『林檎』
ドライブで遠出した時のこと。元々明確な目的地など無い旅だから、流れ流れてある大きな沼に辿り着いた。車を停め、その外周を歩いてみる。とても大きな沼で、途中、沼の中央部に出島の様な突端部があり、神社があるので行ってみると、釣りのスポットでもあるらしく、二、三人の釣り人がおり、なぜか皆東南アジアの人たちであった。その内の一組は男女のペアのようで、釣りに夢中な男性を尻目に女性の方は釣りにもあまり興味なさげで手持ち無沙汰な様子だった。
そんな光景を見ながら立ち去ろうと振り返った瞬間、巨大な真赤な太陽が、今にも熟して地平に沈もうとしていた。久々に目にする見事な落陽に心奪われ、徐々に沈みゆく様を眺めていると、視界の端で先ほどの女性も同じ様に見入っている。話している言葉も全くわからない異国の人だけれど、同じ瞬間に同じものに心が動いているのが嬉しくて、つい意識の多くをそちらに向けてしまう。不思議なことに沈み切るまで見届けねばならないという使命感の様なものがあった。或いはそこまでしてこの小さな奇跡を享受したことになるのだ、という論理が働いたのかもしれない。
あたりはすっかり暗くなり、先ほどまで視野の端で捉えていた女性の輪郭は闇に溶けて無くなっていた。それでもこの偶然を共有していたという奇跡が嬉しくて、使命を終えた後、かすかに高揚した心持で振り返ると、女性はとっくに同行の男性の傍に戻っていた。
肩透かしを喰らった様な自己本位な感情の立ち去り際、えも言われぬ自分の感情の成分に、少しだけとはいえ、怒りが含まれていることに怖くなって足早になった。