小説とドラマの歌川広重『名所江戸百景』を追う
BSドラマ「広重ぶるう」
『広重ぶるう』のドラマがありますね!2024年3月23日、22時から。
主人公は、もちろん阿部サダヲです。
私は嬉しくてたまらず、軽く踊ってしまいます。
青が好き🟦
私はここ数年で青色が好きになりました。
昔、まだ私が若くて色白の肌に自信のあったときはベージュ色を好んで着たのですが、今は断然青。青を身につけています。
自分の肌色がくすんだ事を知って、それに合わせるなら原色!赤もいいけど青!
絵画「受胎告知」に描かれる聖母マリア様、彼女は必ず青いマントを着ている。青は力のある色のはず。それによく見ると青ってきれいね…と、青色に着地したのでした。
🟦小説『広重ぶるう』梶ようこ/著、新潮社
この小説を読めば、日本の歴史文化教養の3割くらいが身につくのではないかしら。
江戸時代、浮世絵、出版と町人文化、町火消し、同心、二本差し、人々の暮らし、信仰、富士講、大地震。
江戸時代後半の知識が自然と入ってきます。読み終わったとき、きっと誰かに伝えたくなりますよ。私はここで書いてるけど。
浮世絵師、歌川広重(1797-1858)は、本名を安藤重右衛門と言います。
重右衛門が歌川豊広に弟子入りをし、絵師としてもらった名前が「広重」です。
師匠の名前の「広」、自分の本名から「重」の字を取ってつけました。歌川広重とはペンネームです。
美人画はいまいち。広重は風景画(名所絵)が得意だった🟦
浮世絵で人気がある絵イコール、よく売れる絵。それは人物絵でした。
スター役者や人気遊女から茶店の看板娘(有名な美少女がいた)まで、その姿を写真の代わりに絵で売るのです。高い技術の木版画でどんどん刷られて店先に並べられ、人々が購入しました。
絵の値段は1枚=そば1杯程度。浮世絵はワンコインで買える'庶民の娯楽'です。いいね。
歌川広重は、人物絵があまり上手くなかったと言われています。
彼が得意なのは風景画。名所絵です。
江戸時代は、お伊勢参り・富士講・善光寺参りなどの大旅行ブームでした。旅の土産物に、その地の風景を「名所絵」として描いて売ればいい。
しかし「名所絵の広重」が売れるまでには長い月日がかかりました。
火消し同心を家業とする安藤家に生まれた広重にとって、絵師は副業です。
とはいえ同心の収入だけでは一家は貧しい。絵師として、売れ行きのいい人物画の腕はダメで、得意の名所絵ではなかなかブレイクしない。
風景画は人物画より地味なので、版元(出版社)もあまり乗り気にならないのです。
🟦ベロ藍(プルシアンブルー)を先に魅せたのは葛飾北斎
舶来の、目の覚めるような青い絵具が、きたーーーー
1747年ごろから、とても高価な青い絵具が輸入されました。発色がこれまでの色とは大きく違い、鮮烈な青です。
'ベルリン'という場所で生まれた青絵具らしい。それは江戸のべらんめえ口調で「ベロ藍」と呼ばれました。
これを浮世絵版画で生かすには、摺りの技術と資金が必要だが、この青で江戸を描きたいという野心が広重に生まれます。
そのころ、すでに広重の先を行っていた絵師がいました。
西欧で‘アルティザン(職人)、アーティスト‘とも言われた葛飾北斎(1760ー1849)です。
北斎は富士山を描き、ベロ藍を用いた青だけの一色摺りしていたのです。
さすが北斎!
ちょっとすみだ北斎美術館へ行ってくるわ!(2024/03/15行きました)↓↓
『富嶽三十六景』(1830-1834発行)の内、『甲州石班澤(こうしゅうかじかさわ)』などの初摺りは、青の濃淡のみで表現する「藍摺り(あいずり)」でした。
のちに※多色摺りになります。
※浮世絵版画は、何千枚も印刷するうちに劣化した版木を部分的に取り替えたり、売れるために色を工夫するなどして、同じ絵でも変化していきました。
歌川広重『名所江戸百景』のスポットへ行ってみた。2つの場所へ🟦
京成線の千住大橋駅から徒歩で出発します。
1.千住大橋(東京都足立区千住橋戸町)
この青空の色を、歌川広重の目は見て、浮世絵で人々に見せたかったのですね。
2.真崎(東京都荒川区南千住3丁目)
この辺りは真崎(まっさき)といい、隅田川沿いの真先稲荷の門前は景勝地で、田楽茶屋がありました。
千住は、奥州街道を江戸日本橋から出発して最初の宿場町、千住宿です。
歌川広重の描いた『名所江戸百景』にある隅田川を目指しましょう。
🟦おわりに
ドラマ『広重ぶるう』が楽しみです。
阿部サダヲは最高だよね。
みんな見てねー