こんな青春で、すみませんね 3年生
暇だ。暇に殺される。
私は2年生の頃、倒れるほど授業やバイトを詰め込んだわけだが、一転して暇になった。それが3年生だった。
そもそも、前回あほで片付けたが、いくらあほでも何の理由もなく単位の上限解放など行わない。私は、「母の死を乗り越えちゃうツアー」なるものを頭で描いて、そのために一生懸命お金を稼いで、時間も作ろうとしていたのだ。
思い描いたのは、母の故郷に行ったり、どうやらモテていた母を見習うためにも(?)友人やら知り合いに会って、母の代わりに最後の挨拶がてらたくさん喋ってやろうと思っていた。それで生前はお世話になった、と美味しいフルーツでも持っていこうと、そう思っていた。
母の葬儀は急過ぎて、母が青春時代を過ごした関西の方々はハガキのみになってしまうことも多かった。その多くが「病気のこと知らなかった」、「会いたい」と手書きで熱い思いを語っているようなもので、人気者だった母のお別れコンサートではないが、けじめをつけるべきだと思った。私のためにも。
ところが、訪れたのは予想もしなかったパンデミックだった。
他の友人を見る度に何でもできる環境で羨ましいわ、とどこか斜に構えていた私も、さすがにその姿勢をやめた。キラキラしたダンスサークルのラストショーケース的なのもおじゃんになってしまった。留学すると言っていた友人も何人もが諦めざるを得なかった。コスメや洋服を買うのが好きな友人もバイトが無くなって節約を始めた。以前までなら、ダンスが思う存分出来ていいな、留学行く余裕があっていいな、身だしなみに金かけられていいな、とか思っちゃう日もあったのに、もう思えなかった。
お目々がきらきらしていない、枯れた大学生なんて、私一人で十分だ。
皆も足止めを食らったことが少し嬉しいような、でも、そんな経験しなくてもいい暗い気持ちを持たされてるのがいたたまれない気持ちがした。
誰かと一緒に、時代のイタズラだ、と話した。
人はそれぞれ同じように老けていき、若者時代は等しく短いものだ。
でも、例えば戦時中に生まれた若者は、命すらも差しださねばならなかったし、自由が無かった。戦争の時代に、たまたま若者だっただけなのに。私たちも、たまたまパンデミックの時代に若者だった。これらはもはや、運だ。どんなにそれまで頑張っていようが、才能があろうが、関係ない。
時代に振り回されている犠牲者なのだ。
そんな一時代の犠牲者は、ついに病んだ。一日中カーテンを開けずに、何もせずに部屋に閉じこもっていれば、考えたくないことをいくつも考えた。
そんな時だった。
(これは私史上まれにみる甘酸っぱい話題なので、ぜひ耳の穴をかっぽじってよーく聞いて頂きたい。)
ある日、いつも通り23時まで弁当屋でアルバイトをしていた。いつも23時までやっている近くの中華料理屋もラーメン屋もスーパーまでもが、政府の要請で21時に閉店していたのに、テイクアウト専門だからとかいって、うちの店は毎日23時までやっていた。お客さんもほとんど来なくて、先輩と二人しゃべくって時間を潰していると、久々に来店のベルが聞こえた。
「いらっしゃいませ!こんばんは~。」
出ると、見覚えのある顔が「よぅ」と手を挙げた。去年くらいまで一緒にバイトしていた先輩だった。私より後に入った、その人とは面識がなさそうなもう一人の先輩の方に、目を向けている。仲良さげに話し出した二人に、申し訳なさそうに
「あれ?お二人、仲良いんでしたっけ?」
と口をはさむと
「あれ?〇〇(私)やん!気づかんかったわ!」
と元気よく質問を遮られた。どうやら院進して暇な彼は、たまにその先輩と飲みに行く仲だそうだった。今度、いつ飲みに行くかを、ふらっと語りに来たらしかった。あはは~と暇つぶしに笑っていたら、
「あ、○○も来る?」
と突然話が飛んできた。
「え。あー。あ、私も行って大丈夫なんですか?」
と控えめに尋ねると
「えぇに決まっとるやん。」
とご時勢的にはアウトな返しをした。ここまで読んで、どっちの先輩と甘酸っぱくなるの~?とお思いかもしれないが、このお二方は実は何ら関係ない。
グループトークが作られた。どうやら他にもメンバーがいたらしく、人数のカウントは私も入れて5になっていた。
メンバーは
院進のためにバイトは辞めたが、まだこの地にいる先輩×3
バイトの先輩×1
私×1
で、男女比は4:1だった。ちなみに私は、一応、女である。
あれ、いつの間にどうしてこうなった?
別にこの世に男女比が偏った飲み会があったっていいとは思うんだけれど、私はそういう感じで呼ばれる柄では、今まで無かった。
中学進学時に、人見知りで口数の少ない、美人な姉がモテてるのを見たので、それまでは大勢の男子を従えて一発ギャグ大会をかましていた、美人ではない私は「それが中学のルールなんだな!?」と早とちりして、男子とは喋らなくなった。今思えば、間違いだった。あれは、姉だからモテたのであって、私は武田鉄矢とフランキーのモノマネを続けた方が、まだモテる希望はあったはずだった。中学生の間には、あこがれの彼氏はできなかった。友人は言った。
「あんた、悪い奴じゃないんだから、高校行ったら絶対モテるね。」
高校に入った。三年間男子と口を利かない鉄の掟を守り抜いた代償に、私は異性と上手く話せなくなっていた。しかし、中身は小学生のままなので、前に出て発表をしろと言われたら、ボケずにはいられなかったし、部活はダンス部に入って、文化祭ではブルゾンちえみのダンスをキレッキレに踊ったり、カンナムスタイルが流れたらメンバーの真ん中に躍り出て暴れ狂ったりしていた。よって私は、おそらく奇人だった。あるいは狂人かもしれない。教室では静かに授業を受け、男子とはろくに口もきけないし、にこやかに人々を見守っているくせに、ダンスの時間になると人が変わったように踊り狂うし、授業でプレゼンしろと言われたら何のスイッチが入ったのか突然漫談を始めるのだ。
「大丈夫、大学入ったら絶対モテるから」
そう声をかけた、あの美人は元気にしているだろうか。残念ながら、大学でようやく男女関係なくコミュニケーションを取り始めた私だったが、いい感じになった人が全員不登校になる謎の呪いをかけられていた。そして、パンデミックを迎えて、今に至る。
まぁ、そういうことなので、女子一人でも平気でーす✌ってことは、決してなかった。私の男子のイメージは、私のツインテを持ち上げて「スーパーサイヤ人!」って叫んだり、道端の柿を投げつけて看板割ったり、社会の教科書食べてインクの味を査定したりする、小学生のあいつらのまんま止まっていた。ウェイ!とか言って、酒を浴びるやつらとは、仲良くなれるのか心配だった。
楽しい。思ったより、楽しかった。そういえば私は話し好きだったので、マシンガントークが始まれば、全然、男女比など気にならなかった。ふつーに女子会だとも思えちゃったりした。あと、皆年上だったのでやたらと好待遇だった。末っ子なので、可愛がられるのは嫌いではない。
で、事件は起きた。(おおげさ)
なんか、かっこいい先輩が、なんか、めっちゃ褒めてくるのだ。秋の終わりだったが、肌寒くてコートを着ている私に
「なんでもうコート着てるの?そんな寒い(笑)?」と。
「えー、だめですか?」
「いや、かわいいから、いいけど。」
…っっ何????どういうことよ???バグっても私はなぜか平常心で話せる特殊能力付きのロボなので
「え~!やだ~!ありがとうございます~!」
とか言っていた。
酒が苦手だと話すと、「良かったら後、飲もうか?」
締めのラーメンで苦しくなっていたら、「食べてあげるよ」
会計が終わると「手出して」、からの謎の500円くれるムーブ。
鈍感な私でも、なんとなーく、なるほどね???となっていた。
嬉しかった。その人の行動が、というよりは、普通の大学生に近づけてることが、嬉しかった。あわれな人生に頭を抱えていた私は、確か、ようやく気持ちを立て直して身だしなみを綺麗にしても、お母さんは悲しまないだろうと思えて、服を買い始めたころだった。メイクもそれなりに気にするようになった。パニックを起こす同居人などいない一人暮らしのアパートでは友人と朝まで激辛女子会を開催できたりして、やっとまともに生き始めたところだった。
そんなことが許される身分ではない。とこれまで実はそういう浮ついた感情には頑なに蓋をしてきた私も、なんとなく、この恋愛の波に乗ってもいいかな、と思えた。
しかし、残念なことに、そんな大胆に仕掛けてくれて(?)、毎度家まで送ってくれるし、LINEの返信も早い彼は、私以上に奥手だった。
数カ月、なんともいえないLINEをたまーにしたけど、結局何も起きなかった。ウケる。
なぁぁぁぁんでなのよ!!!!!!!
いや、ウケる。私は先ほども言ったが恋愛に疎いとはいえ、回数は少ないが、別に人を好きになれないとかではなかった。ただ、下手くそだ。
たぶん、最近HSPとか言われているアレのせいかとは思われるけど、幼い頃気になる人は皆、私の友人のことが好きだった。多分、人間の好意に気づきやすい上に、友達が多かったので錯覚しやすかったのかもしれない。
「ね、告られたんだけど!!全然気づかなかった。」
に苛ついたのは、最後はいつだったろうか。そのうち、私は友人たちと比べてそんなに魅力のない人間なのか、と悟り、高校では一人だけ気になる人ができたが、終いまで何もしなかった。
あと、鬱っぽい気質なのもあった。私は私の家の事情を話したくなるに違いないが、そんなのは好きな人にこそ背負ってほしくない、などと心配する必要もない心配をし続けて何もしなくなったのはもう少し大人になってからだった。
「私なんか、生きているだけで十分なんだから、身の程をわきまえて美味しいものでも食べて、自分で自分を愛してればいいさ。あとは、友だちと遊び狂うのさ。チェケラ!!!」
いつも心に鳴り響くのは、こんなふざけた内容だった。
そんな恋愛にはめっぽう向いていない私は、千載一遇のチャンスを逃してもなお強がっていた。
「いや、これで良かったのさ…。だっていい人だったし。」
いい人であればあるほど、私とどうにかならなくて良かったね、と思ってしまう。卑屈なのではない。事実なのだから。
介護は、大変だ。
クソガキ時代も、思春期も、おしゃれなお姉さんになっても、兄と手を繋いで歩いてきた。お互い見た目が大人になった今は特に、心の奥で重たいなまりが少し揺れているような息苦しさを感じる。周りの人は、パッと見てなら、カップルか何かだと思うかな。でも兄がひとたび奇声を発すれば訝しげにこちらを振り向く。私が頭を下げると、笑顔で私の人生を憐れんでから、えらいねと呟いたりする。
この気分がどんなに最悪か、私が誰より知っている。こんな苦しさ、この世で、一人でも多くが知らない方がいいんだ。
いいんだよ。兄に声かけられて怖がって泣いた女性を守ろうと、その彼氏に怒られても、別に私が謝ればいい。何か減る訳じゃない。
駐車場を頭を叩いて走り回っていれば、追いかけて止めればいいし、公共の場でパニック起こしても、急いで用事済ませて車に一緒に戻ればいいし、パンツ丸出しでトイレから出てきたなら、ズボンを上げろと言えば上げられるくらいには賢いし。彼は、何も悪いことはしてないんだから、私が傷つくのなんて、お門違いなんだから。優しく助けてあげればいい。
でもさ、私の人生は?どうなるの?
誰がこんな私と付き合いたいって思うのよ。
恋愛について考えだすと、すぐ、これである。
恋愛はかなりデリケートな話題でもあるので、なかなか人とは話が合わなかったりする。恋に辟易として、一生恋愛なんかごめんだという友人が多いので
「まだ恋愛したいと思えているだけ、いいよ」とか
「うぶでかわいいね」とか
言われたりするけど、その度、なんか違うと思う。
私はもっとグロテスクなことを気にして、恋愛が出来なかったのにな。男なんか、信用したら負けだ、みたいな擦り付けがあるのかもしれない。私が見てきたのはみっともない奴らだったもの。
プライドが高くて、いくら助言しても意見を変えなくて、それで家族は幾度となく苦しんだ。父の話だ。見たくもないのに、何度も全裸で走り回るし、洗いたくもないのに下の世話をすることもあるし、叩いてくるしうるさいし。兄の話だ。
全員が全員、そうじゃないのは分かってる。でも、いい人にはこんな地獄に来てほしくないし、じゃあ嫌な人と結婚でもするのかって言ったらそうでもないし、じゃあ子供が欲しくないのー?なんてのはまた別の話だ。あーあ。また、考え過ぎかな。
そんな、誰かに簡単に分かってもらえるものでもないジレンマを抱えて、私の人生で一番まともな「いい感じ」はぬるっと終わっていった。社会人になったら実家に戻るから、羽目を外すなら今だったのにね。もったいない。
こんな幼稚な大学3年生、いないよ。でもま、なんか楽しかったし、いいか。
こんな青春で、すみませんね。
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