私が生で見てよかった高校演劇
私は三重県の高校で演劇部の顧問を22年している。
最初に顧問になったのは1997年で、この時はまだ常勤講師だった。いつまでこの学校にいるかわからず、やる気がなかったのだが、やがて専任講師となり、私立なので転勤もなく居続けるうちに、だんだん生徒たちの高校演劇を応援するようになっていった。
その顧問を2008年から12年の5年間は一度離れたが、2013年から復帰し、2024年の現在まで続いている。
その顧問として生徒のためにやったことの一つが「観劇ツアー」だ。
ある時、ブロック大会中部大会や近畿大会を丸ごと見ることが、生徒の上達に役立つことに気づいた。今年の12月26日27日に和歌山市で行われる近畿大会に連れていくが、今まで自分だけが行ったり(コロナの関係で生徒立ち入り禁止など)、生徒と共に行ったりしたことなども含めて、通ったり泊りで見に行ったブロック大会の数を数えてみた。
中部大会(中部日本高等学校演劇大会):愛知・岐阜・三重・福井・石川・富山の代表が上演する大会
1998、1999、2000、2002、2003、2005、2006、2007、2011、2013、2014、2016、2017、2019、2020、2021(コロナで無観客)、2022
27年間で16回は最低1日、もしくはほとんどの日程見に行っている。
そのうち出演校だったのが5回含まれている。
近畿大会(近畿高等学校演劇大会):大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山の代表が上演する大会
2002、2005、2008、2012、2015、2018、2022、2023
27年間で8回は最低1日、もしくは全日程見に行っている。
主に見に行くのはこの2つの大会で、そのほかは全国大会が3回(そのうち出演校1回)、関東大会が1回のみだ。
何百本という高校演劇を見てきて、その中でも「生で見た」中で、印象に残っているもので、あまり有名でないものを数本挙げたい。(記憶はあいまいです)
1 「デスケープ」滋賀県立長浜高校(2002年近畿大会)
少年たちが地獄につかまり、閻魔様の目をくぐって脱出して、最後は「誕生する」話。とにかくアクションがめちゃくちゃ楽しく、会場も一体になって笑いに笑えて、元気な演劇だった。作者兼主役(だったっけ)の上田慎一郎さんは、後に「カメラを止めるな」の映画監督と分かってびっくりした。
2 「今ニートに王手をかけた」兵庫県立長田高校(2005年近畿大会)
夜間のコンビニのバイト二人の掛け合いで進む劇だが、劇中劇がコミカルで笑いを取る場面も多く、全然退屈せず楽しめた。終わり方もジーンと来る。作者で役者もしていた藪博晶さんは、その後高校教師・演劇部の顧問となり、「アルプスタンドのはしの方」など全国大会の最優秀賞作品などを手掛ける、高校演劇の宝のような存在になっている。
3 「あらま星」兵庫県立伊丹西高校(2008年近畿大会)
とにかく最初から面白く、高校生たちが可愛く、切なく、ぐんぐん飛ばす。最後には人と一緒に何かやることの一期一会、別れのつらさ、人生の刹那さを感じさせられるとってもいい作品。開けると中から光が出る小箱の小道具もめちゃくちゃきれいで感動する。私の№1高校演劇である。この頃の伊丹西は生徒が脚本を書き、顧問が潤色するというスタイルで、たびたび近畿大会や全国春季大会に顔を出していた。指導している五ノ井幹也先生は、伊丹高校「晴れの日、曇り通り雨」で、2回目の全国大会出場と、優秀賞入選をなさっている。
4 「なんとかなる」滋賀県立虎姫高校演劇部(2012年近畿大会)
5人の女子部員のために顧問の大橋慰佐男先生が書かれた作品。ある年に入部した1年生の女子演劇部員が、先輩たちと触れあい、演劇を作る中で成長していく優しい物語。3年生となり部を引退した4人の先輩が、後輩のいないスキに部室にお菓子を持ってくるシーンに泣ける。部室に置かれた亀様(神様)ももう一人の登場人物を感じさせて効果的。ラストもジーンと来る。感情的に揺り動かされた演劇として№1。自分の学校でも脚本を使わせてもらったりした。大橋先生は「グラスホッパーストーリー」をはじめ、優れた脚本をたくさん書かれているので、脚本集をぜひ出してほしいなあ。
5 「喜と劇と」奈良県立ろう高校(2022年近畿大会)
ろう学校の演劇なので、言葉がない。必要な言葉はすべてプロジェクターに映される。3人の登場人物のマイムの技術が高く、きびきびとした動きに目が離せない。話としてはろう学校の演劇部の生徒たちと顧問が、代替わりで抱えている悩みをぶつけ合うような感じの話。最後の最後に声が使われて、その声にも感動する。見ると世界が変わり、元気が出る感じの劇。
ほかにもいい劇があるので、またいずれ書きたいと思います。
今回取り上げたのは全国大会に出場することもなく、有名になる前に消えていった劇です。せめて脚本だけでも後世に伝えていってほしいです。また こうやって、記憶を語ることも大切じゃないかなと思います。
私の、そして人々の記憶もだんだん薄れていくと思うので。