これだけあってもキャリアにはならないの?

22歳大卒で就職し、1年ちょっとで結婚のため退職後嘱託としてフリーランスで34歳まで食いつないだ。
その間、「一人でやっていると知識がつかない」危機感にかられたことと、指導教官から「ぜひ大学院に進学させてほしい」とご連絡までいただいたのに「大学院なんか行ったら嫁に行けなくなる!」と戦前生まれの親に断固阻止され(国立大だったので当時の授業料は10万円ちょいぐらい)、ずっと未練があったこともあって、25歳で出産して、27歳で大学院に戻った。
その間も仕事は続けていたので、子育てと勉強とで考えてみればすごい日々を送っていた。

我々世代、「女は家事ができて当たり前」なので、家のことも完璧にやり、子育てもちゃんとやり、仕事と勉強やるには睡眠時間を削るしかなかったけど、若かったし、自分がやりたいことだったのでやっていた。

最初の就職先のシンクタンクが、もうみんな「楽しいから働いている」人ばかりで、私もやりたい仕事だったから、始発の終電帰り当たり前でも続けていた。
実家から通う条件での就職だったので、親には「女の子にこんな働き方させるなんて!」と言われていたが、「いや、女の子じゃないし」と思いながら、とにかく家を出たかったのでとっとと結婚した。

でも、「跡取り娘」呪縛はすごくて、いつも親の都合を優先して、自分のことは後回し。刷り込みってすごいなと思う。昭和だったけど。

ということで、私にとって「仕事」は家事も育児も親孝行も全部やってからやるものだった。「仕事」は「自分のこと」だから。
今考えると自分でもすごいなーと思う。

まあ仕事の世界は男社会なので、「子供がー」「家の都合がー」とでも言おうものなら、蹴倒されてはじき出されるからですが。
さらに大学院にまで行くって、私ってバカですか?と今なら思う。

という働き方をしていたので、34歳の時に任期採用で某大学研究所に入ったが、任期採用だったので、嘱託の方の仕事も続け、さらにそこから派生した別の外注先の仕事も続けていた。
任期採用なので、4年後には任期満了になるのがわかっていたから。

そうしたら任期満了になった後、その「派生した別の外注先」から正社員にならないかと打診があった。
39歳にもなると、老後も気になる。
フリーランスで仕事をしていると、老後は国民年金しかない。
会社員なら厚生年金積めるじゃん!ぐらいの気持ちで、正社員になった。

最初は実績のある公共系のレポートを書いていたのだけど、「あれ?この人できるんじゃない?」的にどんどん仕事は広がり、一般企業の市場調査もやることになった。
気づいたら国内出張どころか海外出張までしていて、本社転勤にまでなっていた。
「実家から出られない」はずの、某県から一生出ることはないだろうと思っていたのに、自分でもびっくらぽんである。

実は役所の仕事というのはルールがいろいろとあり、かつ県や国の公務員の方々はきっと外から見ている以上に高学歴で賢い方々が多いこと、曖昧は許さないことが多いので、仕事をしているだけで、いろいろとスキルが身についていたのです。
一般企業の市場調査など、これらと比べたら、データ収集して集計していればいいぐらいで、私にとっては気楽な仕事だった。

さらに海外との仕事をし始めたら、忖度だの裏を読めだのできずに日本ではコミュ障か?と悩んでいた私が、言ったことはちゃんとやってくれる、やれないことはやれないと言う、「こうやったらやれるのでは?」と言えば日本では「空気読めよ」だったのが「おーワンダフル!」になるなんて経験をして、もう楽しくてしょうがない。

衛生観念も田舎育ちはかなりハードル低いので、東南アジアも南米も、インド1ヵ月でも、おなかも壊さず、毎日楽しくてしょうがない。
当時は耐久消費財を担当していたが、何か国行ったのかも覚えていないぐらい「他の人には行かせられない国」に行かせてもらった。
もちろん旅行ではなく、そこで現地スタッフとともに「仕事」をした。

立ち上げがうまくいくと、「私でもやれるかも」な人が出てきて、となるとなぜだか譲ることになるのだが、その後私が1人でやっていたことをやろうとすると3人ぐらいで行っていたようだ。「経験積ませるため」に。

その後所属が変わって、「未開拓の立ち上げが得意そうだから立ち上げ担当に」みたいな立ち位置になって、立ち上げしては若い人たちに渡していた。
そしてやれなくてつぶれていった仕事も多々。

私は結構優秀だったんだと思う。誰も言ってくれないから自分で言うけど、、で、空しくなって辞めることにした。

その後2社目に移ったが、「立ち上げだけ」の人ってそれは「キャリア」にならないらしい。
ある程度の年齢になると、キャリアは管理職としてマネージメントした人数であったり何かの専門性(○○業界だけやってましたのような)だったりする。

市場調査会社2社目に移ったのは54歳で、もう世の中の仕組みがわかりすぎるほどわかっていたので、言われたことだけやろうと心に決めていた。
厚生年金の年数稼ぐために。

ここでもまた、「メインは集計と分析」なので、海外調査のアテンドも、若い営業さんたちのサポートも「やらなくて良いのにやってること」扱いになってしまった。

だからキャリアにはならない。そういうものらしい。

たぶん会社が求めている「やってほしいこと」と自分が「やりたいこと」がずれているんだろうなぁと思ってはいたけど、それならそもそも「やってほしくないことはやらせなければよいのに」とも思っていた。
でも、楽しそうだからやってしまう。やったことは誰かの実績になる。
それは「頼んでないのに好きでやっている」ことになるらしい。

それでも「楽しそうなこと」が含まれているうちはやっていた。
理由は単純。「楽しいから」
楽しいことをやるためなら、楽しくないこともやっていた。
でもそれは楽しいことをやるためで、楽しくないことだけをやるためではなかった。

なんて感じで、いろんなことをやってきたけど、それは私のキャリアにはならなかった。





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