脳の淡蒼球を鍛える

 体がぐにゃぐにゃ
 朝、登校時間に間に合わない
 車で送ってもらい、仕方なく来る
 学校に着く 
   →抵抗スイッチ・ロックオン
 机に伏して動けない

 そんな子がいた。
 

 出合って変わったもの。

 
 「卓球でもやる?」

 しかも…『なんちゃって卓球』

 卓球でも…「でも」が失礼だったと
その後知ることになる。卓球の偉大さよ。「地味」を訂正、「滋味」なスポーツだった。

 
 立ち机2つを合わせ、卓球台を縦半分にしたようなサイズの『なんちゃって』仕様。
 

 〈やり初めの頃〉
①サーブで終わる(笑)
②コントロールゼロ
③力加減バラバラ
④体フラフラ
⑤ネガティブ発言(でも笑いがあった)

 

 一つの大きな変化。それは…


 「卓球、やらないの?」 

 と、その子が言ってきたこと。


 何がいいのか分からなくて…
 私だって手探りで…
 それでも、実は中にある何かを掘り起こしたくて…

 
 やってみたら楽しかった。
 私はね。

 同じ気持ちだったの?


 「卓球、やらないの?」
それは後に

 「卓球、やりたい!」
 「卓球、やろうよ!」
に変わった。

 他人事から自分事に。
 大げさに言えば当事者意識の芽生え。


 卓球(なんちゃって)は毎日続いた。
 ラリーが続くようになり、それは、コミュニケーションが続いているようだった。


 笑いが増えた。
 活力が増えた。
 仲間が増えた。 
 スマッシュするようになった。
 (俺様暴言も増えた(笑)エネルギーがアップした証として…よしよし)


 やる気スイッチがオンしてから、飛躍的に変わった。

 顔を見せなくなって、ふと気がついたら、学級会で議長をしていた(・・)。
 みんなの意見を理路整然とまとめていた(・・)。
 

 
 後に知った『脳の淡蒼球』
 やる気スイッチはそこにあるとか。

 ①体を動かす
 ②新しいことをやる

 
 彼の淡蒼球は、スイッチ・オンした。
(なんちゃって…がちょうどよい時もあるのよね^^;)
 そして、やりたい子は増えていった。

  「やりたい!」と言えることは、とっても大切。
 素直に言えないのは、傷つきたくない防衛反応のためかもしれない。
 おずおずと探るように聞いてくる時には、その気持ちを拾い上げたい。
 出来るか出来ないかを私が即断せず、先ずは肯定的に受け止めることを続けている。

 「〜したい」
 →「うん。いいよ」

 →「やらせたいんだけどね。理由あって今日はごめんね。明日は大丈夫かも。」

 やりたい気持ちをつなぐようにしている。

 
 根拠はいつも、後から着いてくる。
 子ども一人ひとりの事実から始まり、行動した後にようやく見えてくる。
 過去の経験値をリピートすれば上手くいく、そんな日は来たことがない。
 体験談はあるものの、それは過ぎ去った話。いつも試行錯誤は続く。

 
 私に、「脳の淡蒼球を鍛えよ」と教えるためなのか…
 新しい出会いは、新しい学びを運んできてくれる。
 

 
 朝ご飯が、パンの時は『沈没』
      白米の時は『浮上』

 毎日質問していたら判明した事実。

 白米を続けるうちに、エネルギーが満ちるようになっていった。          
 大のご飯党だったから。
 (その子の場合は)

 
 「お米の研究をする人になれば?」
と言ってみたら、

 「イヤだ!」

 きっぱりと言い切った姿に、出会った頃の「ぐにゃぐにゃヘロヘロ」は消えていた(笑)
 また、ぐにゃヘロになっても大丈夫。
新たな『浮上』方法を、今度は自分で見つけられるよ。

 『脳の淡蒼球』のスイッチを押せる人になったから。

 


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