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20歳、思ったより生きられてるよ


20歳になってからほぼ半月が経った。あんなに20代になることが怖かったのに普通に生きてしまっていることが怖い。

脆さとか危うさとかそういう弱い部分が無くなってしまわないかということ、そういう敏感で繊細な部分が丸く強くなってつまらなくなることが怖かったから。

でも、もうその恐怖が現実に迫っている気がする。だって前までの私は、弱いけれど、その分ちゃんと物事を諦めずに思考出来ていた。もっと小さなことで悩んで、泣きたくても泣けなくて、人との交流も出来なかったはず。家に帰っては涙を堪えて、朝を拒んで、学校へは本気で行きたくなくて、でも友達は大好きで、矛盾を沢山抱えて、たまに苦しくなっちゃったりもして、カウンセラー室を勧められても意地張って行けなくて保健室で泣いたりして、学校を3年間ちゃんと通えたことなんて無かったはず。
でも今の私は、そんなに考えられなくなった。めんどくさいと思うようになってしまった。だから泣きたい時なんて滅多になくて、半年前に人の言葉に感動して泣いたのが最後(感動して泣くなんて前までなかった)。朝は比較的ちゃんと起きられていて、勉強も友達も好きだから学校は楽しくて、カウンセラー室に通えるようになったし、学校に3年間ちゃんと通えている。
14歳の私が「だから大人にはなりたくなかったんだ」と失望している。

本当はもっとわたしはもっと私だった気がする。んだけど。どうなんだろう。

20歳になって鈍感である強さを身につけてしまった気がする。物事に鈍感であればあるほど痛くない。音も景色も痛いものに触れなくなった。現代文の授業の『こころ』でkの死の理由について考えてしまい現代文の授業に出れなくなってしまったあの心は今何処にいるのだろう。

でもたまに現れる。あの心。
この前大森靖子ちゃんの『非国民ヒーロー』を聞いて駅のホームで泣き崩れたし、夜中にMAPAの『絶対運命ごっこ』のmvをみて眠れなくなった。ひとりで渋谷で『下妻物語』を観て自分を取り戻して強く前を向けるようになった。そういう自分がまだいる。何処に行ったんだろうと思ってたけどスルースキルが高くなっただけで、まだいた。面倒な感情でほんとうに面倒だけどちょっと嬉しかった。そんな簡単に無くならないんだっと感じられたから。

“10代”はもういなくなったし、ティーンを描いた小説や映画や音楽に今の自分をそのまま投影することはできなかなってしまったけれど。もう一旦20歳を超えたから次からの誕生日は怖さより諦めからくる前向きさになったけれど。そういうところはやっぱり未だに10代でいたかったと思って亡霊になりそうだけれど。

20歳になったからって案外私は私のままで変わらない。変われないのかも。黒髪もしっくりくるままでいたいし。スルースキルが10年間でついただけの私だった。そのままでいたいよ。
今も10代の頃と変わらないまま、危うさとか弱さがあるからこそのちゃんとした強さを持った綺麗な黒色をした人間になりたいって思っている。

周りの友人や出会う大人は好きな人間ばかりだし、環境に恵まれていることに本当に感謝を感じられているし、夢や目標が見えてきたり、生きていて良かったと思える日々が増えていくことが何よりも幸せだから、そう思えるようになったっていうのは歳を重ねたからこそだと思うから、

14歳の私に「思ったより生きられてるよ」、とぼそっと呟けるくらいにはなれている気がします。

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