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魔境アラザルド11 風の峡谷②


 第一部 五王君



  三章  風の峡谷



     2


峡谷からの風だろうか。湿った匂いを乗せた西風が、シスプの村に吹き寄せていた。


予告もなく現れた彼にシスプの村の人々は何事だろうと首を傾げた。


「ガラシスは、無事か?」


いつもの土色のマントを羽織った旅人の出立ちではあったが、珍しくお供を連れている。

そこに、長身で長い黒髪を後ろで結い上げた細い吊り目の女が音もなくスッと現れた。


「ザラットさま、何かございましたか?」


「ああ。“災い”が来る可能性がある。命を守るための自衛をしてくれ。結界の強化は今施すが、それに加え念の為『風魔』対策を講じてきた」


「『風魔』の災い…風刃さまですか?」


彼を出迎えたのは村長のガラシスだった。この地方では珍しい緑眼を少し見開いて反問する。
彼女は常に背に担いでもいる、魔弓造りの名匠であるが、同時に射手としても名手であった。
ただ、大概の魔弓の矢は耐性はつけてあるものの『風魔』が弱点である。


「そうだ。…ナバルの村が全滅した。俺の息のかかった土地や人間が危ない。俺の不徳の致すところだ。よって、結界は最大限の強度で張り直し、一定以上の魔力を有する者は侵入できないようにする。上手く弱きを擬態する者も通さないように入念に構築する。…だが、それでも安心はできない」


そう言って、彼が指を鳴らして魔法で出したのは、金紅石の粒に強い魔力を込めて編んだ大量の首飾りだった。
村人の数を何倍も上回る。


「これは…?」


ガラシスが問う。


「身につけることで、不意の攻撃からも身を守れる魔具だ。悪いが全員、寝ているときにも外さず、身につけてくれ。…俺がいいと言うまでは必ずだ」


「…畏まりました」


ガラシスは頭を下げて、首飾りの束を受け取り、早速村人たちに身につけるよう、指示した。

「残りは予備だ。適当に分配するか、どこかに保管しておくかは、お前に任せる」


「ザラットさま」


細い目の女は頭を下げた後、彼に近づくと小声で耳打った。


「…ウィランネ、という女をご存知ですか?」


「ウィランネ? 風刃の手下か?」


「はい。ですが、私の思うところ、ウィランネというのは偽名です」


「偽名? なぜ、そう思う?」


「あの女の目は黒茶色で、肌は薄い褐色です。ですが髪の色だけが不自然な白色で、アリーセル峡谷地方の長寿一族の血筋に寄せているように見えます。どうせ寄せるなら、目も紺碧、肌も乳白にすべきところですが…恐らく変身術にはあまり長けておらず、あれが精一杯というふうにも捉えられます。ゆえに混血の可能性を除けば、あの女は何か本性を隠しているのではないかと」

細い目を更に細め、その奥にある緑眼を光らせながら、ガラシスは彼に私見を述べる。


数年前、彼女が風刃君の支配下にある近くの小村に用事で出向いたとき、風刃君の傍らにいて、自らを「私は“王君”直属の臣下ウィランネ」と村人たちに尊大な様子で名乗っていたのを、たまたま見かけたという。


「アリーセルの選民一族が、他族の血を受け入れるとは考えにくい。混血の可能性は低いだろう。つまり、一族の端くれでもないのに名前がそれふうなのと、不自然な白い髪も怪しいということか…覚えておく」

「ザラットさまのお力ならば、些少事かもしれませんが」


「いや、助かる」



彼は村長に礼を言い、目的である結界の強化に取り掛かった。




3人がシスプの村の入り口前に到着したのはザラットとお供の男が帰ったすぐ後のことだった。

つまり、入れ違いだ。

しかも強い結界が張り直されたばかりだったため、容易には入れない。


エリンフィルトは、村の入り口に佇み、大きな溜息を吐いた。


「あの野郎…」


「…凄い結界ですね。私くらいの魔人なら、逆に拒まれない仕組みのようですが。しかし、あなた様は…」

「ああ。あの野郎、こんな複雑な結界を張り巡らせやがって…確かに俺でも簡単には解けない。王君並みの強魔人を弾く結界だ。…だが、それにしても、警戒し過ぎだろう」


エリンフィルトとベレトンが話しているのを横で聞きながら、マリュネーラはあの琥珀色の魔人は余程強いのだなと感じた。


「まあ、いい。ここにヤツはもういない。次に行こう」

「お待ちください。私めが中に入り、一応調べて参りましょう。ひょっとしたら、どこへ向かわれたか聞き出せるかもしれない」


ベレトンの言葉に、漆黒の瞳の王君は頷く。


「分かった」



「あたしも行く!」


マリュネーラも申し出る。

エリンフィルトはやる気満々の少女のきらきらした目をちらりと見やる。


「…ベレトンから離れないようにしろよ」


「うん。大丈夫だよ、すごい結界なんでしょ? 危険なんてないよ」


心配そうなエリンフィルトを笑顔で振り返る。


「…じゃ、ベレトン。頼んだぞ」


そう言って見送る黒炎の王君に軽く手を振って、マリュネーラはベレトンに付いてシスプの村落へと一歩足を踏み出す。


バチン!!


ところが、足を出した途端、中の何かに弾かれた。
それ以上、中に行けない。
柔らかい壁に押し返されるような感覚だった。


「お前、何してるんだよ。遊んでないで早く行けよ」

「…なんか、行けないんだ。入っていけない。なんで?」


エリンフィルトは面倒臭そうにのろのろ歩いてきて、マリュネーラの横に立つ。



「…実は、強魔人ってか?」



既に結界の内に入っているベレトンが不思議そうに首を傾げながら、マリュネーラを待っている。



「どうしたのですか、マリュネーラ?」


「中に入れないんだとよ、この女王様」


「真面目なんだってば! 本当に、これ以上進めないんだよー!」



マリュネーラは一生懸命に足を踏み出そうとしているが、その一歩が遠い。ぐんっ、ぐんっ、と足の裏で見えない壁を蹴り、尚且つその膝を両手で押し込もうとするのだが、それでも入っていけない。

遂には息切れして、その場に尻を着き、足を投げ出して座り込んでしまった。


「はあ、はあ…疲れた。何なの、もう。あたしみたいな弱者を弾いたって、意味ないじゃんよ〜。計算間違ってんじゃないの〜!」


ベレトンは姪の娘の叫びを聞いて、一旦引き返してきた。
そして、その隣で腕組みをしてじっと考え込んでいる黒炎の王君の漆黒の目を遠慮がちに覗いた。


「とりあえず、ベレトン。お前だけで行ってみてくれ…こいつ、どうやらふざけてるわけじゃなさそうだ。俺はあの糞野郎のこの糞結界をちょっと調べてみる」


「畏まりました。…では、私は行くよ。マリュネーラ」


「なんか、ごめんなさい。大伯父さん」


マリュネーラは申し訳なさそうに、ベレトンに向かって、ちょこんと頭を下げた。


ベレトンが1人で集落のほうへ遠ざかっていく。


「あーあぁ。自分で聞き込みしてみたかったなぁ」


頭の上で手を組んで、つまらなさそうにぼやく少女を横目に、エリンフィルトは砂漠の魔人が張ったこの強力な結界の「構造」…「魔力の強度」と掛けられた「結界魔法の術式」の全てを読み解こうと試みた。


「…何だよ、この超高等技術はよー。ざっと見積もって1000以上の術式で阿呆みたいに複雑怪奇な構成をしてやがる! 相当神経使って作ったな…。こんなの、俺でも解くのだけで疲れて、帰るわ」


「で、正確なの? これ」


「ああ。これ以上無いってくらい、な…」


少し悔しそうに、彼は形の良い唇を噛む。彼に見えるというその「術式」とやらも、彼女には全く分からない。そんな訳の分からないものに行手を阻まれるだなんて、全然面白くない。


「力技は通じないの?」

「そんなん、逆に返り討ちに遭うぞ。破壊や攻撃魔法を感知すると、同じ魔法を返される仕組みだ、『鏡』とも言う」

「うそー。じゃ、大伯父さんの調べに賭けるしかないわけ?」

「それしかできないってとこだ。それより、お前の魔力…だんだん増してるみたいだな。しかし、もう『強魔人』と判断されるほどだなんて、異常だな…」


そんな話をしていると、やがてベレトンが戻ってきた。

「ザラットさまは、次はオルハルかシュフエの村へ向かうと言っていたと、村の子どもたちが喋っていました。その子どもたちに訊くと、ザラットさまは『御守り』に金紅石の首飾りを肌身離さず身につけるようにと村人全員に与えたと…」


「金紅石……風魔除けだな。標的は風刃か」


「恐らく。ナバルの村人らとは親交が深そうでしたから、かの王君をお討ちになるつもりなのやもしれませんな」


エリンフィルトは黙っていた。
何やら思いを巡らせているように見えた。


「…次はオルハルだ。風刃の魔境に近い。だけど…あの虐殺女、相変わらず何か逆恨みしていい気になって逆襲しているんだろうが、たぶん…命を落とすぞ」


やがて、ぽつりと彼は呟いた。



ウィランネは機嫌が悪かった。

主人の使いで、ラウナの魔境主レーリックこと『朱燎』に会いに向かうと、一目で変身術を見抜かれ、己れに仕えぬかと誘われた。『風刃君』はもうすぐ死に目に遭うはずだから、今のうちに自分に寝返っておいて差し支えないなどと説得してきた。

「悪いが、風刃君は5人の王君の中で、本人に自覚はないが“最弱”であり、とても砂漠の魔人には敵わない」

かの君であれば、自分でも勝算があるとまで言ってきた。


「我が君は『五王君』ぞ。魔境主とはいえ、たかが『平魔人』であるあなたや砂漠の魔人ごときに負けるはずがありませぬ!」


「悪いが、5人目は滑り込みだな」


朱燎はせせら笑い、彼女に言った。


「私は兎も角、彼は砂惑君と血筋が近い関係で、遠慮したに過ぎない。実力は我が君『黒炎君』が他の王君たちを差し置いて、己が敵手と認めるほどなのだからな」


「…嘘だ。認めぬ! 私は『夢漠』を、五王君に比するとは、決して認めぬ!」


「何をむきになっている。君の主人を蔑んだのは認めるが、夢漠どのをそこまで否定するのは何故だ?」


少し呼吸を乱しながら叫んだ女は、歯軋りをしながら、ゆっくりと続けた。


「決まっておりまする。彼は我が君の片眼を奪いましたゆえ…」


「それは、かの君が彼より劣るということでは? まあ、いい…それだけか?」


「…ほかに、何があると申しますか?」


「いや。私の目には、かの君の受けた傷への仕返しというよりも…君自身の私怨に見えたのでね」


朱炎の魔境主は、うっすらと微笑む。
何もかも見透かされているようで気味が悪かった。
そもそも、ここに自分を呼びつけたのは、あの男を打倒する算段の為だったはずだ。それなのに、こちらの主君を貶めるだけでなく、砂漠の魔人を持ち上げる言葉ばかりを連ねる。


「魔境主よ、あなたは彼を倒したいわけではないのですか?」


「倒したい。でも、それは風刃君を支援するということではない。優秀な君を我が臣として迎え、風刃君の側に仕えながら有用な情報を流してほしいということだ。どうかな? 褒美は弾む。従順な黒血嵐馬を1頭と金剛石の鉱脈を一山分だ。今先に渡してもいい。何ならかの君が討たれた後でも良いゆえ、私が彼を打倒するのを手伝ってくれ」


「なぜ、私を…」


「優秀な密偵者が、私には必要だからだ」


「十分な理由ではないですね…とりあえず、我が君には黙っておきますが、私の忠信はサラウィーンさまに捧げておりますことをお忘れなく」


そう言って下がってきたものの。


…砂惑君と血筋が近い関係で、彼は遠慮したに過ぎない。


絶対に違う。
そんなはずはない。


朱燎の言葉を思い出し、ウィランネは下唇をぐっと噛み締めた。

《『朱燎』に謁見した、ウィランネ》


シスプの村から、峠をひとつ越えたすぐ先に、シュフエの村がある。

が、彼が先に向かったのはオルハルの村だった。

オルハルの村は険しい峡谷を成すアリーセル川の支流オルハル川の河岸にあり、彼が結界を張った村落の中で、最もアリーセル魔境に近かった。

この村においても、シスプと同じく魔人ザラットとして放浪者の体裁を取っていたが、今日は村長のルオにだけ真実を明かした。

「…左様で。やはり、砂漠の…大魔境主であられましたか。その御力は我のような小魔境主とは比すべくもない強大さ…薄々感じてはおりました」

ルオは頷きながら、濃い緑茶を淹れた湯呑み茶碗と、花の形をした薄桃色の砂糖菓子で2人の客をもてなした。
甘い物が大好きな忠臣を思い、彼はそれをひと齧りだけし、コルフィンにも勧めた。
主人が手を付けたことで、ようやく自分も手を出せる。コルフィンはそれを大きな口で一口に頬張る。

「ああ!なんという美味! この花彫りの細工の美しさといい…まさに芸術です!」


コルフィンの感想に照れるように頭を掻いたルオだったが、お茶を啜ると、少しだけ顔をしかめた。


「それで、風刃君の災いというのは…」


コルフィンの主人は、ミクチャで彼女の片眼を奪った出来事をまず話し、そしてその報復としてナバルの村で起きた惨劇について話した。


「ここも危険だ。既にシスプの村に立ち寄ってきた。ここが済んだらシュフエ、更にはリーシャ、パレン、ミクチャに向かうつもりだ」

「なるほど。ここはアリーセル魔境に近いですから、まず手始めに荒らしてくる可能性が高いというわけですね」


「そういうことだ」



ジルヴィードはふと何かを感じたように視線を泳がせた。



「我が君? どうかなさいましたか?」


「…災いの主の気配だ」


言うや否や立ち上がった彼は、村長に断ると屋敷の外に出る。

コルフィンもすかさず後を追う。


「…風刃君ですか?」

「外を荒らして、俺をおびき出そうという魂胆らしいな…」


彼は呟くと、まずこの村落の今ある結界の内側に同質のものをもう1枚張った。
緻密な作業をしている暇がないので、応急処置として備える。


オルハルの村の周囲に人が住まう集落のようなものはないが、それゆえに行商の者たちなどが、ひと時の憩いを求めて、この村に立ち寄る。そのため意外と人の去来は多い。
それらを脅やかすつもりなのだろうと彼は思った。


「シュフエ、リーシャなどには…」


オルハル上空に立ち浮く主人の影を追い、コルフィンもまた浮遊術を使う。


「一応、警告と首飾りだけは送っておいてくれ」


風に、今は黒茶の髪をなびかせて応じる。


「…承知しました。つまり、ここで迎え討たれるということですね?」


「…ああ、そのとおりだ。シュフエにも、リーシャにも、パレンにも、ミクチャにも、シスプにも…行かせる気は微塵もない」


「御意」


既に、彼の心は風刃君の打倒へと向けられていた。忠実な部下にも横顔でのみ答える。


そんな主人だったが、やがて憎き敵がすぐそこにいるように独り呟いた。



「ああ、どうやって…嬲り殺してやろうか。貴様も王君の端くれなら、俺を存分に楽しませてから死ねよ」





相手を火炙りにでもするような台詞を吐く主君の眼差しは、しかし極北の海の巨大な氷山の一角のごとく冷めたく尖る。


「…さあ、来るがいい」


地獄の大魔王が、冷静で暴虐な微笑をその唇の端に刻んだ。





【文末コラム 11】お久しぶりです。


先月は「つぶやき」にスキを頂きまして恐縮です。ご心配をかけ、申し訳ございません。

どうにもプライベートで疲労困憊になってしまいまして、余力がなく、書き出しにも苦労しました。
今月はお陰様で何とかこの1話を書き切りましたが、前話までの詳細を忘れていたりして、どうだったっけな〜と記憶を手繰り、少し読み直しながら書きました。
骨格が完成したのもつい先日で、それから推敲を繰り返しました。
それでもまだ自信が持てているわけではありませんが、このままでは進まないと思い、投稿した次第です。


この後は、風刃君と夢漠の戦い、謎の女ウィランネの正体なんかも交えて続けていく予定です。
マリュネーラとリュイネーラの再会は少し延びそうです。



ここまで読んでいただきまして、誠にありがとうございます!



次回、第一部 三章 風の峡谷 3 です。



今後とも、よろしくお願いいたします。


みさとかりん




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