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まったり温泉と蛾リンピック

梅雨前線が北海道の付近に停滞しているらしい。
この帰省中、毎日しとしと雨が降り続いている。
そう激しく降っている訳ではないものの、観測史上最大の雨というニュース。
そういうわけで連日気温が上がらず、この夜も温度計は21度を示している。温泉にはもってこいの涼しさだ。

父の運転で、家から20分ほどの距離にある温泉にきた。
道中、21時前の商店街はすっかり暗く、煌々としているのはパチスロとコンビニのみ。
温泉のそばにあるオートキャンプ場は、この雨ゆえに人の気配がない。

ポツリ、ポツリと最低限の間隔で配置された灯りに照らされながら、小雨の中着替えをもって早足で建物に向かう。
22時閉店のため湯上がりの人々とすれ違う。

札幌に住んでいたときはよく来ていた。
昨今のエネルギー高騰でどこの温泉も値上がりしたものの、JAF割で600円と良心的。
昔は当たり前だと思っていたけれど、毎分1000L以上のジャブジャブ源泉かけながしに今や優越感にも似た贅沢さを感じるのは、東京や愛知に住んでみたがゆえだ。

服をポイポイと脱ぎ捨てて体を流し、内風呂には目もくれず露天に向かう。
扉を開けると少し肌寒く、はやる気持ちを押さえながら、ぼんやりした灯りで照らされた湯船の中、石の階段を踏み外さないように一歩ずつお湯の中へ。

お湯は42度ほど。ピリピリときた痒みがでないちょうどギリギリの熱さ。肩まで浸かると安堵のため息がでる。
すこし遠くから、ドンドンドンというリズミカルな地響きが聞こえてくる。花火かと思ったのもつかのま、ドドンガドンという。太鼓らしい。この雨のなか、21時をまわっても祭りをしているのか。
ジョボジョボと注がれ、岩の合間から惜しげもなく排水されていく温泉の音と、太鼓の音と、雨のやさしい音がした。

パチッ
突如目の端で鮮烈なオレンジを見た。
すぐに視線を移す。それは、男湯と女湯の境に立てられた木製の大きな壁と、そばに植えられた松の木の間にある、大きなビジネスバッグくらいのブルーライトの電撃殺虫器。よくコンビニにつりさげられているあれの、もっと立派なもの。
強い光に吸い寄せられた虫がぱちぱちとオレンジ色に燃えて、ろうそくの終わりのような一筋の煙がのぼっていた。

オートキャンプ場のそば、というだけあって自然が豊かで、まわりも暗い。
小さな虫と蛾たちは、楽園を求めるかのように吸い寄せられてその光の周りをぐるぐると飛び回っている。
どうも、燃える「当たりどころ」があるらしい。
青白い蛍光灯の下、鉄格子のようなところに触れた虫が、直下にぽとりぽとりと落ちていく。
稀に、くっついたままになって線香のように燃えている。
大小さまざまな虫(といってもこの季節柄か、モスラと呼べる巨大蛾はいない)が争うように場所取りをして、当たりどころが悪いと落ちる。

温泉の流れる音と太鼓の音を聴きながら、私は殺虫器から目線をはずせないでいた。
そこそこのサイズの蛾がジュワッと燃えるのを見たい。見逃したくない。そんな期待があった。

そしてこんな歌詞があったなと思い出す。

ガス燈へと群がる虫たち 自ら命を燃やしに集うよ

GLIM SPANKY 闇に目を凝らせば

あるいはこんな歌詞も。

冷めた表情 鈍る感情 錆びた街灯に虫が群がる

ハルカトミユキ 終わりの始まり 

これはガス燈でも街灯でもなく殺虫器。
でもそれゆえに、虫にとってもっとも魅力的な光を放っているのかもしれない。

松の木と殺虫器をいったりきたり飛び回る蛾を目で追いかけていた。そして青い光のすぐそばにとまった。とまってじっとしている。

あいつが燃え尽きるところを見たい。
今命が燃える瞬間を見たい。

しかし、光に羽が透けた太い胴体のシルエットは微動だにしない。当たりどころに触れないでうまいこと明るさを堪能している。

あいつが燃えたら露天をでよう、と思っていたが私がゆでダコになるほうが早そうで、仕方なく立ち上がり頭を洗いに中に入った。


頭を洗って戻ると、まだあいつは同じところにいた。
私もさっきと同じ場所に浸かり直して、またじっとその姿を見つめていた。
あいつ、いや、彼としよう。
彼がゆったりとその光を浴びる間にも、無数の虫たちが落ちていく。
落ちた先は松の木の根元になるだろう。今日は風がないから、屍の小さな山でも出来上がっているんじゃなかろうか。そして土が栄養豊富になってきれいな花が咲いたりするんじゃなかろうか。と、見えない露天風呂の外側を思う。

時計の針は午後九時四十分。もうそろそろあがらなけらばならない。

結局、彼は燃えなかった。
彼以外の蛾が落ちていくのはあったけれど、燃えるさまは見なかった。
でも小さな他の虫が一筋の煙を上げて燃えると、思わず口元がほころんだ。
いま目の前で、命が文字通り燃えていく。死骸が燃えているのとは訳が違う。生きながらに鮮やかな火がついてちりとなりゆくその数秒に、美しさがあった。

明かりを堪能できる最もいい場所に長く滞在していた彼は、今夜最も得点を稼いだといえるだろう。
これが競技なら、彼が金メダルだ。

まあ、これを書いている今はすでに、彼も松の根元の小山の一部かもしれないのだけどね。


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