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古書のページが語りかけるある日の午後
ジャック・プレヴェールは、仏の詩人、作家、映画脚本家と知られる。日本でも有名なシャンソンを代表する名曲『枯葉』の作詞はこの人であるし、仏映画史に残る偉大なる作品『天桟敷の人々』の脚本を手掛けたことでも有名である。
マルセル・カルネ、ジャン・ルノワール、ジャン・グレミヨン、御祖父さんさん、御祖母様が愛した頃のフランス映画知る人ならきっと知っているはず。映画ではヌーベル・バーグ以前の人、文学ではボリスヴィアン、フランソワーズ・サガン以前の人、昔の人、だから、そうした実績をもちながらもこの人の知名度は日本ではなぜか低い。
先日、そんな枯葉ちる通りのとある場所で、その人の本書を見つける。
手にとり悪くない、と思う。
「おお、あなたフランス語、お出来になるんですね」
いや、いや、仏語、英語、それどころか日本語だって怪しい私です。
私が悪くないと思ったのは、この本が醸し出す雰囲気である。紙の質は良くない。それに、なんだこれ、製本ミス、ページがちゃんと切れてない。いや、これは仏の書籍にあるアンカット製本、ペーパーナイフを使いながら読んでいくタイプ。すべて、未開封。
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本書は、ジャック・プレヴェールによって1946年に発表された、詩、散文詩、メモを集めたもの。
これは、発売されるや、フランスで高い評価を受ける。後々人気は衰えることなく数白版を重ねたらしい。だから、フランスでこの本はとくにめずらしいものでもなんでもないだろう。セーヌ川沿いの古本屋「ブキニスト」辺りでは、「なんだプレヴェールのパロールか、」なんて、軽くいなされてしまうのか。
黒字に赤のレタリング、黒と赤、時に妖艶なイメージを感じるのは私だけだろうか。だが、これはそんなことはない。レタリングによるものか上品シックにまとまっている。サイド・テーブルにこれがさりげなく置けば、嗚呼、フランスのエスプリが午後に漂う。
「えっ、なんだ、単なるオブジェですか、」
でも、私はそう思っていた。フランス語が読めるなら、それはそれで結構なことだが、でも、読めなくてもそれはそれでも価値があると思った。
私はその後、公園のカフエに行きそこでテラス席に座った。テーブル席は私一人だった、鮮やかに色づいた樹々を眺めながら、コーヒーを一口すすり、ふと、気まぐれに本書のページをひらき、何気なくスマートホンをあててみる・・・。
現在、文化の境界線を越えて、さらには、時代を超えて、技術は進歩していく。
そう、すると、そこには、翻訳された文字が・・・。
OSIRIS
OU
LA FUITEE'N EGYPTE
オシリス
あなた
エジプトへのフライト
戦争だ、夏だ
もう夏また戦争
そして荒涼とした寂しい
街がまた微笑む
とにかく笑って笑って
甘い夏の眼差し
で愛する人たちに優しく
微笑む 戦争だ 夏だ
女を待つ男
博物館を歩く彼らの
足跡は、このさびれた博物館の唯一のステップです
この美術館はルーブル
美術館 この街はパリ
そして世界の新鮮さ
みんな寝てる?
警備員が足音を聞いて目を覚ます
凄い!!
その半世紀も前に、1956年MAY5月のフランスのとある場所の印刷工場で刷られた、その時代に変色した1ページが、現代にメッセージを伝えるように、届けるように。突然、息を吹き返したように感じたのだ。私の役目は、オブジェではなく、読まれることだと・・・。
そして、数ページを今度は、翻訳機の女性の声に読ませてみたりした。やや、機械的ではあったが、戦争とそれに屈することのない犯罪通り、庶民の息吹のなかにひそむパワー、芸術と猥雑のはざまその濃厚な匂いを感じたのだった。
そして、何より、そのたよりないページ、おんぼろな紙きれに、刷り込まれたメッセージ、それが息をしているということを思い知らされるのだ。
きっと、今から100年後も、本書、『Paroles』は、その数白版を重ねたなかから、生き残った書籍が、今日、私のように何気なくそれを手にとったものを驚かせることだろう。
私は、その後、カフェのテーブルにおいたこの本を眺めながら、思いもしない驚きの心地良い余韻とともに、ただしばらく佇んでいたのだった。