生活保護は終わりのない迷路のようで
双極性障害で働けなくなって、生活保護を受け始めて一年が経つ。
この一年は地獄だった……。一年記念ということでざっくり振り返ってみようと思う。
働けなくなるまでの経緯
2023年の12月からコールセンターで契約社員として働いていた。研修では優秀だと何度も褒められたし、業務も順調にこなしていたと思う。専門的な情報を扱う部署にも入れてもらって、やる気に満ち溢れていた。2月からは一人暮らしも始めた(貯金は全くなかったが、父と折り合いが悪く実家を追い出された)。
異変が起きたのは3月頃だったと思う。朝起きられない。こんこんと眠り続けるから、遅刻や欠勤の連絡を入れることすらできない。前日の22時から18時まで眠り続けて、ふらふらとトイレに行き、パンパンの膀胱からおしっこを絞り出すことも一度や二度じゃなかった。
このままでは死んでしまう、と思った私は、猫を迎えることにした。なにか頑張る理由が欲しかった。今思うと、猫のためにもやめておけと言いたいのだが、この時は完全に躁になっていて、誰にも相談せずに迎え入れた。
猫を飼ったしこれで死ねなくなった、仕事を頑張る理由ができたと幸せな気持ちになったのに、症状は改善しない。むしろ欠勤の回数は増え、ほとんど毎日遅刻するようになった。コールセンターは勤怠と受電数で成績をつけるから、どんどん叱責されるようになった。自分でもよくない状況なのはわかっていたが、どうしても「普通」ができない。医者の所にも遅刻して通うようになった。それでも通い続けたのは、薬欲しさ故だった。薬を飲んでも効いている感じはしなくて、どうしたらいいのかわからなくなってどんどん追い詰められていった。
この時期はまだ冷凍庫つきの冷蔵庫を持っていなくて、サイズもビジネスホテルにあるような冷蔵庫だったから自炊もろくにできなかった。たまに「生活保護の人が割高な(弁当とか)食事を摂るなんて~」と否定する意見がTwitterでバズるのを見るが、真に貧しい人は冷蔵庫を持っていない可能性がある。せいぜい飲み物しか保管できない冷蔵庫では作り置きなんて無理なのだ。
そんなこんなで体調の悪さのせいもあって食事はマルチパックのアイスをひと箱食べる、とか、時々Uberをする、みたいな不健全なものになっていった。特にUberは悪手なのだが、家の外から出られなくて、割高なのはわかっていても利用を止められなかった。
そんな不健全な生活を続けていくうちにどんどん頭がおかしくなっていって、ついには手首を切るようになった。といっても私はグロテスクなものが苦手だから薄皮一枚切りつける程度の深さだったが、それを二時間くらい続けたりしていた。当然腕は夥しいかさぶたで埋まる。ついには文房具のハサミで髪の毛をばっさり切り落としたりし始めた。
見かねた人事の人が「休んだ方がいい」と声をかけてきたのはこの頃だ。手首の傷も散切り頭もわかっていて言及しないでくれた。「身体を壊してまで働く必要はないんだよ」と言ってもらった。有給休暇を使うよう勧められて、8月中旬から二週間休んだ。
復帰後、朝礼が終わったらすぐに呼び出された。
私は契約社員だったから、勤怠が悪くて更新ができそうにないとのことだった。それでも働きたいなら頑張って交渉してみるが、それには9月は皆勤を目指す勢いが必要らしかった。
私はやめることを選んだ。
というより、辞めることは決めていた。有給休暇期間中に役所の保護課に行き、状況を相談していた。
もう、無理だと思ったのだ。とても働けない。起き上がることすらできない。助けてくれと門を叩いたら、意外にもとても優しく説明してもらった。
7月と8月の給料がまだ振り込まれてないことと、数か月分の傷病手当金が入金されるかもしれないこと(普通は毎月請求するし、一年くらいは働いてからじゃないと却下されるかもしれないのでこれは特例だ)を伝えたら、しばらくは生活保護を受けない方がいいと言われた。
住居を失うかもしれない人向けの補助金や、失業保険を使うように言われた。今思えば本当にその通りで、この時その選択をしていたらもう少し生活が楽だったと思う。しかし私は著しく判断力が低下していて、何が得なのかとかそういうことが一切考えられなくなっていた。
相談した次の日にもう一度来所して、手続きをさせてくれと言ったのだ。当然、止められた。それでも押し切った。生活保護を受けないと死ぬ……そんな焦燥みたいなものがあった。数日待てば7月の給料が入るというのに、なんてバカな行動をしたんだろう。そう思う。役所ではごねたもん勝ちなのか、最終的に私の要望は通って手続きをさせてもらった。
こうして私は無職の生活保護受給者になったのだ。
傷病手当金が入った
7月と8月の給料が一か月毎に入ったので、生活保護費の支給はなかった。私は税金と年金と保険料を免れるだけのよくわからない受給者になっていた。給料は15万ずつくらい入ってきていたと思う。このお金で三か月暮らさなきゃいけないのだが、すぐに生活習慣を改めることができず、二か月で使い切ってしまった。まったく収入がない月がひと月発生する。この時はどうにか実家から食料を貰ったり、光熱費を滞納したりしながら過ごした。あまり記憶がない。
生活保護受給者って貧乏なんだなあと思った。
私が他の生活保護受給者より貧乏なのには理由があって、家賃がすごく高いところに住んでいるせいがある。
ソシャゲで自己破産した人間の末路|已みさきあかり (note.com)
過去の記事を読んでもらえればわかるのだが、私の信用情報は真っ黒で、なかなか家が決まらず、実家から追い出されたので渋々家賃が高い家に住んでいる。なんでだよって感じだけど、今の家しか保証会社の審査が通らなかったのだ。
保護費で決まっている家賃の金額より2万円高いところに住んでいる。そのせいでいつもお金がない。よく「生活保護受給者はかえって貯金とかできて裕福な人がいる」みたいなのをテレビで見るが、毎月ちょっとずつ赤字である。いろいろタイミングをずらすことでなんとか回しているが自転車操業もいいとこだ。
早く引っ越すように保護課の方にも言われたのだが、引っ越してきて一年も経ってなかったので違約金が家賃二か月分あり、ここから出ることができなかった。来年の二月にはやっと違約金がなくなるので、その頃にはなんとか引っ越したいと思っているが、カードローンの踏み倒しが原因で審査には通らないだろう。賃貸するには保証会社必須にしたやつはどこのどいつだよ。本当に憎い。
そんなこんなでひいひい言いながら暮らしていたら、傷病手当金が入金された。金額はざっと50万円弱。生活保護の一時停止が言い渡された。ここまでくるとようやく私も「申請のタイミングミスったな……」と気づく。
悪い話だが、このお金を受け取った後に申請していれば、50万円は自由になったのに。人生でも三本の指に入るレベルの後悔だ。
このお金をできるだけ長く持たせるように言われて、後は放置された。私は言われた通り頑張りつつ、冷蔵庫だけは購入してやっと自炊できる環境を整えた。
再開する時はすぐだと言われていたので、お金がなくなるギリギリになってから申告したら、再開まで2週間くらいかかった。ここかなり罠だと思うからもっと事前に確認すべきだった。
ここでもまた記憶喪失タイムが挟まるのだが、なんとか再開してもらった。
この時非常に面倒くさかったのは、国民健康保険料へ加入・脱退手続きが必要だったことと、自立支援医療の保険証変更手続きが二回必要だったことだ。この手続きはできれば二度とやりたくないくらい面倒だった。
一時停止している間にはメリットもあって、私のようにかつかつの生活をしなくても無くなったら申告すればいいのだ。贅沢ができる一時的なチャンスとも言える。贅沢すればよかった。
ここ最近
ここ数か月起きたことはこんな感じ
・同人誌の売り上げが入って、また保護費が一時停止されそうになったが阻止した
・福祉サービス施設に通いだした
・猫が皮膚病になった
・医者から入院するように言われた
・同人誌の売り上げが入って、また保護費が一時停止されそうになったが阻止した
久しぶりに出した本がありがたいことに売れて、臨時収入があった。
保護費が一時停止になるとのことだったが、福祉サービス施設に通いたいけど一時停止期間中は通えるのか聞いたら、保護費のみ停止になった。
今思うとこれは悪手だった。面倒くさい手続きを我慢して、社会福祉協議会から借りている10万円の返済に少しでも充てるべきだった。それから引っ越し費用として貯金してもよかったかもしれない。めちゃくちゃ後悔している。人生で五本の指に入るくらいには。
また、夏の間にリアイベ参加しておけばよかったなと思った。遠方なので迷っている内に満了になってしまい、参加が叶わなかったが、失効する予定のマイルとか使って旅行すべきだったなと思う。そしたら余ってる本も捌けたかもしれないのにね。
この辺りから自分の知的障害を疑い始める。発達障害の可能性もある。病院で申告したが、ボーダーラインくらいかもねえ、で話が終わった。まあこういう障害は治療しようがないもんな。とにかく裕福になれるチャンスを全部自分で潰している。誰か助けてくれ。
・福祉サービス施設に通いだした
復職に向けてリハビリのようなことをしている。詳しくは書かないが、個別訓練をしたり、プログラムを受けてワークをしたり……という感じだ。
これがなかなか楽しい。カレンダーに予定があることがこんなに幸せだとは思わなかった。
社会の一部になったかのような感覚に心が安定する。半日出かけた後は、家のことなんかもこなせる。やることがあるって、社会に席があるって、嬉しい!
ただその代わり、何も予定がない日の落ち込みが激しくなった。とても辛い。誰か殺してくれ、とすら思う。
・猫が皮膚病になった
飼っている猫が皮膚炎になった。元々毛の薄い猫だなと思っていたのだが、どうも体質の話らしく、これは一生付き合っていかなきゃいけないらしい。
塗り薬はよく効くものの、対処療法かつ耐性がついていき効きが悪くなるらしい。
アレルギー(かゆみ)を抑える薬は2万円くらいするらしく、とても私の身分では払えそうにない。ホームケア用品もなかなかのお値段で買うことができなかった。
それでも猫がつらそうで見てられないので、なにかできないかと思って動物病院でサンプルを貰ってきた。療法食というらしい。価格は2kgで6,061円。動物病院専売。かなりきついが、背に腹は代えられないので試してみようと思う。これでまったく食べなかったらどうしたらいいんだろうね。その時はかゆみを我慢してもらうしかないのかな。でももう皮膚がボロボロなんだよな。
もしこの猫を飼ったのが私じゃなかったら、裕福なおうちだったら、こんなつらい思いはさせずに済んだ。そう思って自分のことを激烈責めている。
そもそも私が猫を飼い始めたのはエゴだ。さみしいから、頑張れないから……そんな理由で貯金もないのに踏み切った自分はなんと愚かだったんだろうと思う。こういうの誰も裁いてくれない。本当に悪事なのに。
正直に、ここだけの話をすると、手放したくはない(家族だ!)が、せめて金銭的な援助がほしい。後述の話に繋がるが、猫がいるせいで自分の治療もできていないところがある。お互いがお互いを苦しめるだけだ。貧乏人が猫を飼うと。今の私なら絶対に止める。ひとり寂しく死んだ方がマシだ。
それでも絶対に手放したくないし、できる限り幸せに暮らしてほしいと願ってしまうのは、これもまたエゴなのかな。死ぬまで一緒にいようね。
・医者から入院するように言われた
薬物療法の限界らしい。双極性障害の人に、鬱病の人並みの薬(向精神薬)を与えると元気(躁)になりすぎるそうだ。
だから使える薬が限られてるんだって。もう処方を試せる薬がないらしい。
薬は全然効いている感じがしない。飲んでもつらい。特に18~20時はこの世の終わりみたいな気持ちでいっぱいになって、全身が鉛のようになって、今すぐ「おしまいのスイッチ」を押したいと思うんだ。本当に苦しくて、ずっと溺れていて息ができないみたいになる。動画を流してもダメで、ゲームをしたりとかそういうこともできなくて、一人で横たわって波が過ぎるのを待つだけ。
それでも私は入院できない。先ほどの話に繋がるが、実家が猫を預かることを拒否しているからと、生活費が足りないからだ。
実家にはクソみたいな認知症の父、母、犬がいる。母は「入院した方がいい」と言うが、猫は預かれないという。父が拒否しているからだ。「犬がおかしくなるから」なんて言うが、自分が嫌なだけなのはわかっている。母も「もし逃がしたら責任取れない」と言う。
当然ペットホテルの類は使う金がないし(3か月もそういうサービスが使える人っているんだろうか)、預かってくれる友人なんていない。兄弟も子持ちと猫アレルギー持ちなのでとても無理だ。
それからお金がない。生活保護なんだから入院費は出るでしょうとお思いだろうが、先に述べたように私の家賃は2万円高い。このせいで入院期間中に下がる保護費では家賃・光熱費が払えない。
二つの理由で入院ができない。医師にも伝えた。でも私のなかで諦めがついていない。治るかもしれない手段があるのにそれを捨てなきゃいけないなんて……。
そんな治療法はなかったと思い込んでなんとか薬で誤魔化していくしかない。あるいは福祉サービス施設が癒してくれるだろうか。……。
そんなこんなで
そんな感じだ。一年経ってみれば本当にあっという間の気もするし、単純にやることがないからものすごく長い体感時間だったとも思う。
生活保護受給者になってしまえば人生ヌルゲーかと言われればそんなことなくて、むしろ今までの人生の反省会をしながら無限とも思える時間に閉じ込められる刑務所みたいだった。
生活保護受給者になっても健康にはなれない。時間を持て余す中年になるだけ。お金がないから遊ぶこともろくにできない。遊べないし仕事もないしだと時間がありあまる。毎朝7時に起きて眠るまでの時間の長さに恐怖する。
とにかく寂しい。金がない。この二つだけで不安定になるには充分だ。
なんの能力もない、健康状態に難ありの人間が再就職するには、と思って簿記の勉強を始めたが、果たして役に立つのだろうか。一日も早く社会復帰したい気持ちと、この長い人生、戦い続けることができるだろうかという不安で毎日頭が綯い交ぜになって狂いそうになる。
貯金があれば、借金がなければ、こんな思いはしなくて済むのに。
早く自分のお金で暮らしたい。お金に対して大きな感情を持たずに済むくらい裕福になりたい。
そのためには今できることをするしかないのだ。焦るばかりだけど今は耐えねばならないのだ。そういうもがきをずっと文章にしてぶつぶつ言っています。