パンダコパンダ 雨ふりからサーカスへー家族愛から友情への軌跡ー
1作目のパンダコパンダが製作され続編のパンダコパンダ 雨ふりサーカスは1作目の1年後1973年に製作された中編アニメーションだ。スタッフはほぼ前のスタッフに変わりはない。
冒頭ミミ子の家に泥棒が入り話が進む。ミミ子たちの留守の間に泥棒が家の中を出入りする。それをミミ子たちが追い払う。泥棒を追い払いカレーを食べようとするミミ子たちだったが、パンちゃんのカレーが誰かに食べられていた。おかしいと思い部屋を探してみるとなんと小さなトラちゃんが家の中にいた。泥棒と思っていた2組はサーカス団長と団員で居なくなったトラちゃんを探しにミミ子の家へ入っていたのである。
冒頭のお話の動きはトラちゃんが居なくなる(欠如)からお話が始まっている。
プロップの「加害あるいは欠如」と言う状態は、例えば「花嫁が掠奪される」ような「欠如」の状態を意味する。すなわち「家族の成員のひとりに、何かが欠けている。その者が何かを手に入れたいと思う」ことによって発動するとプロップは考える。サーカスのトラちゃんの欠如から物語は始まった。
ここで簡単にプロップの魔法民の三十一の要素と今作を比べてみたいと思う。
プロップの魔法民話との比較。
まずは①「留守」だが先程も書いたようにミミ子たちは冒頭、家を留守にしている。②「禁止」はサーカス団員たちは一度家に入ることをためらう。しかし③「違反」をして家の中に入っていく。
④「掘り出し」団員たちはトラちゃんを探し家の中を探る。
⑤「情報漏洩」団員たちはミミ子たちに家に入ったことがばれてしまったり、また団員たちもこの家にトラちゃんがいるのではと疑う。
⑥「謀略」団員たちはミミ子たちが犯人だと思い込み、パンちゃんを捕まえようとする。⑦「幇助」知らず知らずの内にトラちゃんをミミ子はサーカス団に返す。
そして「加害あるいは欠如」に繋がります。
前作パンダコパンダと雨ふりサーカスの違いについて。
前作パンダコパンダと雨ふりサーカスの違いは何なのだろうか?それは後半部分を比べれば良くわかる。前作パンダコパンダでは擬似家族となったパパンダ(父)ミミ子(母)パンちゃん(子供)の絆を確かめる物語構造だったが、雨ふりサーカスでは、偶然仲良くなったサーカスの動物たちの危機をミミ子ちゃんたち全員で助ける。まさに家族愛から友情(サーカスの動物たちを助ける)へ変わっている。
またこの話の肝になる部分を語ってみたいと思う。それは後半雨が降り洪水になり町は水に沈む。そして水のせいで動物たちが水に浸かった汽車に取り残されてしまう。後半の話を元にプロップの三十一の要素とまた比較したいと思う。
雨ふりサーカス後半の機能について。
後半の話を元にプロップの三十一の要素とまた比較したいと思う。
⑨「派遣」は雨が降り洪水になり動物たちを助けるように頼まれるミミ子たち。
⑩「任務の受諾」それを受けるミミ子たち。
11「出発」現場に向かう。12「先立つ働きかけ」はトラちゃんと仲良くなっており、パパンダとパンちゃんと助けようと決意。
13「主人公の反応」ミミ子だけではどうすることもで出来ずパパンダの力を借りる。14「獲得」パパンダとパンちゃんが助けを手伝ってくれます。
15「空間移動」ミミ子たちは水に浸かっている汽車へ向かい。列車が動き出す。
16「闘争」動き出した列車を停めようとする。
17「標付け」女性主人公であるためか傷を負うことはなかった。
18「勝利」町の市長の家にぶつかりそうになったが汽車をパパンダが止めに入る。
19「加害あるいは欠乏の回復」事件を通しミミ子たちとサーカス団の絆が強くなる。20「帰路」家路に帰り物語は終わりを迎える。
プロップの魔法民話は21「追跡」主人公が何者かに追跡を受けると続くが雨ふりサーカスは「帰路」で終わりを告げる。
強引にプロップの魔法民話の三十一の要素と本作と比べてみました。
是非本文と作品を比べて見ていただけると幸いです。