ゴリラ的妊娠生活 #2 不安と葛藤

次の開院日を待つ間、夫とは何度も話し合いました。
自分は子供をもつことには大きな不安があり、できれば中絶したい気持ちでいました。
また、胎嚢がまだ確認できていないことから異所性妊娠だったら命を落としかねないこと、
さらには数年前に流産も経験しているのでもうそんな思いはしたくないということも伝えました。
40歳手前まで気楽な子なし生活をしていたわけですから、子供を産み育てることは、自分にとって荷が重すぎると思いました。
全て包み隠さず夫にぶつけました。
毎日毎日、涙が枯れるほど泣いて悩みました。

夫が子供が欲しいと思っていることをワイは知っていました。
ただワイが異所性妊娠と流産、その後もなかなか妊娠しなかったこと、そしてワイが「子なしで生きていきたい」と伝えたことによって夫は子供を一度は諦めたのです。

当時、夫37歳、ワイ35歳。

もしかしたら最初で最後のチャンスになるかもしれない。
産んで欲しい。
そう考えたであろう夫は、ワイにこんなことを言いました。

「産んで育てられなくてもいい。俺が1人で育ててもいい。俺の子供は君にしか産むことができない。この先どうなるかわからないのはいつだってそうだ、お腹の子を大事にしてくれないか」

ワイはその言葉に返事ができないまま、お盆が終わり、胎嚢確認の日がまたやってきました。

胎嚢は無事子宮の中にありました。
医師に「中絶を考えている」と伝えると医師がとても冷たい口調に変わったのを覚えています。

中絶は22週まではできるし、初期中絶も11週くらいまでは可能なのでそれまでは妊娠を継続することにしました。

妊娠がわかって約1ヶ月、8週か9週くらいにエコーを受けに行きました。
まだお腹の子に全く愛着もないまま、漠然と流産のことを考えながら内診台に上がりました。

エコーで見た我が子は、立派に人の形をしていました。
まるで生まれる時のような、脚を曲げて両手を顔の横に置いた姿で写っていました。

お腹の子が育っている。

その事実はワイの心に大きな変化を与えました。
言いようのない、溢れんばかりの熱い気持ちが湧きました。
ワイはこの子を産んで育てたい、と強く思ったのです。
話し合いの中で夫は「君を見る限り子供が嫌いだとは思えないし、ちゃんと育てられると思う。愛情もある人だから」とワイに言ったことがありました。

内診台の上で声をあげて泣きました。
医師に、「産みたいと思う」と伝えました。
そこは分娩はやっていないが、産院の紹介など最大限のフォローをすると医師は言ってくれました。

帰りの電車の中で、夫に連絡をしました。
産みたいと伝えたら夫は安心と喜びをこちらに伝えてくれました。

気持ちとしてだいぶ遠回りをしましたが、かくしてワイの妊娠生活はスタートしたのです。

いいなと思ったら応援しよう!