『横顔しか知らない』

「あんな人だとは思わなかった」
良きにつけ悪しきにつけ、何か劇的な変化を起こした人物に向けられる言葉。けれどこちらが抱く印象や感情が、勝手に人物像や先入観を作り上げていることがある。恐れや尊敬がその人物全てに敷衍ふえんして、過剰に冷酷に仕立て上げたり、少しの過ちで全てを帳消しにするほど見損なったりする。

祖母は昔から入れ歯で、それも殆ど総入れ歯だった。幼い時分からそう記憶されていて、だとすれば全ての歯を失うには少々早過ぎる気がする、と気づいたのはある程度成長して、想像力の具体性が老齢を射程範囲に捉え始めた頃であった。そうはいうものの祖母は戦争を経験した世代、自分とは体験の重みや濃さが違う。想像の及ばぬほどの過酷な時代を駆け抜けたのだから、自分などには推し量れぬ事情があったのだろう。ましてや身内とはいえ容姿容貌に関わること、あまり声高に尋ねるべきものではない、と独り合点し、気にはなったものの自重していた。
後年、祖母は介護施設に入り、親族で集まった時のこと。何かの拍子に自然と祖母の入れ歯の話になる。折しも顔ぶれは父含め、祖母の息子たちが揃っている。忘れていた積年の疑問が蘇る。何故、祖母は全ての歯を失ったのか。その大事に至る詳細は———。
「飴が好きで毎晩舐めながら寝よったんや」
手前勝手に祖母を尊重し、労ってきた自分にとって、それは横面を張られた様な衝撃だった。こちらで仕立ててきた理由と、あまりにも釣り合わないのだ。
「は?」
聞こえなかったのかと伯父はもう一度同じ台詞を繰り返す。
「は?」
微かに怒気さえ含んだ口調で聞き返す。伯父にとっては話題の些末さと比してあまりにも真剣な私に面食らいながら、やっぱり同じ事を繰り返す。
祖父と手を取り合い、先の大戦を駆け抜け、父を含めた四人の兄弟を育て上げた祖母。そこには及びもつかない経験と叡智がある———そう信じていた。

人間関係とは、最初は帰納法的なのが、親しんでくると演繹的になる。
分からぬ内は目の前の事実を一つ一つ精査してその人物像に還元していくが、ある程度分かった気ヽヽヽヽヽになると、自分の作り上げた人物像に事実を都合よく当て嵌めて思い込みを補強することに終始してしまう。
別に祖母に落胆したわけではない。凝り固まった独り合点がほぐれた後は、反動で、その場で誰にも説明出来ない可笑しさが襲ってきて、一人でずっと笑ってしまった。その可笑しを説明したくて、こうして思い出しながら長々と書き連ねている。


いいなと思ったら応援しよう!