会で彼女と別れた話

燦然と輝く花火の下、告白をするのは青春漫画の王道でもあり(※花火の音で掻き消されるものも含む)、憧れでもある。

そんな花火大会で、僕の友人は彼女と別れてしまった。

「友人の話なんだけど〜」から始まる恥ずかしい話や痛い話は基本自分のエピソードであることが大半だが、今回に限ってはそんな深読みはいらない。考えてもみてほしい。俺と花火大会を一緒にいってくれる彼女がいると思いますか???

書いてて惨めになったので話を戻すのだが、友人の証言では彼女と花火をともに観るという甘い瞬間を送ったにも関わらず、その日に彼女から別れを切り出されたのだと言う。摩訶不思議だ。

この際、別れの言葉はこうだっだ。



「花火みた感想が″えぐい″はちょっと…」


実に滑稽である。


花火を観た際、友人は「綺麗」や「迫力ある」などとありきたりな言葉や感嘆の声を吐くのではなく、彼女を横にしながら「えぐい」を連呼していたのだ。

それだけで別れる彼女もどうかと思うが、僕に″彼女がいたとして″花火をみて横で「えぐい」を連呼していたら百年の恋も冷めてしまうような気がするし、実際彼女は2年ほどの恋が冷めたのであろう。そう考えるとその日に別れを切り出した彼女は割と正解のような気もする。


何はともあれ、この一連の出来事から皆は何を思うだろうか。私が思うに、語彙力は高い方がいいと言うことだ。

タイトル詐欺も甚だしいが花火の話はここまでにして、″語彙″について軽く書こうと思う。


私は語彙力がある人が好きだ。教養を最も感ぜられるのは語彙の豊富さと言っても良い。ユーモア(話の面白さ)のほとんども語彙力である。

日常会話の中で小難しい言葉を出されると腹立つ、嫌だという人がよくいるのだが、僕はむしろ逆だ。その人への尊敬が勝ってしまう。

語彙を知っていてもそれが頭にあるだけでは勿体無い。正しいタイミングに正しい用途でそれを発してやっと語彙力になる。

例えば、日時会話でもよく使うであろう「無駄な努力をする」という言葉を他の語で言い換えてみてほしい。


″骨折り損″、″徒労″、″無駄足″、ニュアンスはズレるが″水泡に帰す″などなど沢山あるだろう。

そのように様々ある類義語の中で″賽(さい)の河原で石を積む″等の語彙をさらっと使われたら、私はその人のことが堪らなく好きになってしまう。

(※「賽(さい)の河原」という仏教から来た言葉がある。 親よりも先に亡くなった子供は、冥土の三途の河原で父母供養のために石を拾って積み上げ、石塔を作る。 完成する直前に鬼が来て、苦労して積んだ石塔を崩してしまう話である。 転じて、報われない努力を続けることを「賽の河原の石積み」と表現するようになった。)

不意にみえる他人の賢さの片鱗がとても良い。

ことわざや四字熟語、故事成語などの知識は勿論、比喩や倒置法なんかの言葉の言い回しにも語彙力は現れる。レトリックも大事である。

本をよく読む人でも日常会話の語彙力があるかと言われたら人並みであることが多い。普段から活字や文章に触れる機会が少ないのはもっての外。

大切なのは、知識(語彙)を得るインプットの機会を増やすだけでなく、常に得た言葉や言い回しをアウトプットすることで語彙力をモノにするということだ。

TPOに合わせた語彙の使い分けができるのが1番良い。簡単な語彙から小難しい語彙、わかりやすい言い回しからセンスのある言い回し、そのどれもを取り出せるストックを備えているのといないのとでは言葉の質はまるで異なる。語彙力とはグラデーションだ。


まとめ

前半とは大違いでだいぶ堅苦しい内容になってしまったのでさっさとまとめると、彼女とみる花火でえぐいを連呼するなということだ。



こんなに語彙について書いて、まとめの内容これなのえぐいな

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