お母さんと一緒に笑いたい。
「笑うこと」
それ無くして、私の仕事は語れない。
何のため?
悲しい子が来る。
困った子が来る。
不安な子が来る。
疲れた子が来る。
悩んだ子が来る。
怒った子が来る。
モヤモヤした子が来る。
問題は、すぐ解決しない。
そこに寄り添い、勇気づけをするため。
淀んだ空気を浄化するため。
◯問題がないから、笑える。
(=問題が起きたから、笑えない)
これ…当たり前。普通。
◯問題が起きた時こそ、笑う。
そう決めることは、おかしい?
それは、出来ないこと?
決めているのは自分だった。
私にも、笑えない時期があって。
自分の無価値さに、自分自身を罰し続けた。自己受容ゼロ。自己肯定感ゼロ。
笑うことを失った時間。
その時、家族は見守ってくれた。
黙って寄り添ってくれた。
問題とは、実は問題の姿を装う「チャンス」のことかもしれない。
発達課題であり、チャレンジのチャンスと捉えたい。
「正しさ」が解決へと導くとは限らない。
「楽しさ」が新しい解決法を生み出すかも。
課題を前にして、まず笑ってみる。 覚悟が決まれば笑える。笑えば、向き合う気持ちが生まれる。
「正しさ」に囚われて頑固だった私。
(そんなに簡単に笑えないよね)
(私は被害者。だから、誰かを罰したくて不幸を演じている?)
問題が起きると、そのパターンに落ち着きたいだけだった。過去からの癖?
誰かを罰するための正義。もう要らない。
子どもに何か起きると、お母さんは一緒に悩みますよね。
何かのせいにしたくもなります。
大きく見える悩みを、玉ねぎの皮を剥くように1枚ずつ剥がしていきましょう。
あら!意外な核心が見えるかも。
「最後には笑える」と決まっているなら、
「最初から笑う」のはどうでしょう。
お母さんと一緒に笑いたい。
だから、先に「子どもを笑顔にすること」をしています。
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