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存在意義とは
聖なる夜と呼ばれるクリスマスのイブの日の夜に、一人部屋でさびしくこの文章をかいている自分は、だれかのためになれているのだろうか。
さいきんふと、おれってだれかの役に立ってんのかなと思うことがよくある
自分ってなんだろう、なにがしたいんだろう、なんのために生きてんだろ
これは決して死にたいとか病んでるとかいうnegativeで漠然としたぽろっと口に出したくないものではなく、シンプルに他人に対してなにかを与えられているのだろうかという疑問だ。
いままでの人生を振り返っても、親ガチャてきなノリでいうなら人ガチャはほんとにあたりだった。小中の友達や先生たち、塾の先生など自分の人生に関わってきた人たちは文字通りの意味で自分をささえ、導いてきてくれた
いい子ぶるとかそんなんじゃなくて、ほんとに多くの人に助けてもらいながら生きてきた
それにたいして、自分はどれだけ他人や周りの人(大きく言うと社会)に貢献、影響を与えられているんだろうって考えることが多くなった。
所属している海外進学コミュニティにしても、自分はgiverになったことはなくてずっとだれかがいろんな活動をして得た知識や経験を情報として受け取っているだけであるしこれからもtakerであり続けるんだと思う
感謝されたりとかお礼を言われてだれかの役に立ててるって実感できるときはそれがすごくうれしいし気持ちがよくなるけど、自分がそっち側にいない時はそれって単なる承認欲求が強いだけじゃんとか思っちゃう
結局目立ちたいだけなんじゃないかという安直な結論をだしてそこで終わらせてしまいそうになるじぶんがいやだ
きょうはこのへんにしておこう
世界一気持ちがこもっていないということに思いを込めて、
メリークリスマス。