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癒しを求めて、岐阜の古民家に(ひとり旅1日目)

今日も名古屋市はしっかり暑い。
大曽根駅に出て、JRに乗る。
乗るのは名古屋行、ではなくその逆方面のため、平日の10時すぎの電車はガラガラ。
ガラガラだけど、人がいる部分もいない部分もキンキンに冷えている。

普段はひとりで遠出しない。
いつもパートナー(彼氏)と一緒にいて、カーシェアを借りて彼の運転で出かけることが多い。
が、今回は色々あってひとり旅。
私は運転が苦手なので、ここから目的地まで電車を乗り継いでいく。

多治見まではスマホを見ていて外はあまり見なかった。でも、高蔵寺、定光寺、古虎渓(ここけい)、とどんどん田舎に向かっているようだった。
斜め向かいに座っている真っ白なファンデーションの女性が、鏡をみながらぐりぐりと口紅を塗っている。隣にはグッチのちょっとへたれた紙袋。彼女は何をしにどこに向かっているんだろう。

多治見からはワンマン列車に乗り換える。
ホームと車両の間に、よっこらせと言いたくなるくらいの段差がある。老人には厳しそう。
ワンマンだけど立派な客車の二両編成。
乗降の際にはドア横のボタンを押す方式。

写真中央付近「自由席」と書いてあるのがかわいい。
指定席車両が接続してた時代もあったということなのだろうか

モーター音が足元に響き、ガシャガシャと音を立てながら3割ほどの乗車率で出発。
携帯から目を離し、車窓を眺めて自動アナウンスに耳を傾けていた。
無人駅では車内精算して降りる必要があるという説明。
可児(かに)駅が人気らしい、半分以上降りていった。

木曽川と飛騨川が合流してまもないところ。ダムなのかな


初めての風景で、30分があっという間にすぎた。
私が乗り換える美濃太田駅はすべてのドアから降りてよい、有人駅。

到着してみると、ああこれは有人駅だ、と一目でわかる立派な駅舎。
ホームから階段を上がり、改札機でモバイルSuicaをタッチする。
これから乗り換える長良川鉄道はJRの駅舎直結、というかまるでJRの一部のようにホームが存在している模様。
案内表示にしたがってホームまで降りると、窓口と自動券売機があり、現金で切符を買った。

1両編成のため、座席は7割ほど埋まっている
観光客、というほどの装備の人はあまりいなくて、散策客と言えばいいだろうか。二人組やひとり客が多く、エコバッグを複数個持った買い物帰りらしい人や、高校生、ビジネスマンもいる。
乗り込んでから気づいたが、PayPayでも払えるらしい。クレジットのタッチ決済も。
Suicaに対応するより導入コストが低く、外国人にも対応できるのだろう。

クレジットタッチ決済の黒い機械がついている

キンキンのJRとはうってかわって、車内に吹くのは生ぬるい風のみ。隣のおばさんも一向に汗が引かないらしい、首にかけたタオルで何度も顔をぬぐっていた。

定時になり、出発。
途中まで高校生が頻繁に乗り降りしていたが、梅山駅を過ぎて、散策客もどこへ消えたのか、いつのまに乗車率は3割程度になっていた。

車窓も緑が増えてくる

ふと、読んだ本「寂しい生活」に出てきた言葉、
「不便は生きてて、便利は死んでるということかも」
…という旨の言葉を思い出した。
それ以上深く考えることはなかったのだけれど。

長良川鉄道に乗り始めて50分、みなみ子宝温泉駅で下車する。
大曽根からここまでで2時間半弱かかったようだが、割りとすぐ着いた気分だ。
下車時に運転士さんに「お風呂行かれますか」と聞かれ、降車証明書を渡される。
降りたホームはそのまま温泉施設に直結していて、この証明書を渡せば通常700円のところ、300円で入浴できるのである。
わざわざここを目的地にするか迷ったものの、この温泉が来月の9/29に閉館してしまうということで、記念に来てみた。

館内には車で来たと思われる客もほどほどにいる。
シニアが多く、休憩所の畳の上ででタオルをかけて寝ている。

次の電車まで1時間半ほど。
いつものようにさっさと服を脱ぎ捨ててお湯をかぶり、風呂へ向かった。
内風呂はシンプルなものだけで、露天風呂は屋根付きが一つ、屋根なしの大きな浴槽が一つ。
人工的な柵を極力もうけず、木々が目隠しをしているタイプ。その向こうは長良川。

HPより。屋根なしの浴槽


緑豊かな山々が望めて解放感があり、好みだった。
最近の女風呂は高い壁に覆われがちで、こういう「覗きの心配あり!」くらいの露天の方が肩の力が抜けて落ち着く。
晴れていたので日差しが強くなると頭が暑く、日陰に設置されたチェアにもたれて休んだ。
つくつくほうしが一匹、鳴いていた。

温泉を出て、電車までまだ少し時間があった。
受付の人にことわってスリッパを借り、施設の外にでると、
露天からは目隠しされていた長良川が見えた。

上流は清らかなんだろうな

やがて電車が来る時間になり、靴箱から靴を取り出した。

温泉施設直結のホーム

美濃太田方面へ戻る。
車内はまた3割程度の乗車率だった。お一人様が多く、静か。

20分ほどで、美濃市駅に着いた。
降りたのは私ともうひとりだけ。
古びた木造らしき駅舎に、風鈴が二つ鳴っている。

当たり前だが、背の高い建物や東横インがあるような街ではない。
マンションやアパートも見ない。ほとんど一軒家の、集落だ。
遠くに山々を望みながら、駅から真っ直ぐ伸びる道を歩く。
チェーン店などは一つもなく、昔ながらの定食屋などがぽつぽつ。
日差しの強さとは対照的にしんとした街。
歩行者は、少し先を女子高生がひとり歩いているだけで、車もほぼ通らない。

アイス最中を買って食べた。1954年からある店らしい。
軒先のベンチに座ると、急に立ち止まったことによって汗がだらだらと流れてくる。

130円。他にもバニラ、あずき、抹茶がある。

スーパーの100円ちょっとのミルキーな濃厚アイスではなく、しゃりっとしていてきなこの風味が優しく漂う。昔はおばあちゃんが店先でアイスを詰めて売っていたらしい。

しばらく歩いて、ファミマについた。
この道路は交通量がそれなりにあるよう。
この後泊まる宿にもっていく飲み物やつまみを買い、宿代の支払いのためにお金を下ろす。

すでに14時を回っていたがお昼ごはんを食べておらず、Uターン。
甘味をめざして「うだつのあがる街並み」にある茶房に向かう。

このでっぱりが、多分うだつ

うだつ、は防火用の装飾らしい。
保全されたこの街並みは観光地なのだろうけど、歩行者はあまりいない。
とはいえしけた雰囲気かといわれると、そうでもない。なんとも言えない。

平日だけど、にしても人がいない。でもお店は営業中

美濃市駅を降りてから、ほとんど人気(ひとけ)はないものの、人の息づく気配はある。
この通りも、しんとしているけれど、生きている感じがある。
古い店がいまも営業をつづけている。この通りだけでなく、この街には、吸い殻1つ落ちていない。街ひとつが大きな生命体であるような、プライドを感じる。

茶房も昔ながらの建物そのままで、純和風な感じ。
空いている席に広々座らせてもらってメニューを見る。もりもりのかき氷を食べている人が多いようだけど、宿の送迎までそこまで時間がないので、フィーリングでクリーム珈琲ぜんざいを頼んだ。

コーヒーでひたひたの小豆

意外と白玉が風味よくおいしい。
そして桜の塩漬けは、どんな季節に食べても風情があるものだと思った。

店をでて駅に向かう。
相変わらず、静かだ。
大抵こういう古きよき街並みには、どこぞの企業がやっているのかわからない映えを目指した嘘っぽい小洒落たタピオカ屋やスイーツ屋、外資の山系アパレル(マウント○ーニアとかパタ○ニアとか)が進出しがちだと思うのだけど、ここにはない。
そして今やどの観光地にも我が物顔で居座っている、スタバがない。

街並みを外部の人間に簡単には譲り渡さない、というプライドで、古きよきを守り続けているのかもしれない。
(まあ、そもそも全然人がいないから採算合わないってだけなのかもしれないけどね・・・)

15:20、美濃市駅に戻った。風鈴の音を聞きながら、待合室で汗を落ち着かせる。座った椅子は熱をもっていて、もちろんエアコンはないけれど、日陰なだけでありがたい。

15:30を過ぎて、一台の白いバンが駅の駐車場に慣れた手つきで入ってきた。
運転席から降りて来たのは女性。汗のにじんだTシャツ、くたっとしたタオルを首にかけている。お互いが同時に名乗りあった。
この女性が今日私が泊まる古民家の奥さんということで、開けられたドアに乗り込む。

宿までは一本道で、ぐねぐねとした山登り。
歩くと50分かかるそうなので、迎えに来てもらえてよかった。
宿があるのは、他に4軒ほどしかない小さな集落のなか。
もちろんコンビニはない。恐らく自販機もない。

車を停めると、外には木の伐採をしているおじいちゃん2人とリードにつながれていない自由な犬が一匹。
奥さんがぺこりと挨拶をするので私も続いた。
「一体どんな森の中に連れてこられるんだと思いましたか?」
と言って笑った。
森深く、体感温度が数度下がったように感じる。

宿帳に記載を済ませ、浴室とトイレ、夕食の場所を案内され、
それではごゆっくり、と早速部屋にひとり。
他に泊まる人がいればゲストハウスのようにシェアすることになっていたのだが、今日はいない。

古民家の一階部分、ひとりでもてあます


1階には3部屋+縁側が2箇所ある。すべてひとりじめだ。
全ての部屋の引戸が開け放たれ、すだれが下ろされている。
エアコンはなく、3台の扇風機がそれぞれの部屋で稼働している。
横になりたい、がそのまえに先の散策でベタついた身体を流すことにした。
シャワーとトイレはこの古民家から独立した建物にあり、玄関のスリッパを履いてそちらに向かう。
タイル張りの昔ながらのお風呂だった。

宿は夫婦で営んでいる。奥さんは50代後半だろうか、カヤックのインストラクターをしているらしい。
「ひとり旅はよくするんですか?」と宿帳から顔を上げてこちらを見つめた彼女の目の色は薄く、肌はこんがり焼けていて、化粧っけはなかった。
想定していた質問だった。
ぜんざいを食べているときにどんな風に答えようかなと考えていた。
赤の他人に「彼氏」というワードを使うのがこっぱずかしくて、いっそ「旦那」って方が気楽だよな、でも嘘はよくない。「パートナー」だと同性愛者みたいだな、と答えが出ずにいた。
結局、「ひとり旅は、全然です。でも、彼氏が東京に遊びに行くというので、私も羽を伸ばそうかなと」とそのまんまの事実を答えた。

そんなことを思い出しながら、顔にお湯をあてないように頭を洗っていた。まあ、私も別に化粧してなくていいか、とクレンジングを手に取った。

ドライヤーは使わず、外に出て部屋に戻り、扇風機の前に座る。
すぐそばの森の木々から、ひぐらし、ミンミンゼミ、ツクツクホウシたちの合唱。

照明や押し入れのデザインはイマドキ

お腹が空いてきて、髪も乾いてきて、夜ご飯まで布団で少し寝ることにした。
扇風機がゆっくりと首を振る。自分がさっき使った備え付けのシャンプーの匂いと、森の湿った空気が交互にやってくる。

夜ご飯ができた、と奥さんが声をかけに来た。
隣も古民家になっている。その一階が食堂で、二階が宿主たちの住居らしい。
食堂は元々昔カフェ営業をしていたときに使っていたものだろう。明るい木を基調に柔らかく綺麗にリノベーションされていた。
靴を脱いで上がり、掘りごたつのカウンターに座る。

ここで初めて、宿のご主人と対面。
「こんばんは」と言った私の目をちゃんと見て「こんばんは」と返される。
今年60の年らしい。偏見だが、こういう小さな宿をやっている人は知らない人と会うことに慣れていて、もっとグイグイコミュニケーションを取ってくると思っていたけれど、丁寧にこちらと距離をとっている印象を受けた。

肝心の夜ご飯は、定食メニュー。
写真を撮っていないのだけどおしゃれに盛り付けられていた。

白米は、かまどで炊いたご飯をおひつに。
主菜は赤味噌煮込みハンバーグ、
汁物は豆腐の赤だし、
副菜に白和え、かぼちゃサラダ、きゅうりの漬物、ミニトマトの湯剥き(甘い)、シャインマスカット。

お腹がすいていたので茶碗に何度もご飯を足しながら煮込みハンバーグを食べた。
副菜もひとつひとつ、少し凝った味がする。
人の手作りの味がするのが嬉しい。

ご主人と対面する形で、「いただきます」と手を合わせてもぐもぐし始めて数分はしんとしていた。
ご主人の見た目は、長髪を結んでひげをたくわえ、キャップをサトシのバトルモード被り。食堂も引戸は全開なので、室温=外気温で、32度ほど。額に汗が浮かんでいる。
食べるだけの私は、肌がしっとりする程度で暑いとは感じなかった。

「お二階が住居なんですか」と私から話を振る。
そうです、という返事と共に、最近は21時には寝ちゃいます、朝が早くて、なんて話になった。
続けて、「名古屋は暑いですか」と話を振られた。
私が「まだ名古屋にきて半年ちょっとなんです」と言い、もとは北海道出身であると伝えるとパッと顔が明るくなった。奥さんが来て、ご主人がいまのことを伝えると奥さんもいましがたのご主人と同じ反応を示した。

私はこれが、北海道のよさだと思っている。
「東京から名古屋に引っ越してきました」よりも明らかに「北海道出身です」という情報の方が相手の警戒心をとき、興味をもってもらえる。

奥さんは最近北海道によく行くとのことで、この前は知床にシーカヤックに行ったそうだ。熊を10頭以上見たという。その経験は道民でもなかなかない。

途中、私が何かの拍子に「彼氏が」というワードを言って、彼の話にもなった。彼は熊本出身だという話から、刺身醤油や海産物の話、米焼酎の話をした。

それから、食後の熱いお茶をもらって、郡上八幡(ぐじょうはちまん)のオススメスポットを聞いたり、使っているお味噌の話を聞いたり。
ほどほどに夫婦とお話をする空間となって、居心地のいい夜ご飯時間だった。
「うだつの上がる街並み」はプライドを感じました、というと「鋭いですね」とのこと。曰く、そもそも「うだつ」自体が防火目的と言いながらそんなことできるシロモノではない。あれは経済力を示す、まさにプライドのものなんだと。確かにそうだと納得した。

19:30に席を立った。
外はすっかり暗くなっていて、先程までのセミたちの大合唱は、地べたを這う虫たちの大合唱にバトンタッチされていた。
スズムシ、マツムシ、クツワムシ、多分他にも色々いる。

以降、広い三部屋をひとりでもてあましながら、くつろいでいる。
夜も引戸は閉めないでよいとのこと。全開のまま寝ても誰も来ないので、と。
もはや外と中の隔たりはほとんどない。森の空気が部屋の中に充満している。
そしてスキマもたくさんあるので、虫たちのパレードにならぬよう、照明をできる限り落として扇風機の風に当たりながら、ファミマで買ってきたお菓子とワインを開けて、明日はなにをしようかとGoogleマップとにらめっこした。
ただ帰るだけでもいいけど、折角ならどこかに寄りたい。美味しそうなおやつ、コーヒー。ここに行って、彼にお土産を買おうかな、と考えながら、自分に「待った」をかける。

彼といざこざがあって私はこうしてひとりでいるのに、彼の存在をすぐに考えてしまう。宿帳に記載するときも、さっきのご飯の時もだ。
「私が赤味噌を切らしたら、味噌汁は赤味噌がいいってちょっと悲しげにいうんですよ」と笑いながら夫婦に話してしまった。
喧嘩した内容を反芻してぐぬぬと思っているのに、ちょっと油断すると「何を買っていけば喜ぶかな」「一緒にいたらどこに寄りたがるかな」と自分のしたいことよりも彼の思考を考えてしまっている。
それが今日はなんだかすごく悔しかった。
「私は一人で楽しめる、君に依存しているわけじゃない」
そう主張したくて、今回の一人旅を決行したのは否定できない。
なのに、結局私は彼の嬉しそうな顔を思い浮かべながら、彼のことばかり気にしているのだ。
ぶつぶつと文句を言いそうになりながら触った首もとが少しペタペタするので、軽くシャワーに入り直して、歯磨きをして部屋に戻る。
いくつか候補は出したし、あとは明日気の向くままに回ろう。

まだ部屋は30度。
でも締め切った鉄筋コンクリートの賃貸の30度と、
床も天井も木で組まれた古民家の開け放った30度では、不快感がまるで違う。
日本の夏は本来、こうなんだなと思った。

布団に寝っ転がって電気を消す。
虫たちの合唱がさっきよりも優しげに聞こえる。
あとは扇風機のブーンという弱い音。それ以外に音はない。

まだ少し蒸した空気、森の深呼吸の中に浸っている安心感。
そして、築70年以上のこの家の懐の深さが沁みた。

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