ワンダラーの秘密 (3)
ワンダラーであるということは、そのまま、ワンダラーとして生きる、ということに直結しています。
そうと自覚したその瞬間から、冷たく光る刃が、多方向から首筋にヒヤリと感じられると思います。
踏み出す一歩を問われ、覚悟というものがどういうものなのかを日々の暮らしの中に知ることになります。
そして、こういったことがすべて単なる思い込みである可能性だって、大いにあるわけです。それこそ人生そのものがヒヤリとします!
そういうギリギリの場所を、真の心に適う一歩であるかどうか確かめながら歩くのです。
この社会で人間として生きてきた自分なりの観念と、ワンダラーとしての観念には大きな渠が横たわり、その折合いを図るものは自分の中だけでの調整でどうにかなるものではない、というのがわたしの今のところの考え方です。
ワンダラーはワンダラーとしての素地を当然持っているので、もともとこの世界に対しての疑念や執着の薄さがあるでしょう。
自身の在り方やものの感じ方に懐疑心や哀しみを持っているので、自分がワンダラーてあるということについての抵抗は、当人であればそこまでないと思います。
だけどそのことと「ワンダラーとして生きる」というのは、まったく別の、まったく違う次元の話です。
ただ、わたし個人の場合で言うと、自分がワンダラーだと知ってからの方が、断然、生きているのが楽になりました。
エネルギーの使い方がはじめから間違っていたのです。
本来の自分の道ではなく、「自由」という言葉の意味を履き違えて信じていたので、必死に本道とは違う道を歩こうとして、ずっと疲れていたのでしょう。
それでも、あちらとこちら、その狭間で地のワンダラーとしてこの世を生きるのであれば、やはり、精神と心の安定を保つための拠り所が必要になってきます。
その拠り所こそが、ワンダラーが仕事をするにあたって必須の学びであり、人間の秘密とも言える「闇」への理解なのです。
「闇」への理解というのは、立場によって見事に異なったものになるようで、それだけわたしたちにとっては多面性のあるものに映るのでしょう。
そんな謎に満ちた「闇」について、どんな解釈に正しさを見出すかは個人の自由ですが、しかしワンダラーが知っておくべきことは、その驚くべき側面だと思われます。
人間の持つ闇については、抽象的のような、でもそうだとしか説明できないような、そういう言葉でシンプルに語られています。そう多くの説明がなされるわけではありません。なので、認識と理解が繋がるまで、わたしたちは本当によく考えなければなりません。簡単ではなかった筈です。明かされた言葉は不意打ちのように投げ込まれた意外性の塊でした。それを頭で理解しようと立ち止まりますが、その一方で心の奥底では、はじめからこのことを知っていた気もするので、やがて、やっとスッキリして安心できた…そんな感想が持ち上がって来るのではないでしょうか。
不思議な言い方になるかもしれませんが、「闇」への認識の持ち方と、そこで得られた理解の深さこそが、わたしたちを光と同じような強さで支えてくれる秘密のひとつに違いありません。
逆に言えば「闇」に対して、ワンダラーの立場からの理解がなくては、そもそもワンダラーとしての仕事が何一つできないことになります。
この「闇」への理解と、その認識の上空から降り注がれる「慈悲の心」こそが、ワンダラーがひとりで請け負う仕事の過酷さから身を守り、己を信じて歩く心と、踏み出すその一歩を支えてくれるのです。
そして、この場に置いておきたいものとして、当人にではなく、それぞれの地のワンダラーの理解者として、いつも傍で支えてくださっている方々への感謝があります。
このことは、地のワンダラーがワンダラーであるという根幹を支えてくれる、最も強力で偉大なサポートとして、わたしたちが常に感じているものです。
わたしたちがワンダラーであるためには、この世界を愛していなければなりません。
愛がなければ無理なのです。
肉体を持ち、心を持ち、闇を持ち、そして任務を果たす。
正直、一秒でも早く離脱したいに決まっています。
けれど、今この時、わたしたちをこの地に留めているのは、愛とはなにかを教え、愛がどう表現されるかを常に間近で見せてくれた、そして何より、人間の素晴らしさを信じさせてくれた、あなた方の献身そのものなのです。
わたしたちが見届ける勇気と覚悟を失わずにいられるのは、最後の時にこの身で受けるカルマへの慄きよりも、あなた方が生きるこの世界を心から愛すことができたおかげなのです。
その感謝を、ここでお伝えしたいのです。
日常に滔々と満ちて溢れるエネルギーの美しさを知り、人の慈しみの心を知り、可能性を知り、そうして人の身と情が織りなしてきたカルマへの理解を深めながらこの世界を愛すことができてはじめて、わたしたち地のワンダラーは人として道を歩むことができます。
わたしたちが目覚めたまま、これから辿る道のりへ向かうには、どういう形であれ、人の身をもって真の心へと通じる愛というものを知ることができる環境が不可欠でした。
この混迷、混沌の出どころと向き合うにあたって、もはや義務感だけではやり遂げられない、そういう状況だからです。
どこまでも、日々の暮らしを見るということが最重要視されるのは、結局そこにすべてがあるからだと思っています。
傍でその活動を見るというのは、当人よりもずっと過酷なことかもしれません。やはり地のワンダラーは普通の社会生活を送ることが困難になりがちだと思うので、現実生活との架け橋となり、見守り、支えてくれる忍耐は並大抵の精神力では持てないものだと思います。
また、ワンダラー自身としては、各々、決して個で活動できているわけではなく、もっと大きな力添えが常にこの地にあってこそのお役なのだと知っておくべきです。
お伝えしたかったワンダラーの秘密とは、
その存在を根底から支えているもの。
ワンダラーが人として地に留まることができるのは、無償の愛と鋼の忍耐によって、愛を教えてくれる存在があってこそ、という事実です。
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