『家族ダンジョン』第11話 第十階層 兆し
頭脳と肉体を酷使したこともあって各々が覚悟を決めた顔で階段を降りた。その反動なのか。行き着いた先で一様に驚いた表情となった。
全体が灰色の石で隙間なく組まれ、方々に通路を伸ばしている。至って普通の迷宮然とした光景が広がっていた。
冨子と茜の表情が緩む。
「普通だねー」
「見慣れてきたね」
一瞬、直道の気も緩んだ。即座に思い直し、鋭い眼光に戻る。
ハムは周囲に鼻を向けた。小刻みに吸い込み、口角を下げた。
一行は誰に指示された訳でもなく、近くの壁に手を当てて一方に歩を進める。長く歩いて元の階段に戻ってきた。
異変の始まりであった。別の壁に手を添えて歩くと十字路で方向を変えられた。その都度、修正して奥に行くと矢印のある床に遭遇した。進みたい方向とは逆向きの為、引き返すことになった。
挫けずに他の道を進むと触れていた手が壁を突き抜けた。隠し通路を発見した喜びで足早に向かうと行き止まり。仕掛けの類いは何もなく、体力だけを消耗した。ある意味、精神的なトラップと言える。
どれくらいの時間を費やしたのか。三人の足元が覚束ない。無尽蔵の体力を誇るハムでさえ、鼻を下に向けて喘ぐような声を漏らす。
先頭をいく直道の手が再び壁に減り込む。喜びの声は上がらなく、虚ろな目で中に入る。感情を失った死人のように茜と冨子が続く。最後にハムが前脚で鼻を擦りながら付いていった。
そこに降りる階段はなかった。単なる隠し部屋に過ぎない。暖を取ったような跡が消し炭として残されていた。薄いが毛布の類いも揃っている。
「あー」
冨子はふらふらと歩いて毛布の上に倒れ込んだ。自ら毛布に巻かれて瞬時に動かなくなった。茜は毛布を開いて俯せとなる。直道は同じように床に敷いて仰向けで寝転がった。ハムは隅の方で丸まった。
誰も彼もが深い眠りに落ちた。
直道のスーツのポケットにいたピンクのウサギの縫いぐるみが、もぞもぞと動き始める。抜け出すと二足歩行になって冨子の元に向かった。
縫いぐるみは頭の方に回り込む。右手の先端が淡い光を発した。無防備な額にそっと押し当てると長い耳を口に近づける。
「……先が見えないけど……家族で行動するのは、楽しい……仕事が忙しい直道さんと、こんなに長く、一緒にいたことはなかった……そうではなくて、直道さんが警察官をしていて……私が補導された頃も、お説教で長くいたよね……あれが切っ掛けで、夫婦になれたわけだから……不良も悪くない……娘の茜にはなって欲しくない、けど……」
縫いぐるみは当てていた手を離した。冨子は口を閉じて安らかな寝息を立てる。
同じようにして茜の額にも光る手を押し当てた。
「……異世界転移と、思ったけど……ゲームの要素が強いような、気がする……弟の影響もあって、ゲームは嫌いじゃない……クイズ形式は少し苦手……あと、単純なトラップでも、実際に身体を使ってみると……かなり大変なことが、わかった……元陸上部とは言っても、運動不足もあって、体力が落ちている……今のうちに、なんとか、しないと……」
縫いぐるみは隅で横になっていたハムの元にも向かう。額に手を当てず、適当に尻を蹴飛ばした。
「フゴ……」
丸みを帯びた柔らかい足の為、目覚めることはなかった。
最後に直道の額にも手を当てた。
「……家族の為に、私は動けている、だろうか……会話は成立している、と思う……体力の衰えは、感じている……警察官を辞めたことに、後悔はない……冨子との仲を、上司に疑われた……その通りではあったが、下種の勘繰りには、頭にきた……今はしがない、サラリーマンだが……家族のことを思えば、頑張れる……役職に就いているので、大きな不満はない……頭の固さは、どうにかしたいが……」
役目を果たしたのか。縫いぐるみは直道のポケットの中に脚から潜り込む。顔だけを出して眠るように動かなくなった。
昼夜の変化がなくても自然に朝はやってくる。
最初に冨子が目を開けた。
「あらー、簀巻き状態だねー」
自らの回転で拘束を解いた。その物音で直道が目覚める。
「直道さん、おはようー」
「おはよう」
そこに不機嫌な声が割り込む。
「それにしてもこの階層はなんなのだ。鋭敏な俺様の鼻が痛くて安眠ができないではないか」
「ハムちゃんもおはようー」
「苦しゅうない」
「はい?」
ゆらりと立ち上がる。糸目が徐々に開き出す。
「おはよう!」
ハムは丸まった尻尾を千切れんばかりに振った。
「かわいいからオッケー」
「鼻が痛いとは、どういう意味だ?」
直道は眼鏡の中央を押し上げる。
「わからないのか!? 糞尿と酸味の強い吐瀉物を混ぜ合わせて煮詰めたような強烈な悪臭を! 向こうから流れてきているではないか!」
ハムは前脚で向かいの壁を示した。
「……最悪の目覚めを、ありがとう」
内容が耳に入っていたのか。茜は気だるげに上体を起こした。
直道はハムの示した壁に手を伸ばす。何の抵抗もなく擦り抜けた。
「隠し部屋に隠し通路か」
「当たりかなー」
冨子は明るい声で言った。
「可能性はあるね」
茜は起き上がると直道よりも先に壁を抜けた。直線の細い道は二度三度と折れ曲がり、その先に隠れていた階段を薄闇から引き摺り出した。
手前で止まった茜は、やったね、と声を弾ませた。
かなり遅れて直道と冨子がやってきた。先頭のハムは脚を踏ん張る。二人掛かりで押されている為、無意味な抵抗となっていた。
「その階段は無理だ! 悪臭が酷くてこれ以上は進めない! だから無理なんだって! 俺様の話を聞けよ!」
「埃っぽい感じはするけど、別に臭くはないよねー」
「私にもわからない。茜はどうだ?」
「特になにも感じないけど。ハムの鼻がおかしいんじゃないの」
「違う! 逆だ! 俺様の鼻の感度は最高だ! シイタケは歩きながら音のしない屁を二回した!」
「ちょ、なにを! そんなこと……ここで、言わなくても……」
耳を赤くして俯く。その態度が事実と語っていた。
直道は茜を見ないように配慮してハムに尋ねる。
「その臭いの元はわかるのか?」
「わからないが悪い予感しかしない!」
「それじゃあ、ハムちゃんとはここでお別れだね。今までありがとうー」
冨子が階段を降りていく。茜が続いて直道が一歩を踏み出した。
一度、振り返ってハムを見る。
「私は決断を否定しない」
直道なりの別れの言葉であった。
残されたハムは豚の貯金箱のように固まった。カタカタと足元が鳴り出す。
「なんで俺様を置いていくんだよぉぉぉ!」
叫びながら目の前の階段を駆け下りていった。
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