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魔境アラザルド2 幻影騎馬団①

第一部 五王君


 一章 幻影騎馬団

    1

その黒い巨大な竜巻は、突然姿を現す。

アルーウェン大樹海は、活火山ガランディ山の麓に広がる巨大な森だ。
黒い溶岩の塊でできた城のような形状のごつごつとした広大な岩場と、その手前に広がる針葉樹の深い深い緑の森とで成る。
ユスはそこに程近い町だ。交易が盛んで、行商人が行き交い、市場や交易品の店も数多く、いつも賑わっていた。
マリュネーラ・プトラは15歳。父はその行商人をしており、彼女は今回ある理由で父と同行し、初めてこの町に来た。
そして、父親と町の中心に建てられた時計塔の前までやってきた。今日は何かの祝祭があるらしく、着飾った若い女や紙で作った花、リボンがあちこちに飾られている。そんな中で昼間から酒の臭いを漂わせた一人の中年男がふらふらしながら、卑しく笑い、彼女たちのほうに近寄ってきた。
マリュネーラは思わず身構える。
「プトラの旦那、随分とまあ可愛い坊やを連れてきてよぉ。あんたの子かぁ?」
だが、どうやら父と顔見知りのようで、男は父親に気安く話しかけてきた。ただ垂れ目の赤ら顔とねちっこい声には、やはり嫌悪感しか感じない。マリュネーラはすかさず男を睨む。
「なに寝ぼけてやがる。酔っ払いが。こんな美人を坊やだって? 俺の娘だぞ!」
父親は半分笑いながら、男を肘で小突くと、
いつもは愛嬌のある真面目な店主なんだがな、と娘に耳打ちする。
「ええ⁈ 随分とまあ、凛々しい顔してるからさぁ。全然あんたに似てないなぁ」
「母親に似たのさ、気が強いところは俺だけどな」
「…はぁ? あんたが気が強いだって? 馬鹿がつくほどお人好しのくせに。いひひひひ…」
赤ら顔で垂れ目の男が、父親とマリュネーラを見比べながら、下品な声で笑う。
ちょうど、そのとき。

ぶうぉんんん。


不意に鼓膜を裂くような大きな音がした。
それはあまりにも唐突に、忽然と現れた。
マリュネーラは必死に耳を両手で塞ぐ。父親がその上に覆い被さって、骨太だが肉づきのあまり良くない娘をその太い身体で庇う。
親子はその場で身を伏せて、その「何か」が去るのをじっと待つ。
悲鳴と断末魔…そして無数の蹄の音と、爆音のような様々な音。
厄災であることは間違いない。
あの垂れ目の酔っ払いが風に吸い込まれていくように一瞬で上空へ吹き飛ばされるのを彼女は見た。
「…お父さん?」
マリュネーラは恐る恐る声をかける。
紙花や華やかな色の布地など、装飾物が瓦礫と一緒に空中を浮遊し、それに針葉樹の葉などが混じってまだ飛び回っていたが、災厄の一陣はとりあえず通り過ぎていったようだ。
ただ、先ほどの活気は夢から醒めたように絶え、不気味な沈黙に包まれていた。
そして、動かなくなった父。
「うそっ!」
彼女は、力を失い重みを増した父の身体の下から這い出して、父の様子を確かめた。
父親のアムルス・プトラは、アムルス・プトラであることを止めていた。首がもげて、頭を失っていた。頭はきっと、どこかへ吹き飛ばされてしまったのだろう。
なのに、娘を守るため己が飛ばされぬよう、片手は時計塔の鉄柱の根元をしかと掴んだままだった。
マリュネーラの両方の目から大粒の涙が、次から次へと止めどなく溢れ出してくる。
「なんだよう、お母さんに会いに連れていってくれるんじゃなかったのかよーっ!」
思わず叫ぶ。
そして、首のない父の身体に縋り付く。
「どうすればいいのさ。あたし、これからどうすればいいのさ」
「…そんなの、てめえで考えろよな」
上から声がした。
軽い物言いで、明らかに彼女の嘆きに共感していない、情のない男の声。ただその声音は弦楽器のように伸びやかで耳に心地良い。
マリュネーラは手で涙を拭い、赤い目で男の顔を見上げる。
少し逆光だったが、それでも整った顔立ちであることが分かる。その立ち姿の美しさに、一瞬見惚れてしまった。
「なに、ぼんやりしてんだ。これ、そいつのだろ? お前の親父か?」
男は小脇に抱えていた、大きな丸いものを彼女のほうに両手で持って差し出して見せた。
「あ…お父さん、お父さんの顔だ」
思いのほかきれいなままの、身体のない父の顔が目の前にある。恐怖で目も口もぎゅっと閉じた顔の下の千切れた首からまだ血が滴っている。
そのぽたぽたと落ちる血の雫を見つめながら、マリュネーラは自分の視界がだんだんとぼけていくのが分かった。
「お父さん、好きだよ…」
もっとそれを伝えたかった。
目の前に暗黒の幕が下りたのを感じたのは、それからすぐのことだった。

《幻影騎馬団(イメージ)》

うっすらと目を開けたとき、彼の顔が間近に見えた。
漆黒の艶やかな短髪、前髪がかすかに風になびいている。そして端正な顔立ちは、見る者を忽ち虜にする。闇色の艶やかな双眸は煌めく星々を宿し、中へと吸い込まれてしまいそうで、恐怖すら覚える。
「目が覚めたか」
だが、少し掠れた声は思いのほか柔らかかった。艶やかな弦楽器の響きだ。
彼女の視線に疑問符を感じたのか、自己紹介を始める。
「あぁ。俺はエリンフィルト。アルーウェン大樹海に住んでいる」
エリンフィルトと名乗った男は、妙に偉そうにそう言うと、彼女の目を覗き込む。
「お前、どこから来た?」
「…ロルドだけど、行商だから。その前はアケーラ、その前はノイディアに滞在してた。お父さんはパボスの出身だって言ってたけどね」
「へえ、パボス。あそこは土地が痩せてるから農業より、商工業が栄えたんだよな。今も前ほどじゃねーが、都市として賑わってる。こんな田舎くさいツラしてて、パボスの出身かよ」
生きていても失礼な言葉を、その哀れな死に顔に向かって言い放つ。しかも、その娘に話している。
先ほどの酔っ払いより余程ひどい。
しかし、災厄で受けた心の衝撃で、頭が混乱していた彼女は、反論もせず、ただ男の音だけは美しい声を聞き流した。
「で、お前の名前は?」
男の言葉に、彼女は答える。
「マリュネーラ。マリュネーラ・プトラ」
「そうか。じゃ、マリュでいいな」
男は勝手に略称で呼ぶことに決めた。
「…じゃ、あんたはエリンだね」
少女もまた、勝手に省略して返す。
「いいだろう。特別に許す」
エリンフィルトはやはり偉そうに言うが、なぜか自然でいやらしさを感じない。
この男は、そもそもこういう性格なのだろうと思う。彼女は苦笑する。
それにしても、顔が近い。
美顔の押し売りかと思うほどに、近い。
目覚めたばかりのマリュネーラは、すぐに状況を飲み込めていなかったが、彼女の頭は、彼の膝の上にあった。
「あわわ、ちょっと…」
気づいて起き上がろうとした彼女の両肩を、彼は両手で押さえ込む。
「なに慌ててるんだ? もう少し休んでていい。お前、怪我してないと思ってんだろうけどな、足を挫いてんぞ」
「そうなの?」
「そうだ、右足首捻ってる」
言われてみると、なんだか痛い。いや、かなり痛い。思わず、顔を顰める。
「ちょっと待ってろよ。治してほしいなら治してやるからさ」
エリンフィルトが言う。
「…治せるの? あんた、医術系には見えないんだけど」
「治癒魔法なんて、基本だろ?」
言いながら、彼は長い腕を伸ばして、彼女の足首に指先で軽く数秒だけ触れた。
かすかに白い光が浮かんだ。ほのかに暖かい気がした。痛みがすぅーっと消えた。
「呪文唱えないんだ、すごいね」
マリュネーラが感心していると、彼は面白くもなさそうに呟く。
「べつに。それより、感謝の言葉は無いのか?」
「あ、ありがとう。エリン」
「ああ。感謝されるってのはいい」
エリンフィルトはぶっきらぼうに答えるが、満更でも無さそうだった。
顔を上げ、ちょっと目を逸らす。
「…痛くなくなったんなら、もう起きろよ。だけど、お前は自己治癒魔法も知らないのか? この親に、教わらなかったのか」
「お父さんは弱魔人だもん、魔法なんかに縁は無いよ。習ったって上手く使えないし。そういう一族だから、魔法より商売なわけ。ただ商売で騙されないように、魔法にかかりにくい薬草を飲んだり、眠らされないための魔法だけは習得したって言ってたよ。あたしも出来るのは、その魔法だけだよ」
マリュネーラは言われなくてもとばかりに、勢いよく起き上がって答えた。
「母親は? 別に暮らしているのか? 見たところ、お前の魔力はこの生首よりずっと多いぞ。母親譲りだと思うが」
「…行方知れずなんだ。伯父さんが病気とかで故郷に様子を見に行くって言って、3年前に出ていって。その故郷に手紙を何度も出したんだけど、返事がないんだ。だから、今回はお母さんに会いにお母さんの故郷へ立ち寄る旅だったんだよ。あたし、そこに行ったことなくてさ、お父さんが頼りだったんだ」
彼女は、死んだ父親の置かれた顔を見つめる。もう怖くはなかった。むしろ今は大好きな父の顔を抱きしめたいくらいだった。
エリンフィルトが腐敗を止める魔法を施したようでアムルス・プトラの顔はまだ生前と大差なくそこにある。ただ無論、血の気はなく、青ざめており、ふくよかな頬も少し萎んでしまっていたが。
身体の方は、まだ時計塔の下にある。
「その故郷は、なんて場所なんだ」
「ダーシム、だったと思う。知ってる?」
「…3年前…ダーシム…」
エリンフィルトは記憶を探った。
「ダーシム…は、全滅って、聞いたような気がするんだよな」
「全滅?」
マリュネーラは身を乗り出す。
「幻影騎馬団が襲って、町全体に火災が発生したんだ。木造が多かったせいもあって、あの大風で煽られ、よく燃えたらしい。人間だって、逃げる暇もなかったはずだから、全員死滅したって」
「…幻影騎馬団? なにそれ」
マリュネーラは眉をひそめる。
「なにって、お前ほんとに何も知らねーんだな。さっきここを襲っただろ? あの災厄のことだよ。蹄の音みたいのが聞こえなかったか? あれが『騎馬団』と呼ばれる由縁。騎馬団が殺戮し、踏み荒らした戦場を、火で焼き払った後のようになるっていう意味もあるらしいけどな。竜巻みたいな黒い大風だ。火を孕んでるって話もある。まったく、迷惑な話だぜ」
「じゃ、お母さんもあれに襲われて…」
「そうと決まったわけじゃねーよ。あれに町が襲われた瞬間にそこにいなければ、死んでないはずだろ? 3年前ってだけじゃ、なんとも言えねーよ。だが、今はダーシムには誰も住んじゃいない。何もかも、めちゃめちゃになっちまったからな。あと…ダーシムは豆粒みたいな広さだが魔境だった。でもその魔境主もどっかへ吹っ飛ばされちまったって、話だ」
「じゃ…ダーシムに行っても、お母さんには…」
希望を失った、少女の顔は目に見えて陰った。父親に死なれ、頼ろうとした母親もまた死亡の可能性が出てきてしまった。
「あ、でもその道中を辿るのは無駄じゃねーと思うぜ。もしかしたら、何か手掛かりを見つけられるかもしれねーし。それに、別の理由でどっかに隠れてるってこともあるだろ?」
「あたし、ダーシムのちゃんとした場所も分かんないんだよ。一人でなんて行けないよ」
半分泣き顔で、マリュネーラは訴える。
エリンフィルトは自分の頭をぐしゃぐしゃ掻き回し、この独りぼっちの娘を慰める方法を彼なりの温情で絞り出す。
「…わーったよ。わーった。一緒に行ってやるよ、俺が!」
「えっ?」
「ダーシムなんて、俺ならひとっ飛びで行けるけど、足跡を辿りたいだろ? お前に合わせて付いてってやる」
あんたと?
知り合いでもないこの男と?
マリュネーラは、開いた口が塞がらず、思わず父の死に顔とエリンフィルトの妙な決め顔を何度も見比べてしまった。

《父の死に涙を浮かべるマリュネーラ》



【文末コラム2】次回予告。

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

いよいよ第一部スタートとなりました。
前回は序章ということで、謎めいたイメージで書いてみました。
謎は後々解けていきますが、それはさておき、今回は二人の登場人物の「出会い」がメインでした。
次から、この世界についての説明と、第一部表題の「五王君」のことを書いていきます。
今回の見出し絵は、幻影騎馬団のイメージ画です。人物は下手なのですが、描くのは好きなので、今回はマリュネーラを描いてみました。次回はエリンフィルトを入れようと思っています。

災厄『幻影騎馬団』とは何か?
マリュネーラの母親は?
また、エリンフィルトの正体について、この後順次綴っていく予定です。

次回は、第一部 一章 幻影騎馬団  2 です。

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