『家族ダンジョン』第28話 第二十六階層 宝箱が導く
階段を降りた先に宝箱があった。金色で蓋の開け口が右を向いている。真っ先に冨子が飛びついた。
「開けるよー。もう、開けちゃうよー」
「別にいいけど」
茜は苦笑いで言った。冨子は宝箱に覆い被さっていた。
「では、ぱかー、んー?」
片手から両手に変わる。蓋の部分を掌で挟むようにして力んだ。強張った顔が見る間に真っ赤になる。
一気に力を抜いた。冨子は立ち上がると直道に笑顔を向ける。
「開かないのであとはよろしくー」
「試してみよう」
直道は宝箱と向き合う。祈るように両手を組んで軽く手首を回す。最初に片手で蓋の継ぎ目に指を掛けた。引き上げるようにして力を込める。
「全く動かない」
両手で試したが結果は同じであった。
「開かない宝箱のようだ」
「鍵とかじゃなくて?」
様子を見ていた茜が宝箱の側にきた。しゃがんで蓋の継ぎ目に顔を近づける。
「開かないはずだよ。繋がっている。ダミーだね、これは」
茜はゆっくりと立ち上がった。
「金色の宝箱が、こんなところにポンと置いてある訳がないよね」
「早く先に進むぞ。俺様は力が有り余っているのだ」
ハムの鼻息が荒い。
「陰湿な嫌がらせはこりごりだよ」
茜は正面の通路を見た。右手を見て、最後に左手に目をやる。
「こっちでいいか」
左手の通路に向かう。ハムが後に続く。後方に直道と冨子が並んで歩いた。
灰色の石で組まれた通路は真っすぐに伸びていた。先は暗くて見えない。
「ちょっと待って」
茜が足を止めた。右手の下を見ると金色の宝箱が横向きの状態で置かれていた。
「上る階段があるねー」
「戻ってきたのか」
直道は顎を撫でながら言った。
「魔方陣はなかったけど、瞬時に移動させられたようだね。今度は正面を試してみようかな」
特に反論は出ず、一行は歩き始めた。直道は周囲の変化を見逃さない心構えで隈なく目を向ける。
結果は同じ、一瞬で戻された。
全員が残る右手の通路を向いて無言で歩き出す。壁に突き当たり、左へと曲がる。また直線を進んで左に折れる。
金色の宝箱を目にした。右向きに置かれていて三方の通路も同じだった。
「上りの階段はないから先に進んだようね」
茜の言葉を他所に冨子は宝箱の蓋に手を掛ける。
「やっぱり開かないんだねー」
「次はどちらに進む?」
直道の言葉に茜の目が迷う。
「……勘で前かな」
全員が言葉に従って正面の通路を進む。ハムは茜の横で機嫌よく跳ねるように歩いた。
「前進は実に気持ちがいいぞ」
「猪みたいだね」
茜は横目で笑みを作る。
「それは、なんだ?」
「豚の親戚だよ」
「それは、なんだ!」
「加工されたハムの生前の姿だね」
「ハムちゃん、よくわからない」
愛らしい声で思考を自ら停止した。
直後、目の前に金色の宝箱が現れた。またしても右を向いていた。直道が咄嗟に後ろを振り返る。
「上り階段がある」
「えー、また初めからー」
冨子はふくらはぎを摩りながら不満を募らせる。
「ゲームの中盤でたまにあるよね、こんなトラップ。正しい道順で歩かないと戻されるって」
「もしかしてー、宝箱の中にヒントがあるのかなー」
冨子は真上から宝箱の全体を眺める。
「開ける方向が逆とかー」
試したが開かなかった。
「宝箱全体が横や縦に動いたら開くとかー」
姿勢を低くして四方から押してみる。パンプスの底が滑るだけで何の効果もなかった。
「開かないよー」
力尽きてぺたんと座り込んだ。ハムは気のない顔で宝箱を見る。その状態でグルグルと回った。
ぴたりと足を止める。
「右だな」
「それはそうだけど、問題は」
「右に行くぞ!」
茜の話を打ち切ってハムが右手の通路に突っ込んだ。慌てて三人が追い掛ける。
三方の通路に出た。ハムはちらりと宝箱を見て右に走り出す。
「右だぞ!」
「えー、進まないで戻るの!?」
「ハム、勝手に突っ走るな!」
冨子と茜が文句を言いながら付いていく。直道はやや目を伏せて最後尾を走る。
金色の宝箱が見えてきた。初めての変化に三人の動きが鈍る。ハムは減速しないで左手の通路に駆け込んだ。
戸惑いの表情を浮かべながらも三人は勢いに乗って走った。
「次はここだ!」
ハムが先頭で三人を引っ張る。次の分岐を左に曲がると開けた場所に出た。
信じられないという風に茜が目を丸くした。
「もしかしてトラップを抜けた?」
「俺様の思った通りだぞ!」
ハムは鼻を高々と上げた。
「ハムちゃん、どうしてわかったの?」
冨子の疑問にハムはふんぞり返る。
「思った通りに走ったのだぞ! 俺様は勝利した! 宝箱に惑わされるような愚か者ではないのだ!」
茜は顔の前で手を振った。
「それ、説明になってないって」
「宝箱の向きだ」
確信したのか。直道は伏せていた目を上げて言った。
「直道さん、どういうこと?」
「最初の宝箱は右を向いていた。そこで右を選択した。次の宝箱もそうだ」
「最初から宝箱が正解の道を示していたってこと?」
茜は猫目を丸くして、うずうずした顔で答えを待つ。
「そうだ」
「純真な心の持ち主である俺様だから見抜けたのだぞ! 欲に塗れた者達は今回のことを教訓としてよく肝に銘じるがよい!」
肥大した自尊心でハムは後ろにひっくり返った。ジタバタして起き上がると愛くるしい顔付きとなって尻尾を振り続けた。
「ゲームネタっぽいのに、完全に騙された」
茜は苦笑いで額に手を当てた。頬がほんのりと赤い。冷えた掌で頭を冷やしているようだった。
「でもー、少し楽しいかもー。みんなと一緒だし。直道さんはどうですか?」
「私は」
糸目の冨子は、これ以上はないという笑みを湛えている。直道は眼鏡の中央を中指で押した状態で、悪くない、と早口で言った。
それとなく横目をやる。奥には新たな降りる階段が見えていた。
「いや、楽しい」
直道は訂正して微かに口元を緩めた。
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