いっぱい頑張る君が好き

きゃんです👘

私服は自由じゃない!めっちゃ共感しました。
わかる!超わかる。
大学生になって服選ぶのがめちゃくちゃめんどくさい。

この服ダサいと思われるかな?
この服気合い入れすぎとか思われるかな?
この服大学で浮かないかな?
逆に量産すぎとか言われるかな?
この服胸元強調されすぎかな?

毎日結局こんなことをぐるぐると考えて、服決まらなくて学校サボったこともあります😅

だから、高校まで制服があるというのは結構幸せなことなのでは!!とずっと思ってます。制服バンザイ🙌

私は自分が女の子として生まれてきたことがすごく誇らしいし、生まれ変わっても女の子でいたいくらい女の子であることが好きです。
他人の視線みたいなそんなどうでもいいことで、女の子でいることが嫌になっちゃうのは本当に悲しいことだなと思います。自衛するのも大事かもね!でも!世の中が変わる、人々の意識が変わると1番いいな!ってことです。
(毎度のことながら、返信が長くなりました)

今日の本題に入ります!

“頑張る”の個人差について

私は夢・目標に向かって一生懸命頑張る人が好きです。
アイドルが好きなのも、スポーツ観戦が好きなのも、その世界の第一線で活躍するために積み上げてきた努力が垣間見えるからです。

最初のnoteでも書いた話ですが、そんな頑張りのスペシャリストみたいな人たちと自分を比べて、自分は何も頑張っていない…と落ち込むことがあります。

でも!そんなことはない!頑張れるキャパは人によって違うんだよ!

頑張れる幅は人によって違うんです。夢や目標が人によって違うように、誰しもが同じ熱量で頑張れる訳じゃない。当たり前のことです。

人はみんなきっとキャパの範囲内で日常を頑張っていますが、このキャパをコップに例えた時に、コップに注がれる水量も人それぞれだと思っています。
どういうことかと言うと、バイトでの疲れ度とか、人間関係でのストレス度合いとかでの水量は多分人によるし、この人はこの場面で水道がぶっ壊れたみたいに水が注がれちゃうんだみたいな場面が誰しもある気がしています。

つまり、他の人と比べて自分が頑張れていない訳でもないし、自分と比べて他の人が頑張ってない訳でもないと思うんです! 

最近の私は些細なことで自分は頑張れていない…と落ち込んでたけど、それは必要のない落ち込みなんだよ!っていう慰め

他の人を見て、なんで私だけ頑張ってるの!とか、こんな簡単なことなのに!とか思うことがあるんですけど、それは自分の水道とコップの大きさに当てはめてしまってるだけだよ!という戒めの思いを込めて、このnoteを書いてみました。


この考え方、昨今の多様性にまつわる問題にも共通すると思ってます。自分の尺度で物事を計るのは結構傲慢なことだなって思います。

性別とか国籍とか人種とかで括りがちな多様性社会だけど、性別も国籍も人種も同じなバブと私は当たり前に違う人間だし、血の繋がっている私と母だって違う人間です。

相手の気持ちを推し量れるとも思っていません!ただ自分と違う人間だから同じ思考回路な訳ない!という意識を大事にしたいですね。

私の人生の目標は『優しい人間になる』です。
キャパの範囲内で精一杯頑張ってる全世界の人に、「いっぱい頑張る君が好き!」と言える人になります。

バブへ
いっぱい頑張るバブが好きだよ!!

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