小屋をつくったことで起こったこと その2
「その1」はこちらから。
室内に置かれたゆるいサブスペースとしての小屋。
最初に作った時には、ここまで使う展開になるとは思っていませんでした。
特にgift_lab GARAGE(2020年7月26日で営業終了。現在はカフェは無くギャラリーショップ兼デザインスタジオgift_labとして移転)ではカフェ併設であることが場をつくる軸となっていて、気軽に人が出入りし滞在することができる空間に小屋があったわけです。
この小屋を、様々な目的・機能として試してみたいと考える人が現れるのは必然ともいうべき流れで、結果いろいろな方に小屋を提供する場面が生まれていきました。
「その1」の後半でこの多様な使い方の一例をご紹介したのですが、この有用な場である小屋を私たち自身がもっと積極的に使おうということから生まれたのが、今回ここに書く、小屋バーです。
カフェに私たちが求めていたこと
gift_lab GARAGEのカフェを始めたときに、物足りないと思うことがありました。
本来、人と人が偶然に出会ったり繋がったり、そこから何かが始まったりするような思いがけない可能性のある場であってほしいと願ってオープンさせました。
とはいえ、自分たちも慣れないオペレーションをしながらなので、実際に人とゆっくり話せるほどの余裕もないですし、そんなにすぐに何かが起こると言うわけでもありません(イベントをやればよいということではなく、日常の延長として)。
空気が混ぜ合わさるような、偶発的なことが生まれるには何かが足りない。
そんな気がして、仕掛けとして試しに始めようと思いついたのが小屋バーでした。
gift_lab GARAGEをスタートしてちょうど1年経つ2016年の2月から始めることにしました。
小屋バーとは
金曜日のカフェ時間を延長して、19時〜22時に小屋をバーカウンターと見立て中に入り、その向こう側に訪れる人を待つ。というものです。
それだけのことなのですが、カフェと違うところは、ホスト役として私たちが小屋の中にいること、距離感の近さ、そしてバーという響き。
告知なども主に個人のSNSからの発信とし、顔の見える場のイメージをつくっていきました。
特別なメニューを用意した訳でもなく、カフェで提供していたアルコール類を筆頭に書いて並べその他のメニューは絞り、なるべくシンプルな形に。
当然、バーテンダーみたいなことはできるわけもなく、ビールの栓を抜くとかワインをグラスに注ぐとか、やれることはその程度でした。
小屋の中にはキッチンとしての機能はないので、バケツにビールやワインのボトルを入れ氷で満たして足元に置き、グラスやお釣りを用意して(あとでまとめて会計だと分からなくなりそうだったので、そのつどキャッシュオンでのやりとりとしました)。
始まってからのことは、ノープランです。
最初は、誰も来ないのではと思いながらも小屋で人を待ちました。
その結果は……。
初回から無事に人が訪れてくれました。やっておきながらなんですが、ちゃんと人が来てくれたことに驚き、そしてとても嬉しかったことを覚えています。実験的な試みの発信に、反応してくれていた人がいたのです。
小屋を介してゆるくつながる場
その後も、できる範囲で毎週金曜日ごとに続けていくことに。毎回バタバタでしたが、考えていた以上に面白いことがたくさん起こる場となっていきました。
繰り返し来訪する人が増え、ゆっくりと話しをする時間も増えました。
全く知らない同士がここで知り合ったり、その人同士が何かを始めたり。
遠方から、「気になっていて」と、はるばる話をしに来てくれた人がいたり。(面識ゼロなのに!)
数年ぶりに会いに来てくれた友人と、偶然居合わせたご近所の人がつながったり。
巻き込まれるように参加して楽しんでその後も来てくれた人がいたり。
金曜日の19時〜22時の3時間だけの場なので、ここからまた別の店などへ延長戦へ向かう人もいました。
何か特別なことをやっているわけでもないのですが、「なんだかやたら気になる!」という言葉をもらうことも結構ありました(客観的にどんな風に見えていたのかは全くわからないのですが)。
(自分ではやっている時には残せないので、
許可を得て他の方の写真を拝借しています。)
文章にするととても平坦な感じになってしまうのですが、意図せずに不思議と面白い出来事がじわじわと起こっていきました。
例えばバケツの中の飲み物が足りなくなったり、暖かい飲み物を用意する時には横にあるキッチンとの往来をしながらなので、一度にオーダーが入ると慌ただしくなります。そして小屋の主が不在になるときに、たまたま居合わせた来訪者同士が話をし始めたり、自己紹介しあったりということが自然と起きます。
私たちの通常のカフェ営業では、そんなことはほぼ起こりませんでした。
また例えば私たちの友人や知人は、いままでの様々なシチュエーション・属性のなかで出会っているわけですが(仕事でのつながり、音楽などのイベントからのつながり、カフェのリピーター、ご近所のつながり、大学の友人、地域プロジェクトで知り合った方、などなど)、通常であれば交わる機会のなさそうな属性同士が、小屋を介してつながりをもつことが起きたり。それはとても不思議で興味深い現象でした。
こちらが直接的に人と人をつなげようとしなくても、小屋バーに来ている、ということ自体が媒介となって、全ての出来事を内包して偶然に何かが始まっていく、そんな場になっていたように思います。
小屋バーに来る人は個人ともコミュニティとも違うような、ゆるいつながりをなにかしら感じていたのではないかと思っています(そもそも、バーというのはそういう資質を持っているのかもしれません)。
同じ場で飲み、会話を交わしたり交わさなかったり(無理に対面しなくてはならないわけでもないのです)。
金曜日のこの時間(19時〜22時)に、小屋バーのことは特に知らずにコーヒーを飲みたいとふらっと入ってくる方もいたりして、それはそれでまた良いなと思っていました。
小屋バーとカフェの関係性
カフェのことを私たちが求めるものには少しもの足りないというような書き方をしてしまいましたが、実際にはそんなことはないと思っています。小屋バーは、ベースとして存在しているカフェとの関係性があるからこそできていたのだと改めて考えています。
「開かれた密室」と呼ぶこともあった小屋バー。そこに訪れる人はある種の距離の近さをなんとなく求めて訪れてくれたのではと思っています。
同時に、それは求めればどんな人に対しても開かれている場でもあると思っています。
もちろん、カフェにふらっと訪れてひとときを過ごす楽しみ方だって当然あります。
ある時に改めて気づいたことですが、現代の都市的なカフェには飲食はもちろんのこと、ある種の関係性を一時的に断つことを求めて利用することの方が多いのではないでしょうか。
「ひとりでいたいから」とか。「構わない方が望ましい」というような。
私たちが思うカフェのことは前の章でも少し書きましたが(書籍ダブルローカルの中のコラムでも語っています)、良きハプニングや文化を醸成する可能性を持つ場でありたいというイメージを持っています。
ただ、それをカフェ側が求め過ぎてしまうことは利用者にとってバランスが合わない場になってしまう懸念もあります。カフェ利用の動機を狭めるようなことはできればしたくはありませんでした。
小屋バーが始まり、関係性をつなげる利用のしかたができたことで、カフェの、それぞれ個人でいるための利用とのいい塩梅の自由さが保たれて、どちらも潰さないちょうど良いバランスが生まれたのではないかとふりかえって感じています。
そして新たな関係性を
私たちは2020年7月に物件の契約更新のタイミングを機にカフェを閉じ、違う形態で移転をすることにしましたが、いま新たな関係性をどのようにしてつくっていけるかをいろいろと画策しています。
最後に:トップの写真について
gift_lab GARAGEでの小屋の最後の風景をとても素敵に記録していただいた出来事がありました。
まちなか披露宴というとても素晴らしい企画です。住んでいた土地でもあり思い入れのある清澄白河のいくつかの場所を新郎新婦が「前撮り」として自ら出向いて巡る、というもの。
奇跡的にこの場所が閉じる7月に行われ、小屋も含めこの空間の写真を残していただけたので、ご紹介。撮影は、清澄白河写真室さん。
(投稿で小屋バーについても書いてくださっています。)
今回もお読みいただきありがとうございました。
(その3)につづく。
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