私の日常とこれからの生き方について
はじめまして
私は、高齢者住宅を運営している企業で訪問介護の仕事をしています。
今回はそんな日々の事を交えながら、これからこんな事やりたいな〜というお話をしたいと思います。
1.普通の生活が続いていくことを肯定したい
訪問介護の仕事は、はっきり言って単調で日々同じことの連続です。
朝、部屋に行って着替えや歯磨きを手伝う、時にはトイレにお連れしてオムツを変える、昼間は掃除や洗濯を一緒にしたり、お風呂に入るのを見守ったり、そして夜、また着替えや歯磨きを手伝って部屋を後にする…
日によって対象の利用者さんが変わるとはいえ、身体介護や生活援助を通して、何でもない普通の生活の側にいること、そんな営みをおよそ2年弱続けてきました。
時々ふと考えてしまうのは、
「この日々が死ぬまで続くんだな」という事。
人生って、こんな何でもないことの連続で出来ているって考えたら、なんだか気が遠くなって目眩がするようでした。
でも、そんな日々が続くことはなにより尊い。
悲しいことがあったり、自信を失くしたりして、「もう生きていけない」なんて思ってしまっても、次の日にはお腹が空いて、ご飯を作って食べて、歯を磨いて、お風呂に入って、また眠りにつく…
普通の生活がつつがなく続いていけば、また「生きていけるかも」って懲りずに思えるものではないでしょうか。
生活こそが自分を取り戻していく営みだって、今はそう思えます。
私は、「普通の生活が続くこと」を全力で肯定したい。
生活には様々な要素があり、それこそ今の仕事の生活援助はもちろん、「働く」や「お金」、「健康」なども関わってくるでしょう。
なので、FPや社労士の資格に挑戦してみたり、日々を健やかに生きる知恵を身につけたりして、自己研鑽していきたいです。
いつか色んな理由で生活に困ってしまった人の相談に乗れたら、、 今はそんなことをぼんやりと考えています。
2.人と関わって生きていきたい
2年弱働くなかで、お1人だけお看取りを経験させて頂きました。
褥瘡(じょくそう)ができないように体位交換したり、オムツを換えたりと、少ないながらも最期の時間を共に過ごさせてもらいました。
紛れもなく「死」を間近で経験したわけですが、今の自分ではそれらをまとめて言葉にはできそうにないです。
それくらいお看取りはダイナミックな営みでした。
ですが、1つだけ明確に言えることがあります。
最期の瞬間、多くの人が関わっていたということです。
私たち介護士はもちろん、ご家族、医師、看護師… 等々
その方の最期をよりよいものにできるように、代わる代わる多くの人がお部屋を訪れました。
その事がその方にとって望んでいたことかはわかりません。
ですが少なくとも私の価値観に沿って言えば、それは幸せなことじゃないかと思いました。
さらに言えば、介護が必要になった時には元気なうちに、
「人との関わりをちゃんと持っておかないと、自分が望む死に方すら選べないのかもしれない」
少し否定的な解釈ですが、そんなことも考えました。
今回のお看取りだって、うちの高齢者住宅と契約して頂いて、ケアマネジャーが介護計画を立てて、私たち介護士が日々関わった結果です。
自分たちの世代に置き換えてみても、今は個の時代なんて言われてますが、
個人として強く生きる力よりも、他人とより良く生きていく力の方が、結局は大事なんじゃないかとそう感じます。
人と関わるって面倒だし、傷つくことばかり。
でも希望になるのはいつだって誰かとのつながりのはずです。
長い人生のなかで良い終わり方を迎えられる選択肢として、「人と関わって生きませんか?」と声にしていく人になりたいです。
これこそ具体的に何したらいいか分からないですけど、まずは私自身が色んな人に会って、色んな生き方を知ることから始めたいです。
読んで頂いてありがとうございました。
普通の生活を肯定すること、人と関わること、シンプルですがこの2つを核に、何かやりたい人間です🙋♂️
いつか貴方とも会えたら嬉しいです。
そして力になれることがあるように頑張ります。