『永遠の夕日』
自分の人生の中で、一番苦しい時期に合宿で運転免許を取りに行った。
仕事を辞め、借金だけが残り、”気持ち”が上乗せされた幾許かの最後の給料で、再出発を図るためにこれからどこに進もうとも必要になるであろう免許を取ることにした。
初めての車の運転は思っていた以上に苦戦した。月並みだけれど、世の中の皆こんな難しいことを平然とやってのけているのかと愕然とした。精神的にも参っていた分、余計に落ち込んだりもしたが、それでも何日かが過ぎ、少しずつ運転にも慣れ、同じような日程の人間同士徐々に話すようにもなり、調子も上向いていった。
そんなある日、自然と寄り合うようになっていた仲間二人に誘われ飲みに行った。これまでの反動の様に、スナックのような場所でカラオケで我ながら大きに威勢が良かったのだけが記憶に残っている。
はたして翌日、烈しい二日酔いに苦しんだ。
短期集中の日程のため、一日たりとも疎かに出来ないのは重々知っている。電話も何度か鳴っている。けれどもその全てから逃げた。あらゆる意味で苦しくてただうずくまっていた。いつしか電話も鳴らなくなっていた。
夕方頃、呼び鈴が鳴り、昨日の仲間二人の声が外から聞こえる。二人の声は昨日と変わらぬ張りがあり、いつも通りの日常を終えた者と扉一枚隔てて這いつくばっている者との対比があまりにも恥ずかしく、気取られぬよう声を潜めてうずくまっていた。やがて心配する口ぶりの会話と共に声は遠ざかり、再び静寂が訪れた。
合宿所であるという事は居留守を使った彼らは隣人でもある。自らの手で、自分をこの場に存在してはいけない者にまで貶めてしまった。まるで盗人の如く自室を動き、便所で声を殺して嘔吐する。
部屋は段々と暗くなり、事態はどんどん悪くなる。これまで自分を取り囲んでいた全てのものが裏返ってのしかかってくるような感覚に立っていられなくなり、床に四つん這いになり嗚咽した。差し込む夕日に部屋は凄まじく真っ赤だった。お前はこれからずっとこうして負け続けるのだ、と宣告せられたような絶望だった。四つん這いで床に突っ伏して、絶え間なく襲ってくる嗚咽に声を上げることも許されず、それでも時折堪えきれなかったものが獣のような剥き出しの音を立てて放出された。
もしあの日の夕日が実際は鮮やかでなかったとするならば、何をしてそう記憶せしめたのだろう。何の作用が記憶の彩度を上げたのだろう。現実的に云えば、あの一日がこれまでの何千、何万日分の一であるよりもそうでない確率の方が高いだろうし、もっと赤い夕日があっただろう。それでもやはりあの日の赤が鮮烈だったのは、あんなに深く絶望した、あの日の夕日が鮮烈でないわけがないのだ。あの日の夕日をあんなにも赤く染め上げたのは夕日と自分の仕業なのだ。
夕日はそれだけで赤くなる訳ではない。それが胸にまで差し込んできた者のみが、その赤さに目を奪われ、仕上げを施すのだ。思い返せば、思わず目を奪われ見上げた度毎に夕日は”見たことのない”赤さだった。
あの日の記憶は、真っ赤な部屋で、影絵の様に真っ黒な人間が四つん這いになっている光景で思い出される。