『君の名は希望』
病床では管を通された祖父が最後の命を燃やしている。呼びかけに瞳と微かな唇の動きで応じるが、もう意思の疎通は叶わない。若く、健やかな自分は何も出来ず、申し訳ないような、神妙な面持ちで傍に立つ。
そこまでが冒頭部分。そこから母は身の回りの世話や、諸々の確認など慌ただしく動き、その間を頼まれた自分は時折祖父に目を遣りながらも、持て余す。
何しろ薄っぺらいのだ。今となってはそう思う。今の祖父に何かしてやれるだけの経験も想像力もなく、ただ優しい眼差しを心掛けながら見守る事しか出来ない。そしてそれさえも続かず手持ち無沙汰に脇に置いてある雑誌を手に取ったり、窓から外を仔細に眺めたりする。そうこうする内に母が戻って来て、一緒に耳元でまた来ると挨拶をして帰る———。そんなことを繰り返すうち、祖父は亡くなった。
あれから幾年も経ち、ずっと死の輪郭もはっきりとしてきたあたりから、あの頃の事がとても不誠実で恥ずかしいと思うようになった。何にも考えず、ただ連れて来られました、といった趣で佇む男。もっと何かしてあげられなかったか。そうでなくとも、もっと相応しい姿勢があっただろう、と。もし声を聞けていたなら、さぞかし失望していたのではないか、と。
そして自らの不誠実さを自覚したと同時に、他に対しても心の裡で秘かに、それを潔癖に求めるようになる。また別の機会に病床を見舞った時、はしゃいでいる隣の家族の子供が気に掛かる。脳天気に近況を話している人が気になる。
死に対峙する ”厳かさ” を求めていたのだろう。他者にも自分にも。当時は我ながら一つの真摯さを手に入れて成長したと思っていたけれど、今にして思うとそれもまだ途上だったのだなと思う。あの頃は親族の中でも一番下の若い世代だったが、今ではその下の世代も増え、もう子供扱いされる時代は過ぎ去った。だからこそ思う。どんなに悲惨な状況でも、何も知らずにはしゃいでいる子供がどれほどの眩い輝きを放って周囲を明るくしているのかを。
物心ついて罪を自覚した頃から、さらに遡って鑑みる。そうだ。確かに自分も同じ様に何事にも気を回すことなく、あっけらかんと祖父や祖母の病床(その頃は誰も致命的なものではなかったが)を訪れ、そんな自分を何をしても笑顔で迎えてくれていた。かつて自分も太陽であったのだ。そしてその立場が弟たちへと移譲されていったのも思い出した。小賢しい神妙さは要らない。ただ明るく、そこにいてくれさえすれば十全に事足りているのだ。
春に何だか心が躍りだすのは、右肩上がりだから。それが毎年訪れてくれるから何とか生きていける。上昇の過程、その頃が最も幸せだ。子供はそれを存在自体で体現している。けれどそれは子供だけとは限らない。光を与えてくれる存在であれば。
人生の意味を誰も教えてくれはしないだろう。けれど眩い輝きを放つ存在は、それだけでこの世界は美しいと悟らせてくれる。自然と目が覚めた朝の気持ち良さは理屈を軽々と超えてくるように。
自分で自分の存在する理由は説明出来ないけれど、自分にとってかけがえのない人がいるように、自分もまた誰かにとってのかけがえのない存在なのだ。幸せなことに、少なくとも祖父や祖母、そして父と母の幾許かの灯火として照らしてきたのだと心底信じられることが自らの希望の灯火にもなっている。