見出し画像

【展覧会】写真を燃やすアート

こんにちは。もずくです。

今回は、1ヶ月前以上に行った
展覧会のお話をします。

見るは触れる
日本の新進作家 vol.19 

「見るは触れる」展覧会のポスター

東京都写真美術館で行われたものです。

見るきっかけは、
たまたまチケットを譲り受けたからなんですが、
これが本当に観て良かったです。

新進気鋭の5人の作家の展示です。
普通の美術展の展示とは違って、

見る、感じる、触れる、わかるなどの
概念に迫っていくというか

その概念を改めて問うというか、

不思議な、掴みどころのない展示展でした。

この説明合ってるのかな?
すみません、上手な言い方が見つかりません。

写真を燃やすアート

その中で出会った
アーティスト・多和田有希さん。

ポスターに使われている浮いた写真も
多和田さんの作品です。

私が目を引いたのは、こちらの作品です。


え、え、え、
なにこれ………??

って思いました。

実物は恐らく15センチぐらいの小さな作品なんですが、
狂気を感じるというか、とても生命力を感じました。

自身の家族や動物、植物の写真を燃やして
作ったものなんだそう。

……写真を燃やすって、
ある意味タブー行為じゃないですか。

写真は、写真そのもので完成されているというか。デコレーションする方もいるけれど、それは服を着せるようなもので、普通は本来のモノの良さを残すと思うんです。

でも、この方は燃やしちゃうんです。
あと、削ったりもするそうです。

私、頭をガンと殴られたような衝撃を受けまして。

この方は一体どんな頭の構造をしているのか
知りたくなりました。

8年前のインタビュー動画を見つけました。
下記の引用は、この動画より一部抜粋しました。

写真というのは、私にとって死体なんですね。冷たくて、時間が止まっていて、決して動かない。それを削ったり、摩擦を加えたり、熱を加えたりして、どうにかして揺さぶりをかけて、生き返らせようとしている、蘇生術みたいなことをしている感覚を持っているんですね。
だから、出来上がった作品は新しく出来上がった別の生き物になります。
写真を触覚を使って、隅々まで読み取ることに喜びを覚えました。もっと具体的に言えば、写真を削り取っていくという行為はマイナスの趣向性です。写真には撮った瞬間のその場の感情やオーラ、雰囲気は写ることはありません。しかし写真を掘り、それを明らかにしていく行為が自分の感覚にマッチしたんだと思います。

確かに写真は
切り取る、残す、時を止める、

一瞬だからこそ、
作り上げる、何にでもなれる、誤魔化せる、

そんな考えはあったけれど、

見て、触って、感じて、その瞬間を思い出す、
あの日死んだものを手の内で生き返らす、
もう一度、向き合う

この方は写真をそんな風に考えているんだ、
と衝撃を受けました。

凄く興味深いです。

燃やしたい写真はありますか?

こちらも多和田さんが展示された「涙壺」です。

多和田さんは美大で教員もやられており、そのワークショップで学生たちに作らせたものだそうです。

受講者にそれぞれ写真を持参してもらい、
その写真を火につけて燃やす。
その様子を眺めてもらった後、
それぞれ陶土で壺を作らせ、
最後に写真の灰を釉薬にして壺にかける。

学生たちが持ってきた写真は、
星空、琵琶湖、昔の盛れてない自分、
昔の恋人、大切だった人、様々だったとか。

学生たちにとって、その写真を燃やす行為は、

消し去りたい過去を消すためなのか、
過去を良い思い出として納めるためなのか。
あの瞬間にもう一度向き合うためなのか。

みんなどんな風に感じて
写真が燃えていくのを見ていたんだろう。

展示された壺を見て、
色んな大きさ、色んな形があるように、
色んな涙がある、色んな人生がある、
そんな風に感じました。

私は一体、どんな写真を燃やすのだろう。
どんな壺を作るのだろう。

多和田さんの作品展に
またお邪魔できたらいいなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?