待ってくれることの優しさよ

Jostunaジョーツナ、おにぎりみたいで可愛い彼女の名前ですが、私は省略してふつうにジョーと呼んでいます。

ジョーはとてもやさしいです。思いやりがあるというよりも、慈愛の精神のような優しさをもっています。

私は始め、彼女のことを、寂しいからすぐに誰かに話しかけたり世話を焼いたりするんだわ、とそう穿った見方をしていました。

実際話していると、60近い彼女とのコミュニケーションは母親や祖母と話している時のような受容感がするのです。
具体的にどんな感じかというと、「ごまかしてもいいのよ」という感じです。

今日のグループワークではジョーとバラバッシュと私の3人のグループで、3人のディスカッションを書くという場面がありました。その時、私のタイピングがあまりにも遅く、私が何の文をかこうとしているのか、2人はじっと待ってくれて、拙い私の文章を面白おかしく展開してくれました。
2人ともほんとうにありがとう!

私の母は小さいころから今も「知らないふり」を本当によくしてくれました。これは、とてもとても大切なことだと私は思います。

そういえば、昔のボーイフレンドが私の癇癪を「一旦保留」にしてくれたことがあった。あれは本当に嬉しかったな。そしてしばらくしてから「あの時のことだけど、そろそろ聞いてもいい?」って言われた時、彼の心の広さというか人として1番大切な優しさに触れたような気がして「この人には一生敵わないな」って思ったんだったっけ。


待ってあげたい。自分の時間軸じゃなくて、相手のスピードに合わせてあげたい。そういう優しさを持ちたい。

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