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いつも笑顔でいること

現役のアナウンサーの講座を受ける機会があった。
一時間半の講座を通して彼女がとにかく伝えたかったことは多分、いつなんどきも口角を上げることの大事さだった。

オンラインで行われたそれに参加した8人の受講生が、彼女の指示を受けてカメラの前で微笑む。
Zoomのギャラリーに並ぶ笑顔は、オンラインの空気をも明るくするでしょう、といわれてそれはその通りだった。

今日、復職に向けて上司2人とオンラインで面談をした。私は入室から退室まで、口角をほんのり上げ続けることを試みてみた。
結果、いつもより雰囲気はよかったような気はする。
最後に少しだけ雑談もしたし、私が笑いながら話していたからかはわからないが「笑顔って大切だよね」と上司が言った。

コロナ禍前、もう少し人と人の接触が柔らかかった頃、私は歩いているとよく道を尋ねられた。方向音痴な私は若干戸惑いつつも、頼られることは嬉しかった。
最近は、声をかけられなくなったことに気づいた。
そしてお店で「お嬢さん」とも言われなくなった。
年相応、またはそれ以上にやつれて、ムッとした顔が張り付いているのかもしれない。ふとガラス戸を見ると猫背になっていることも多い。
だから今日は、日傘のしたで口角をやや上げて歩いてみた。

アナウンサーの方はこうも言っていた。
「笑顔でいると脳も騙せるんですよ、楽しいから笑うのではなく、笑っていると楽しいと思ってしまうんです。いいでしょ?」
確かにそういう話は聞いたことがある。
ニッコニッコとしながら話す彼女はもうそれが仮面ではなく素の表情になっているのだろう、鍛え上げられた表情筋で頬も顎もシュッとしている。

一方、上司との面談でほんのり笑っていた自分の表情は、仮面だなと思った。いまこうして口元を緊張させて歩くのも、なんだかぎこちない。これで人は果たして話しかけてくれるだろうか。

マスクが必須ではなくなってきた頃、外で口元をさらけ出すのは恥部を出して歩いているようなものじゃないか、という気すらした。
今やまたマスクなしの生活に慣れてきたものの、通院先でマスクをするとついつい口元が油断する。目元はキリッとしてみてるのに、口はこたつのなかでだらけてるみたいだ。

先日、納骨堂の契約を進める際に相手をしてくれた住職の奥さんも、あのアナウンサーのようにずっと口角を上げて崩さなかった。その笑顔は決して付け焼き刃ではないようで、年齢の割にかなり若々しく見えた。一方、いつでもニコニコモードの相手と会話していると、腹の底では何を考えているのかわからない、と二面性を感じてしまう側面もある。よかれと思った笑顔が裏目に出るのだから、笑顔の使い方というのは難しい。
でも仏頂面でいるより、笑顔でいる方がどんな年代の人間もかわいらしい。これだけは確かだ。にこやかな人には近づきたくなる。

「みなさんは無表情のとき、口角は上がっていますか?」
もちろん、NO。あがるどころか、重力に負けている。
でも日々意識すれば、表情筋は鍛えられる。
思い出したときには口角を上げて生活するようにしたい。
これは立派なアンチエイジング方法だな、とも思うし、いつも笑顔で接してみれば人間関係に新たな何かを発見できるかもしれない。



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