ゴッホより普通にラッセンが好きであることの面白さ
2記事連続、歌詞考察(?)をしていきたいと思う。
今回、考察する楽曲(?)はお笑い芸人・永野氏の【ゴッホに捧げる曲】である。
永野氏はこの曲(?)をきっかけに数年前に見事ブレイクを果たした。おそらく誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
浅野温子ばりに髪をかき上げ、独特なダンスとともにハイテンションで「ゴッホ(ピカソ)より普通にラッセンが好き~~!」と絶叫する、ただそれだけのネタだ。
難しい言葉は一切使わず、非常にシンプルかつ一瞬で終わるこの曲(?)だが、私はこれが本当にすごい歌詞(?)だと感じている。
ゴッホより「普通に」ラッセンが好き
この曲のポイントとなっている歌詞は「普通に」というワードだ。
「ゴッホより個人的にラッセンが好き」とか「ゴッホより正直ラッセンが好き」とかだったら全然面白くないし、意味合いも変わってくる。「普通に」だからこそ秀逸で、面白いのだ。
ゴッホやピカソの絵画は確かに価値が高く、美術の観点からすれば彼らは最高峰の画家であることは間違いないだろう。
ただ、美術の教養などが無い人からすれば、彼らの絵画よりもラッセンの絵画の方がシンプルに見ていて綺麗で美しいと感じられるわけで、そのあたりを上手く突いた皮肉が「普通に」というワードに込められている、と感じる。
「~に捧げる曲」にはほかに「太宰より普通にananが好き~~!」というバージョンもあり、これも太宰のような難しい純文学よりも、何も考えず思考停止で読めるananの方が普通に好きだと言ってしまうバカさ加減がたまらなく痛快だ。
そもそも、ゴッホとラッセン・太宰とananは同じ絵画・読み物ではあるものの、ジャンルが全く異なるので本来比べられるものでもない。
しかし、そこをあえて比較対象とし、また「普通に」と前置きした上で、さらに格下であるものを「好き」と絶叫するその味わい深さに、私たちはきっと心を奪われたのではないだろうか。絶対違うと思うが。