「北越雪譜」を読む:1
はじめに
ずっと、「北越雪譜」について書いてみたいと思っているのだが、書きあぐねている。
「北越雪譜」は、江戸時代後期、鈴木牧之によって書かれた、雪国の生活誌である。
私自身は、古典の素養があるわけでなし、大阪生まれ大阪育ちで、雪国にはあまり縁がない。母方の祖父母は新潟出身だが、母は大阪で生まれており、親戚に会いに行くのも20年に一度と言ったペースだ。
もう5年ほど前になるが、新潟県北部に住む母の親戚に会いに、父の運転する車で行ったことがある。
新潟に行くなら、私はぜひとも南魚沼にある鈴木牧之記念館に寄りたかった。
とりあえず父には、事前に、池内紀が現代語訳と解説をしている、小学館地球人ライブラリー版の「北越雪譜」を読んでもらった。父はなんじゃこりゃ、と言いつつも目を通してくれた。母も博物館などに行くのは好きなはずだから、行ってしまえば楽しんでくれるだろうと思った。
大阪から、もうほとんど自分たち夫婦しか乗らないだろうからと父が買い替えた軽自動車に乗って、両親と私は、琵琶湖の東側から福井県に入り、日本海沿いを北上して新潟を目指した。
その当時私はまだ運転免許を持っておらず、母は家の近所しか運転しないので、新潟までの全行程を父が運転した。歳をとってきて、車で旅行するのは最後かもしれない、と言いながらの大移動だった。
妙高高原で一泊し、南下して魚沼市に入り、コシヒカリが美味しいというご飯屋さんで昼食を食べ、それから鈴木牧之記念館に行った。
私は展示物を一つ一つ見て、挿絵と同じ道具を見ては感激し、解説を全部読んだ。
受付で記念館が出している薄い本を2冊買い、来館記念のスタンプを、持参していた岩波文庫の「北越雪譜」の白紙のページに押した。スタンプの図柄は、雪の上を歩く時のかんじきと、かんじきを履いて誇らしげにこちらを見て微笑んでいるおじさんの絵だ。
先に展示を見終わった両親は、ベンチで待ってくれていた。
「北越雪譜」の作者・鈴木牧之は、江戸時代後期の明和七年(1770年)、今の新潟県南魚沼市塩沢に生まれた。いわゆる越後商人である。
筆まめな趣味人でもあり、江戸の文化人とも交流があった。その鈴木牧之が、雪国の暮らしをユーモアを交えつつリアルに描いてベストセラーになったのが、「北越雪譜」だ。
「北越雪譜」を知ったのは、中谷宇吉郎の「雪」を読んでいる時だった。
仕事の休憩時間、本を持って出るのを忘れたのだったか、野菜たっぷりのランチが食べられるパン屋さんのイートインコーナーで、私はスマホで青空文庫を開いていた。最近更新された作品のリストの中に、中谷宇吉郎の名前を見つけて、小学校の国語の教科書を思い出して懐かしくなった。短いエッセイをいくつか読んで、それから「雪」を読み始めたのだったと思う。
さっそく第一章の冒頭に、「北越雪譜」が出てくる。読み進めるうちに、私は「北越雪譜」の方が気になってしまって、途中で「北越雪譜」をダウンロードして読み始めた。
その日の帰り、仕事場の一番近くの比較的大きな本屋に寄ったが、岩波文庫の「北越雪譜」は置いていなかった。次の休みの日にこのあたりで一番大きな本屋で、ようやく手に入れることができた。
岩波文庫におさめられているくらいだから、有名な作品に違いない。しかし、比較的大きな書店で、岩波文庫のコーナーがあるところでも、冊数を絞られると弾かれてしまうくらいには世の中に知られていないらしい。たまたまその日に品切れしていただけかもしれないが。
これまでに関連本が出ているだろうかと調べてみたが、最近出た本はなさそうだ。それでもいくつか、古本で関連する本を買って読んでみたりした。
「北越雪譜」はとても面白い。もっと知られてほしい。
私が広めてみても、良いんじゃないだろうか。
初めて読んで以来、ずっとそう考えて来た。
しかし、具体的にどうしたら良いかわからないので、しばらくは、馬鹿正直に一から読んで行ってみよう。改めて読んで面白かったところを、ここで紹介していくことにする。
関連本でさえ、どうしても雪国の生活の苦しさに重きを置きがちなところを、違う視点から読んでみることをすすめたいと思う。
もう一つ、不要論が出るくらい苦手な人が多いらしい古文も、江戸時代後期の文章なら読みやすいことも、併せて伝えられたらと思う。
「北越雪譜」は、青空文庫のほか、岩波文庫、ワイド版岩波文庫で読むことができる。挿絵を細かく楽しめるので、岩波文庫がおすすめである。(青空文庫版にも挿絵はあります)