口紅と乙女心は負けない。
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バーカ。
目の前でガミガミ叱る生徒指導の女教師の話なんて、そう心の中で呟く私の耳には入ってこない。
バカバカバカバカ。
あ、待って。
これじゃあ、この女教師にバカって言ってるみたいじゃん。
確かに髪の毛はビシっと低いお団子にして、スーツもパンツで、ボタンは1番上まで留めちゃって、こんな女教師みたいにはなりたくない。
先生をバカって言えるほど、自分の頭が良くないことは分かってる。
でもバカじゃない。
そういう賢さなら持ってるつもり、
こう見えて。
どう見えてかっていうと、説明しやすいような、
しにくいような。
説明しやすいところでいうと、いま私は校則違反のメイクをしている。
とびっきりの赤い口紅。
でも、いつもはこんなんじゃない。
スカートを少し折るとか眉毛を少し剃るとかはあっても、メイクはしてない。
じゃあ、なんでこんな私が赤い口紅をして、学校に来て、しかも女教師に反省文まで書かされそうになっているのか。
そこの説明が長くなる。
だから説明しづらいんだけど、女教師のガミガミは長そうだし、振り返ってみようと思う。
これは私の恋の話だから。
あいつを見かけるのは、決まって放課後だった。
図書委員のあいつは本を抱えて歩いていて渡り廊下でいつもすれ違う。
渡り廊下は私とあいつだけになる。
なんか、もっさいやつ。
最初はそれしか思わなかった。
でも、毎日すれ違ってると、相手のことが気になり出すってこともある。
名前は?学年は?
いきなり話しかけるのは変だからって、ずっと我慢してた。
私たちが初めて話したのは、冬の寒い日。
あいつはやっぱり本を抱えていた。
すれ違いながら、本の山をちらりと見たとき、私は見つけた。
私が大好きな本を。
「イノセントガール」
ふいに、私は呟いていたのだ。
「えっと、、あぁ、このイノセントガールって本、好きなの?」
あいつが笑ったとき、私は恋に落ちたのだ。
あいつはいわゆる三軍で、私はギリ一軍みたいな感じ。
だから付き合うまでは早かった。
強引に押し切る形で、私はあいつの彼女になった。
初デートのとき、あいつはイノセントガールを持ってきたのだ。
「はじめて読んだ本なんだけど、いい本だね」
「主人公の亜蓮がさ、赤いリップを塗るところがいいんだよね」
「うん、そうだよね」
「亜蓮の赤リップ姿、相当かっこいいだろうな」
そろそろ、話が見えてきたんじゃない?
まあ、そのあとも色々あるんだけど、結果、私はあいつにフラれた。
あいつは「付き合うとかやっぱり苦手なんだ」と
、まっすぐ言ってきた。
人付き合いが元々苦手なのに、断れなくて私と付き合うことになったんだから無理ないか。
とは言っても、私はまだあいつが好きだった。
話せば話すほど好きだった。
困ったような眉毛も、女子みたいな手も、もちろんあの笑顔も。
だからあいつの前で散々泣いて散々ゴネて、でもって、結局別れた。
それが昨日の話。
目が真っ赤だった。
こんなんじゃ明日学校に行けないと思った。
だから私はデパートに行った。
目の赤さが気にならないくらいの、とびきりの赤を手に入れるために。
私は亜蓮じゃない。
赤い口紅なんて1ミリも似合わなかった。
ただの唇おばけ。
でもこれは餞別(せんべつ)だった。
だから、この姿で彼のところに行かなければならなかった。
朝、別のクラスの私が彼の席まで行ったとき、当たり前だけど、クラスメイトよりも彼がビックリしていた。
そりゃ、そうよね。
唇おばけが自分の前に立っているんだもの。
「イノセントガール、ある?」
「……あるよ」
「貸して」
そうやって私はさっさとイノセントガールを取り上げると、表紙に思い切りキスをした。
赤い口紅がくっきりと刻まれた。
「ありがとう、さようなら」
「……かっこいいね」
そう、これがことのすべて。
女教師を前にしたいまも、涙は出ない。
だって、全て終わったから。
あいつは、バカ。
こんないい女、もう現れないのに。
バカバカ。
ポケットには赤い口紅。
混じり気のない、赤い口紅。