こんな青春で、すみませんね 2年生

「あ、起きた。大丈夫?救急車呼んだからね」

1年生編では、大変重たくなってしまい申し訳なかったが、まだ1年生だったのかというくらい濃くもあったんじゃなかろうか。

今回も不穏な幕開けだが、これはそんなに大したアレではない。ただ、まずは、前回酷評していたサークルを見直したときのお話をしようと思う。




簡単にまとめると、1年生では、受験失敗の傷も癒えないまま、最愛の母を失い、不仲でトンチキな家族とドタバタ劇を繰り広げて、強く生きなきゃいけなくなった私。

1年の後期は落ち込むべきところなのに、気丈に振舞いすぎてとても良い成績を残した。気丈に振舞いすぎだ、というのは、よく親友に言われたことだが、私は気丈に振舞っているつもりなどなかった。ただ、ずっと恐れていた、私が家族の責任を取るその時が回ってきたから、全部に諦めがついた、みたいな感じですっきりしていたくらいだった。

やっぱりお世話になった母を亡くしておいて、薄情だなとは思うけど、私は現実主義者だ。泣いている時間ももったいないから、起きている時間はとにかく頑張った。


おかげさまで、ゼミも始まる2年になるころには上限解放をして、上限以上の単位数の授業を取っていた。成績には含まれないオプションの教職付きで。さらには、弁当屋と塾、二つのバイトも週に5日以上入るようにしていた。でも、家族のためにもこまめに帰省もした。ついでに後輩のダンスの振りを作って教えに行ったりした。あと、適度に友達とも遊んだ。そして例のダンスサークルも、今度は普通にダンスを楽しむために通っていた。ご存じかもしれないが一週間はたったの7日だ。あほだった。


大学のサークルには執行代、というものがある。運営を任される世代のことで、そのダンスサークルは2年の終わりから3年の終わりまでだった。役員や係を決める会議には、一応全員来いと言われていて、とりあえず、私の顔なんて誰も覚えてないだろうと思いつつも律義に出席したのを覚えている。

「てきとーに楽なの早めにとろうね。」

いわゆる陽キャの多いサークルでは珍しい、私と同じ暗めのオーラを放つ友人と、そう示し合わせていた。




会計係になった。しかも、じゃんけんで係長的なやつになった。


いや、なんでやねん。そもそもあなたたち、私のこと、認識してる?


まぁ、そう思ったが、流れ的にどうしようもなかった。

キャンパスがいくつかあってそれぞれが離れている関係で、本部のキャンパスにいて、そこにある銀行に通いやすい人間を選ばなければならなかったらしい。で、私のつるんでたところは3人がそのキャンパスだった。で、めちゃ人望あるボスが、すごく申し訳なさそうに、君たちにしか頼めない的な雰囲気で話しを持ちかけてきたものだから、

「さ、三人で…三人もいれば、何とかなる…かも?」

とか言って、引き受けててしまったのだった。

で、じゃんけんで負けたのだった。



面白い人間だ。とても面白い。

私はあの時、麻痺していたんだろう。ここまで自分を追い詰めても、辛いとも忙しいとも思わなくて、むしろ必要とされるぐらいがありがてぇと思っていた。

連絡を取り合うことが下手くそな家族のために、姉と父を中継したり、叔母と父を中継したり、母の親友と父を中継したり、季節のお便りを母がお世話になった方にメールしてみたり、してあげていたが、それもかなり精神的体力を消耗していたと思う。

スケジュールアプリがカラフルになっていくのも「ワァ、きれい!」としか思ってなかった。自分の体力だとか、自分の気持ちだとかは、限りのない永遠に湧き出る資源だと思っていた。私ごときの犠牲で丸く収まるならいいや。そう思って、何でもかんでも引き受けていた。

さらに悪いことは、私のモットーには「引き受けたからには全力でやりきる」があったことだ。何一つ妥協しなかった。



サークルで年末に執行代の飲み会をしよう、という話になった。

私はこんな価値観で育ってしまったあわれなチャイルドだから話も合わないし、1年生の頃はイベント後の飲み会は参加しないで実家に帰省するルーティーンだったもので、正直乗り気ではなかったのだが、この機に銀行システムが正常に作動するかチェックしてみないかという話になって、色々とやり取りしなくてはいけない関係で参加を決めた。

それがまた、大変で、やれ飲み会係だ、やれ本部だ、やれ銀行に何日に行って、誰が通帳を、誰に現金であるいはカードで…などと、短い期間のうちにやるものだからキャパオーバーも甚だしかった。

なのに、期末前だからゼミのプレゼン準備はいつものように朝までやるし、生活リズムのトチ狂った大学生は夜中でも即返信をくださるし、バイトはテスト前で人手が足りないと希望いっぱいに詰め込んでくるし、私はとにかくワーカーホリック、一秒たりとも休みたくない気持ちになっていたくらいだった。



飲み会は練習の後だった。

ガヤガヤとにぎやかな声が、安くておいしくて大量、で有名な中華料理屋を満たしている。120分コースとかを予約してくれたんだっけか。私は残念ながら、その道半ばでいなくなった。

アルコールが体質的にそんなに飲めない私は、学部の友人との宅飲みで十分に自分のキャパは分かったつもりで、サワーを一杯飲み終わってソフドリを頼もうとした。アルコール、ソフドリ、アルコール、ソフドリ戦法だ。

「え、〇〇君、またソフドリ(笑)?」

すぐ近くでそんな声がした。

気付いたら私は回ってきた紙にトマトサワーと書いていた。


でも、問題ない。次の紙にウーロン茶と書けばいいし、それまで飲まなきゃいいだけだ。そう思ったのに、喉が渇いている中、紙が来るまで20分はあったし、しかも私のウーロンは何故か30分は失踪していてトマトサワーをしょうがなく半分ほど口にした時だった。

ん?とばりが…上から黒い幕が下りてきた。私は小学生くらいから年一で倒れるので、「あ、またかい。座ってるし、すぐ持ち直すだろうな。」そう思って、狭まる視界の中で捉えた、誰も手にしていないウーロンを指さし

「ねぇ、私のウーロン茶取ってもらってもいい?」

と言った。ところまでは記憶があった。




遠くから声がして、肩を揺さぶられている感じがした。

もう朝?寝足りないよ。ってか今何時?ってか今…

どこ!

「そんなに心を許してないサークルじゃないか!」

そこで思い出し、大げさな演技みたいにカッと目を見開いた。

「あ、起きた。大丈夫?救急車呼んだからね」

そう言ってくれたのは、看護を学んでいる少し性格がきつそうだなとか、最初勝手に偏見を持っていたカッコいい子だった。回復体位を秒で作って、

「今意識なかった?」

とか色々聞いてくれたり

「あ、大丈夫。よくあるから。」

とか、間抜けにも寝たまんま言ってみても

「いや、よくあるんかい(笑)」

と和ませてくれた。


今回ばかりは、あぁ、申し訳ないな。が感想だ。

皆、優しかった。その救急車よぶ件もそうだし、来るまでも来てからも、節々に優しさがあった。せっかくの雰囲気を壊してごめんといえば、じゃあ見られたくないだろうしと目を逸らして雰囲気を盛り上げなおしてくれた子もいたし、救急隊員に様子を説明してくれた子も真面目に話していたし、無理させてたならごめんねとか言ってる子もいた。高校からの友人は救急車に乗ってくれて、大学病院につくとせっかくの飲み会に戻ることなく付き添ってくれて、会場からもすごく遠い訳ではないが、面倒だなと思うには十分な距離を、歩いて荷物を運んでくれた子たちもいた。荷物届けがてら、きっと私のことなんか知らないだろうに、大丈夫?なんて声を掛けてもくれた。

あぁ、なんかごめんねって気持ちになった。

彼らも、彼らなりに、辛いことがあるはずなのに、自分が辛いからって別の人間みたいに思っていたのも恥ずかしかった。人間明るく振舞えるに越したことはないし、なんなら彼らの方が強い人間だった。

優しい人たちなのに、去年のこともあって、全員が見た目主義のカースト制度の人間だとか決めつけて、本気で腹を割って話さなかったのもちょっと悔しかった。

あと、誰にも頼らないって決めたのに、自己管理が甘くて、自分のキャパを見誤って、バイトやらゼミやら断る体力も勇気もないからこんなことになった自分も情けなかった。付き添ってくれた友人はタクシー代まで払ってくれて、次の日にバイトがあると伝えると行くなと言ってくれた。断る理由を作ってくれるなんて、強くて優しい人間だなぁ、そう思ったけど、店長には一時間遅らせてあげるから悪いけど出て来いって言われて、結局次の日は出勤したんだけど、まぁ、そんな私だった。


なんか、これは言葉にしづらい感動だった。

例えば、オオカミに育てられた少女が、忌み嫌っていた人間に与えられた餌を、やっとのことで口にして、それがまぁ美味しいのなんのって止まらない…みたいな感じだろうか。

はたまた、虐待されて殺処分寸前のところで、優しい人に保護されるも、数カ月抵抗を続けていた狂犬が、あるときふと心を許してみたら、本当に優しい人だと気づいて甘えに行くような感じだろうか。

それか、テレビで見た有名人が、目の前に現れて、どうせテレビでは作ってんでしょとか思ってたのに、テレビに映るのと同じように優しい人格だったみたいな感じかも。

ノンフィクションの優しさは、優しさとはかけ離れた家族と現在進行形で戦っている私の心に、かなりぐさっときた。優しさって本当に存在したんだ、って感じだし、私も人間として心配してもらったり人権保障してもらえるんだ、って感じだった。



あのね、普通は「飲み会」なんて言葉がエッセイに出てくる時は、枕詞みたいなもんで、だいたい、いわゆる恋愛がらみの何かのエピソードが出るはずなのよ。でも、これが私ですよ。

飲み会を枕詞に救急車を繋ぐ。

ほんとに情けない。唯一誇れるのは、幼い頃の夢が芸人だったことくらいだよ。

芸人になってたらエピソードトークには事欠かなかっただろうな。


でもまぁ、そのくらいで、特に苦しいことは無かった2年生でした。

でも甘酸っぱさが微塵もない。どころか、ほろ苦くて酒臭い。

こんな青春で、ほんと、ほんと、すみませんね。

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