父との思い出 ファミコン編
私が中学生の頃だったかと思う。
遂にファミコンを買ってくれるという話になった。
父の故郷である新潟へ里帰りした際の新幹線車内で弟たちが父と何らかの勝負をし、権利を勝ち取ったと記憶しています。
私も以前何度か購入をおねだりをしたことがありましたが断られたので完全に諦めていました。
ファミコンは1983年に発売されているので約4年越しの奇跡。
最初にお年玉をはたいて買ったソフトはマイティボンジャックだったかと思います。
また、既にクリアしたというのでドラゴンクエストを同級生に格安で譲って貰い、夢中になって遊んでいました。ちなみに当時住んでいた家にはTVが1台しかありません。
ある日ゲームをやっている最中に父が帰宅しました。
しばらく静観していた父は私にこう言います。
父「もういい加減止めたらどうだ」
私「もうちょっと待って」
ご存知の方も多いと思いますがこの頃のゲームにセーブという機能は基本ありません。ドラクエでさえ、ラダトーム城に戻って王様から復活の呪文を聞き、メモしてからでないと中断できなかった訳です。つまりすぐには止められないということです。そしてドラクエⅡのプレイ中に悲劇は起こります。
父「いかげんにしろ」
私「もうちょっと」
父「…」
父「よしじゃあこれからは勉強した時間だけゲーム出来るようにしよう」
なんとかしたいながらも言われた通りなかなか終われないことに苛立ちを覚えた私は、売り言葉に買い言葉でこんな台詞を父に返してしまいます。
私「じゃあ24時間勉強したら24時間ゲームしていいのかよ」
はい。地雷踏みました。
父「(ブチっ)やってから言え!出来もしないこと言うな!」
私「だってそう言ったじゃないか」
私ももう戻れません。
父「(言ったことは)間違いだ間違い!」
テレビから強引に引き剥がされたファミコン本体は玄関に叩きつけられ粉々に。そして念入りに洗面台に放り込まれ水に浸けられ再起不能状態。
わずか数か月程度のあまりにも短い命でした。自分で買ったソフトで良かった…
弟たちからは「オレたちが買って貰ったのに…」と愚痴を散々言われ、以降我が家にはしばらくゲーム機が存在しませんでした。ですのでドラクエⅢはリアルタイムで経験してません。
弟たちよ本当に申し訳ない。
ちなみにドラクエシリーズは主人公に好きな名前を付けられることで知られておりますが、父は自分の作品の主人公に私たち子供の名前を。【聖なる者へ】という作品ではアシスタントさんたちの名前を登場させております。