『おじさんと酒』
マナベさんはコップ酒屋の常連さんの中でも特別な人だった。
コップ酒屋とは、いわゆる角打ち、その場で呑める酒屋で、母方の実家であった酒屋を、地元では皆そう呼称していた。夕方頃に何処からか現れて毎夜今宵限りの様にそこで賑わう人達は皆、ただでさえ強烈な人が、酩酊して奇天烈になった状態でいつも出会い、まだ幼かった自分を可愛がってくれた。酔えば酔うほど長っ尻で、しまいには自立出来ぬほどになってひたすら猫の鳴き真似を繰り返す「ニャーオのおっちゃん」。日本酒の紙パックをひと吸いした途端、ブルブル震える手がピタッと止まり、逆に意識も明瞭になるおじいさん。日中、仕事現場で手に入った物を、筍でもワラビでもライギョでも、何でも調理して振る舞ってくれるおっちゃん。今になって思えばとても貴重な環境だった。そんな多士済々な常連さん達の中でも、マナベさんはどこかちゃんとしている、という安心感があった。ひとつには高二の夏休み、マナベさんの計らいで土方のバイトを紹介してもらった際、自らが陣頭に立ちながらも的確に周囲に指示する仕事ぶりを実地にて目にしたというのもある。
その後、地元を離れ、たまの帰省の折に祖母の店で会った時には挨拶や一言二言交わす程度で何年も過ぎたある時。正月の帰省で祖母を訪ねると、年末にマナベさんが亡くなったと聞かされた。晩年は酒で体調を崩してあまり祖母の店に顔を出すことも少なくなっていたマナベさんが、年末にひょっこりと現れ、不意に「花を買ってきた」と祖母にプレゼントしてくれたそうで(確かシクラメンだったと思う)、それから数日間のうちに自宅で倒れ、ひっそりと亡くなっていたそうだ。
そして何よりこの話で鮮やかに残っているのは、そこまでの経緯をひとしきり神妙な顔で聞いていると、その後、そのシクラメンが怖くなるほど長い間満開で咲き乱れ続けたのだ、と祖母が結んだことだ。不意に現れた、妙に物語めいたその結末に、思わず笑ってしまったのを憶えている。