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【会社用時計更新 2/4】SEIKO セカンドダイバー
5.植村ダイバー
日本において、セイコー セカンドダイバーは「植村ダイバー」と呼ばれています。これは日本人で初めてエベレスト登頂に成功した、植村直己が使用していたためです。植村直己の冒険はたくさんありますが、特に時計に関する冒険は以下4つです。特にロレックスとセイコーが植村の冒険に深く関わってくる事について、本当に興味深いです。
北極圏(12,000km)単独犬ゾリの旅
ネイチャー誌表紙/ロレックス探検家アワード受賞
単独北極点への旅
マッキンレー単独登頂
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5-1 北極圏(12,000km)単独犬ゾリの旅
元々、南極大陸を横断するための練習だったようです。そのためにエスキモーに弟子入りして、生肉を食って犬ぞりと極寒地での生活の技術を学びました。2年間かけて北極圏12,000kmを走破し、そのときに着けていた時計がセイコーセカンドダイバーです。
このような冒険において、時計はアクセサリーでは無く命を預ける装備です。季節ごとに日照時間がダイナミックに変化する北極圏において、感覚でなく正しい時間を知ることは時計が難しいです。また、決まった時間内に決まった距離を移動することにより、次の補給地までに現在の資材が足りてるか?など、計画の実行と進捗を知るため、時計は命を預ける計器となります。
2年間の冒険の実績があるセイコーセカンドダイバーですが、このまま使い続けるかと思われましたが、そうでもなかったようです。
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5-2 ネイチャー誌表紙/ロレックス探検家アワード受賞
北極圏の旅が評価され、日本人初のネイチャー誌表紙を飾ります。また、ロレックスから、探検家賞として「エクスプローラー2」が送られます。植村はこれを誇りに思い、次の冒険にはこの「エクスプローラー2」を付けて行くことになります。しかし、この「エクスプローラー2」は、後々、彼の人生に大きな影をもたらす事となってしまいます。
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5-3 単独北極点への旅
植村直己、犬ぞりによる単独北極点を目指す旅に出ます。この時、植村の腕にはロレックス社から送られた「エクスプローラー2」が付けられています。また、丁度同じ頃、日大チームも同じく北極点を目指す旅に出発します。
北極点を目指す中、「エクスプローラー2」が故障します。寒さと犬ぞりの振動から、腕に付けず持っていたらしいのですが、機械油が凍り、バンドも切れてしまい、とうとう動かなくなってしまいます。時計が動かないと、移動の計画に対する進捗、飛行機での補給時間など、全く判らなくなってしまい、最悪は死を意味します。
ここで、補給の飛行機に乗り合わせた文芸春秋の記者が、持っていた「セイコーダイバー」との交換を申し入れます。壊れたロレックスからセイコーダイバーに交換することによって、植村直己は冒険を続行することが出来ましたが、日本人初の北極点到達は日大チームに奪われてしまいます。初めからセイコーダイバーを持っていけばどうだったのか・・・。
この交換したセイコーダイバーの機種は不明です。時代的に、ファーストなのかセカンドなのか、はたまたハイビートなのか?機種は不明ですが、この時、植村直己はセイコーに命を救われました。
5-4 マッキンレー単独登頂
北極圏犬ぞりの旅にもあったように、元々目指していたのは南極大陸の横断です。しかしこれはフォークランド紛争によって中止となってしまいます。この南極大陸横断に代わる冒険が、冬季マッキンレー単独登頂です。
そして、植村自身の誕生日である1984年2月12日、世界で初めてマッキンレーの単独登頂に成功します。しかし翌日の無線通信か連絡が取れなくなり、この日が植村直己の認定死亡日となってしまいます。
後日、単独北極点の旅を取材した文芸春秋の記者が植村の妻に確認したところ、この冒険で着けていた時計は、ロレックスだったとのことです。なぜ実績あるのセイコーを付けない、植村・・・。数々の冒険で植村が生還した時、いつも腕に付けていた時計は、セイコーダイバーだったじゃないか・・・。
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