お金にならなくてもいいか
人のためになる事で、
自分もそれが好きで得意である。
それが、理想である。
人の為に何かする、
それだけで脳内モルヒネが出る。
例えば、ゴミ拾いやお年寄りに席を譲る。
コンビニやスーパーの店員さんにありがとう、と伝える。などなど。
実際、自分も気持ちが良い。
人間は、正しい行いをする時、気持ちよくなるようにデザインされているのかもしれない。
だから、誰かのために頑張り続ける人がいるし、
そういう支えがあるとないのとでは違うのだ。
僕は、今まで自分のために頑張ろうとしてきた。
そういう瞬間の方が多かった。
一つは、心の劣等感を解消したいという思い。
それは、恋愛経験の少なさから来ている。
学生時代に、うまく女の子と話せない事が、きっと、その後の人生に影響を与えた。
それは、プライベートだけではなく、仕事にも影響した。
そして、いくら仕事で経済的に、名誉的に成功しようとも、恋愛経験の劣等感によって、虚しい気持ちになるだろう事も予感していた。
そう考えると、全てが無駄な行動のような気がした。だから、やっていた仕事も、副業で取り組んでいた事も、どこか本気になれなかった。
環境のせいにしたし、遺伝のせいにした。
自分を責めてばかりいたし、それは悪影響ばかりをもたらした。
暴飲暴食、散財、ネットゲーム中毒、自己啓発本漁り、たびたび訪れる自己嫌悪の波。
メンタルは低いところで安定してしまい、
自分は出来るという、ポジティブな感覚をなくしてしまった。
ただ、怠惰な生活を続けるだけの人間になった。
今思えば、その時の自分に足りてないのは利他の視点だった。
周りを見る事ができず、自分の欠点ばかりを見ていた。それをおかしいとさえ思わなかった。
本当は、人の為に頑張る事が一番気持ちよくて、
継続できる事だったのに。
数字や実績、能力、ビジュアルばかりにとらわれて、本当に大事な物なんて見えてこなかった。
なぜ、それをやるのか。
それがお金にならない場合は、
そこには自分の熱くなれる想いがなくては続かない。
その想いは、お金になる事よりも価値があるのかもしれない。
お金になることをやるのは簡単だ。
世間の作ったシステムに乗っかるだけだ。
どこかの会社という船に乗せてもらい、役割を果たすだけでいい。
それなりに大変な事もあるが、システムが出来ている分、考えることは少なくて済む。
そして、毎月給料をもらい、健康保険や税金の処理もしてもらえる。
とにかく、会社に毎日行き、最低限のことをやり、決まった時間を過ごせば大丈夫だ。
しかーーし、
お金にならない事はそうはいかない。
なぜそれをやるのか?
誰のためになるのか?
という問いを突きつけられる。
だって、お金が発生しないから無駄じゃん
生産的な事をした方が良いじゃん
誰も見てくれないじゃん
そんな心の声が自分を邪魔してくる。
言い換えると、常識的な考えによって、自分を助けようとしてくれてるのかもしれない。
無駄なことするよりもお金を稼ごうよ!
お金があれば、安心が買えるし、生存確率が上がるよ!という遺伝的なものかもしれん。
しかし、それは机上の空論である。
実際は、お金になるとしても、つまらないことや心に響かないことは継続が難しい。
昔やったプログラミングだって、英語学習だって、スキルを身につけるために頑張ることは出来なかった。飽きてしまった。
結局心は正直だな、と。
おれは、もっと人の反応が欲しいし、人の笑顔が見たいし、ちゃんと役に立ちたいのだろう。
それは、単純にボランティアをするということではなく、
自分の心に響く事で、他者にも貢献したいと。
やはり、一点集中なのだろう。
今のように、あれもこれも、
仕事も副業もプライベートも、YouTubeもブログもネット販売も、と色々保険をかけててをつけるのではなく、
何か一個をやってみる。
まあ、5年前はそれをやっていたんだけども。
貯金が底をつきそうだったのと、普通に会社員をやって給料をもらえる楽さに気づいて、辞めてしまった。
また、やってみる。
今度は、お金にならない事に焦らない。
すぐに結果を出そうとしない。
でも、ちゃんと自分の心の響く事をやる。
外の声を聞きすぎると、内の声が聞こえなくなる
何故かわかんないけど、役に立ちたい。