抽象画を見て「俺でも描けそう」と思ったそこな君!🫵
改めて気づきましたワタシ
先日京都のMoMAポップアップショップに行きましてね、モンドリアンの絵のバッジを買ったんです
それはそれは洒落た逸品で!自分のバッグは黒オンリーで味気も何もない黒ハンペンみたいなもんなんですけど、ひとたび付けてみたら「ん?ワタシ元からついてましたが?」とでも言うようにちょうどいい存在感を放ってるんでさあ。
あまりに気に入ったもんで、わたし頻繁にそのバッジ見ちゃいましてね、、、
そこでふと抽象画について気づきを得まして
「俺でも描けるわwww」と言われるような抽象画って、それが生まれたことに意義がある
んじゃあないかと
(こんなんすでに色んなとこで幾万幾億と話し尽くされたと思いますが改めて、ね)
せっかくなのでモンドリアンの絵を例に出してみましょうか。
「赤と青と黄色のコンポジション(1930)」(名前は色々あると思うんです許してね)っていうのがありますね。黒線が縦横に走って、それに囲まれた四角の枠の中にビビッドな色がパラパラと置かれてる…っていう説明ができる絵ですね
んで絵画界におけるその絵の重要な役割は「脳内や視覚のイメージを直線と赤青黄ではじめてデザインした」って点だと思うんです。
他の抽象画(なんとなく素人でも描けそうだなと思わせる絵)だと、キースヘリングの絵もなかなかそう言われがちな印象があります。個人の感覚です、お気になさらず。それも「どうデザインするか」「どう表現するか」っていうところの、要はオリジナリティがいっちゃん重要なんですわ
芸大の人たちはそれを求めて日々インプットとアウトプットを繰り返してるんでしょうな…。
ということで「俺でも描けそう」と思ったらそこの君!
もし君が描けたとしても「モンドリアンの二番煎じ」「ピカソの猿真似」というレッテルが貼られるだけだ!
「俺でも(以下略)」のセリフを言うことを止めはしないが、一歩後ろに引いて「なぜ評価されて美術館に置かれているのか」を考えてみるともっと美術館は面白いゾ!
なんかぐちょぐちゃになっちまった