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【連作短編】先輩ちゃんと後輩君 その2
第2話 先輩ちゃんはカレーの匂いに誘われてお好み焼きを食べる
部屋の掃除と洗濯を終えた。机上の時計は一人暮らしの大学生、高田 春人に正午を伝える。
手始めに電気炊飯器の中を見た。一人分の量としては十分と言える。次にキッチン下の戸棚を開けた。真っ先に目に付いたカレー粉の箱を取り出す。開封されていたが半分は残っていた。
春人は即決。昼食の用意を始めた。
料理の完成間際になってチャイムが鳴った。今日は日曜日。来客の予定は入れていない。怪訝な面持ちで春人は玄関ドアを開けた。
「また抜き打ちチェックですか?」
「それはない。後輩君の自炊を私は大いに評価している」
元大学の先輩、青山 陽葵は満足そうな笑みを浮かべる。今日は勤務用のリクルートスーツではなく、白いブラウスに薄手の青いカーディガンを合わせたパンツルックだった。
春人の視線が下方に流れる。陽葵が右手に持ったビニール袋に注目した。
「気付いたか。これは差し入れのビールだ……このスパイシーな香りは」
「カレー粉です」
「ビールとよく合うじゃないか」
「あがりますか?」
「当然だ。昼から飲むビールは美味いぞ」
パンプスを踏ん付けるようにして脱いだ。部屋にあがると手慣れた様子で二人分のコップを取り出し、座卓に置いた。定位置に座り、早々と一缶を開けた。泡の量を調節しながらコップになみなみと注ぐ。
「それ、本当に差し入れですか?」
「もちろんだ。早く料理を持ってきて欲しい。私の胃袋が泣き叫んでいるぞ」
「わかりました」
渋々と言った感じで春人は大皿を用意して完成した一品を載せた。仕上げにソースとマヨネーズを使う。個々を絞りながら素早く動かして綺麗な網目模様を入れた。二人分の取り皿にナイフとフォークを持ち、座卓の中央に置いた。
見た瞬間、陽葵は咳き込んだ。春人は小さな背中を労わるように摩る。
「先輩ちゃん、大丈夫ですか」
「これはカレーじゃない!」
「見た目通りのお好み焼きです」
「匂い詐欺じゃないか! 私の胃袋は過剰なまでにカレーを求めていたのに。どうしてくれるんだ!」
潤んだ目で訴える。春人は穏やかな表情を返した。
「先輩ちゃんは炭水化物で炭水化物を食べられますか?」
「その質問の意味はわかるぞ。たこ焼きをおかずにしてご飯で食べる的な話だろう。今回のおかずはお好み焼きだが」
「どう思いますか」
「どうもこうもない。そんなのは邪道だ」
言い切るとビールを一気に呷る。飲み干したコップをドンと座卓に置いた。目が据わった状態で口を尖らせる。子供っぽい態度に春人は少し笑った。
「そうは言いますが、うどんの定食には五目ご飯がセットになっていることが多いですよ」
「それは、まあ、そうだな。今回のお好み焼きとご飯の組み合わせはさすがにないだろう。絶対にないと言い切れる」
「そうでしょうか。切り分けるので試してみてください」
春人は柔らかい表情を崩さず、お好み焼きの表面にナイフを当てた。
春人は切り分けたお好み焼きを取り皿に載せて陽葵の前に置いた。
「どうぞ。口に合うかはわかりませんが」
「茶碗がないぞ」
「そうですね」
「炭水化物をおかずに炭水化物で食べるのではないのか?」
陽葵の頭が大きく傾ぐ。その姿は解けないテスト問題に悩む生徒を彷彿とさせる。春人は先生役を買って出て人差し指で示した。
「お好み焼きの断面を見てください」
「それがなんだと、これは……」
取り皿を回していた手が止まる。陽葵は断面から零れた物をフォークで掬い上げて鼻先に持っていく。
「この匂いはカレーか!」
「正解です。お好み焼きの中にドライカレーを仕込んでみました」
「こんな料理、初めて見たぞ! 味はどうなんだ?」
更に切り分けてフォークで突き刺し、一口にした。数回の咀嚼で、んふぅぅ、と鼻から抜けるような声を漏らす。
「美味いぞ、これは! ドライカレーの香辛料とソースが絶妙に合っている! しかも、このソースはお好みソースではないな。どうだ?」
「よくわかりましたね。ドライカレーと調和するように」
陽葵は掌を突き出して言葉を止めた。唇に付いたソースを不敵に笑って舐め取る。
「さらっとした感じで僅かな酸味を感じる。ズバリ、焼きそばソースだな!」
「舌の感覚が鋭いですね」
「後輩君の料理で鍛えられたからな。しかも、この味はビールに絶対に合うぞ」
ビニール袋から新たな一本を取り出して開けた。先に春人のコップに注ぐと半顔を歪めたウインクを見せた。
「一杯、千五百円になりまぁす」
「酷いガールズバーですね。しかも未成年を働かせているとは。お嬢ちゃん、歳はいくつかな?」
「身長ネタはやめろ! それにしても美味いな。これの料理名は?」
「考えていません。ある物だけで作ってみました。名付けるなら『ドライカレー入りお好み焼き』でしょうか」
春人はコップを傾けて喉を潤した。
「長ったらしいな。パスタみたいなネーミングで新味に欠ける。もっと引き締めて感性に響くものがいいな」
「そうですか」
言いながら春人は取り皿に自分の分を確保した。ナイフで寸断した物をフォークに載せて口へと運んだ。よく味わったあとでビールを喉に流し込む。
「本当にビールとよく合いますね」
「……ドラカレ焼きでもいいが、ピンと来ない……もっと記憶に深く残るようなものがいいのだが……」
陽葵は深い思考に陥った。食べる手が止まり、コップに注いだビールの泡が消えていく。見かねた春人が声を掛けようとした。
僅かに早く、陽葵が目を輝かせて言った。
「あるぞ! 最高のネーミングが。これぞ、シンプルイズベストだ。『ドラ焼き』でどうだ!」
「それって和菓子の名前ですよね」
「ん、んんん~!?」
瞬間、陽葵の顔が沸騰。顔の赤さは広がって耳たぶにまで達した。
「今のは無し! 全て忘れろ。いいな、記憶を宇宙の果てに投げ捨てるんだ」
「でも、『ドラ焼き』って……」
笑いのツボに嵌ったのか。日頃は冷静な春人が前屈みとなった。崩れる表情を隠すようにしたものの忍び笑いは徐々に大きくなる。
陽葵は勢いよく立ち上がった。
「記憶がなくなるまで殴ってやる!」
「か、勘弁して、くださいよ」
目尻の涙を拭う春人に陽葵は、バカ―、と言いながら飛び掛かった。