町外れのアポセカリーで。
そこは日本ではない、どこか遠くの国にある町。
自然が豊かで温かみのある町。
歩いて1周できるくらいのサイズのこぢんまりとした町。
そんな町の外れに、知る人ぞ知る小さな花屋があった。
町の人はその花屋を「フラワー アポセカリー」と呼ぶ。
「アポセカリー」とは薬屋という意味だ。
薬を置いているわけではない。
医者がいるわけでもない。
しかし、この町に病院がなくてもあまり困らないのは、この花屋がアポセカリーとして住民の役に立ってきたからだ。
今日も、そのアポセカリーに人がやってきた。
大きな瞳に涙をためた、13歳の少女だった。
「あのぉ………」
「こんにちは」
店番をするのはアリアという女性だ。
アリアはリネンのワンピースに身を包み、少女に
微笑みかけた。
23歳のアリアが1人でこの店を切り盛りできているのは、この穏やかさが故だろう。
「お花をお探しですか?」
「………違います。ここでアポセカリーっていうのをやってるって」
少女は、今にも泣きだしそうだが、目立って体調が悪そうなわけでもない。
これは訳ありねぇ、アリアは心の中で呟いた。
「ひとまず、そこのベンチでおしゃべりしましょう」
「はい、カモミールティー。さっき摘んだばかりのカモミールを使っているの。リラックス効果が
高いのよ」
少女はすぐに薬をもらえると思っていたようだ。
ベンチでハーブティーを出されている状況に困惑していたが、香りに誘われ、温かなカモミールティーに口をつけた。
コクリと1口飲み込むと同時に、ずっと薄い膜を張っていた瞳から大きな涙が次々とこぼれ出した。
「おいしい」
「薬を欲しがっていたのは、お母さまとの関係に
関わることかしら?」
「え…どうして分かったの?」
アリアは昔から人の心を読み取る力があった。
どうしてと言われても、自分でも分からないくらい、直感力に長けていたのだ。
「そんな気がしただけよ」
「お母さんは、私が病気だって言うんです。学校で浮いてしまうのも友達ができないのも病気のせいだ、面倒だって。
だから、治して欲しいんです」
アリアはこの少女が愛おしくなった。
なんて真っ直ぐな子なんだろう。
「あなたは病気じゃないわ。考えすぎてしまう癖があるだけ。考えている間、待ってくれる人が周りに少なかったのね。
でも、大丈夫。テンポが違う人と一緒にいるのは
とても難しいことだから、無理しなくていい。
無理をやめた途端、きっと、世界をクリアな瞳で見られるようになるはずだから」
「そう、ですか?」
「今も、無理に考えすぎなくていいのよ。そのかわり、また来てくれる? カモミールティーを飲みながらおしゃべりしましょう。
それから、あなたにもカモミールティーをあげる。お母さまとも飲んでみて」
「お母さんとも?」
「あなたたちは、きっと似たもの親子だから」
少女の後ろ姿を見送りながら、アリアはカモミールティーのグラスをさげた。
その目に映っているのは、少女ではなく、アリア自身の後ろ姿だった。
アリアがまだ少女と同じくらいの年齢のころ。
母の心はいつも外の世界に向いていた。
もっと世界を知りたがっていた。
家の中の世界も愛してくれていたが、アリアのために外の世界への思いに蓋をしていることは。手に取るように分かった。
「お母さん、私、もっと色んな世界を見てみたいの。育ててくれてありがとう」
アリアはそうやって家を出た。
絶対に振り返らないと決めていた。
振り返ったら、母の晴れやかな顔が見えてしまうから。
自分の泣き顔を見せてしまうから。
少女の後ろ姿が見えなくなったところ、アリアも
23歳に戻ってきた。
家を出てそろそろ10年が経つ。
人の心が見えすぎるアリアは、花を使って心を癒したいと思った。
花に触れ、学ぶうちに、心と密接に関係する体まで癒す力があると知り、今ではアポセカリーと呼ばれるまでになった。
でも。
「いつまでも、自分の心は癒せないのねぇ」
アリアは苦笑いした。
月日が流れても、母を思うたびにアリアの胸には
風が吹くのだ。
✻ ✻ ✻ ✻ ✻
そこは日本ではない、どこか遠くの国にある町。
そんな町外れに、知る人ぞ知る小さな花屋があった。
町の人は、その花屋を「フラワー アポセカリー」と呼ぶ。
そのアポセカリーでは、今日も誰かが笑顔になっているのだった。